竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

モーツァルト・コレクション/クーベリックの交響曲第35、36、38、41番、アイネ・クライネ

2009年05月26日 09時30分46秒 | ライナーノート(EMI編)




 1991年2月の東芝EMI新譜として、ほぼ1960年代のEMI録音を原盤としたモーツァルト録音を交響曲からオペラ・ハイライト集まで全15枚にして『モーツァルト・ポピュラー・コレクション』と名づけて一挙に発売されたCDシリーズのひとつです。60年代の演奏を聴くということの意味は当時もありましたが、今では、更に積極的な意味があるかも知れません。「温故知新」が鑑賞の重要な要素のひとつであることは、「未知のものとの偶然の出会い」とともに自明のことですが、当時は60年代の録音を聴き直す人は少なかったと思います。巨匠時代の終焉が「60年代」なのですが、まだ当時のほとんどの聴き手が、往年の巨匠時代の呪縛から自由になっていませんでした。そういう時代に書かれた文章だと、ご理解ください。これまで同様、ブログへの再掲載に当たっても当時のフロッピーデータのまま、どこも修正していませんが、今でも十分に通用する内容だと思っています。
 なお、同シリーズ全容の意義についての解説原稿が、全15枚に重複して付けられましたが、その解説原稿は、5月19日付の当ブログに掲載済みです。


【TOCE-6802】【TOCE-6803】ライナーノート

 クーベリックはチェコスロバキアの名ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリックの子として1914年にプラハの郊外に生まれた。プラハ音楽院で作曲、指揮、ヴァイオリンを学び、33年に卒業、翌34年1月にチェコ・フィルハーモニーを指揮してデビュー、36年には同フィルの常任指揮者に就任している。作曲活動も精力的に行いながら、指揮者としてのキャリアを積んでいったが、40年代に故国を去り、そのままヨーロッパの各地で活躍した。
 先頃東西ドイツ再統合を控えたヨーロッパの大転換に湧くプラハに、既に現役を引退していたクーベリックが帰り、久しぶりにチェコ・フィルを指揮したのは記憶に新しい。
 クーベリックは1950年からアメリカのシカゴ交響楽団の常任のポストに付いたが、これは53年までで、すぐヨーロッパに戻り、55年からロンドンのコヴェントガーデン王立歌劇場の音楽監督となったが、61年、ミュンヘンのバイエルン放送響の常任となり、これを引退に至るまで続けた。
 結果を見てから言うわけではないが、クーベリックの音楽はアメリカでは大衆の支持は得られにくかったようだ。これは、クーベリックの音楽が、作曲家としての分析的視点を持っていることと無縁ではないだろう。(同じシカゴ響をその後、やはり作曲家としても評価のあるジャン・マルティノンが数年しか常任に就かなかったのは皮肉なことだ)。シカゴ時代のクーベリックは、マーキュリーにブラームスの「第1交響曲」などの録音が残されている。かなり思索的で、手の込んだ演奏だ。
 ヨーロッパに戻ってからのクーベリックは、しばらくはEMI、DECCA、D.G.にウイーン・フィル、ベルリン・フィルなどを振って録音している。ベルリン・フィルとのドヴォルザーク「第8」、ウイーン・フィルとのブラームス交響曲全集、ロイヤル・フィルとのベートーヴェン「田園」など名演も数多い。
 このCD2枚に収められたモーツァルトは、クーベリックがバイエルン響の常任に就任して落着いてからのもので、ウイーン・フィルとの一連のモーツァルト録音を初出時とカップリングを変えて収めたものだが、どれも廃盤になってかなりの年数が経ち、クーベリック・ファン、モーツァルト・ファン、ウイーンフィル・ファンが、それぞれの立場から復活を希望していたものだ。
 演奏はいずれも細部までよく磨かれた、このころのクーベリックならではのもので、それが、ベルリン・フィルとのドヴォルザークでも見られたような彼の根底にある自由なのびやかさが、ウイーン・フィルの豊かな音楽性と結び付いて、類まれな名演を生んでいる。
 曲によってその仕上りにばらつきがあるが、ウイーン・フィルの持ち味にかなりを委ねているのが「第35番」。無理のないテンポ設定でオケの響きを大切にしたアプローチで、この甘美な響きや、朗々としたほとばしり出てくる音楽は、この曲の数ある録音中でも屈指の名盤だ。特に第2楽章の深々とした呼吸は実に美しい。だが、それが決して情緒てんめんといったものではなく、ある種の緊張感から解き放たれることがないのが、いかにもクーベリックだ。その意味では、自発性に富んだ自在な演奏とは趣を異にするが、正にそれこそが、今日のモーツァルト演奏へと繋がる接点でもある。現代感覚を身につけたクーベリックが、まだウイーンの伝統的響きを守っていた60年代のウイーン・フィルと出会った貴重な記録と言える名盤だ。
 この傾向は「第38番」では、さらにすばらしい結実を聴かせてくれる。
 充実した緊張感を持続させる序奏部の、彫りの深い表情がまず聴くものを捉えて離さない。主部に入り速い動きを隅々まで聴き分けようとする緻密さ、モーツァルトの大胆な転調を明確にする微妙なテンポの変化やわずかな間の設定など、磨きぬかれた細部の積み重ねが、骨格をむき出しにすることなく、生き物のように有機的につながり、大きく豊かな音楽のよろこびに溢れて再現される。
 この2曲に比較すると「第36番」「第41番」はいくらかクーベリックの丁寧さが前面に出過ぎていて、「少々考えすぎ」の感がある。もちろん良い演奏ではあるが、曲想とクーベリックの個性との相性の問題もあるだろう。だから、「アイネ・クライネ」の終楽章になると、なおさらだ。このあたりになると、クーベリックに関心を持っている聴き手の世界だが、興味深い演奏であることに変わりはない。