竹内貴久雄の部屋

文化史家、書籍編集者、盤歴60年のレコードCD収集家・音楽評論家の著作アーカイヴ。ときおり日々の雑感・収集余話を掲載

クラシックレコード事情と社会世相(その9/レコード購入者を急増させた「パンチ穴」付きのバーゲン盤)

2009年02月26日 10時46分02秒 | 音楽と戦後社会世相





 以下は、1999年の秋に出版された私の編・解説書『歴伝・洋楽名盤宝典――精選「LP手帖」月評・1957年~1966年』(音楽出版社)の各年度ごとの概要解説の一部です。このブログでは2月14日が第1回掲載。今日は「第9回」です。


◎昭和四十年(1965年)

 昭和四十年度(一九六五年)の『LP手帖』新譜月評担当執筆者は、以下の通りとなっている。
 門馬直美(交響曲)、沢田勇(管弦楽曲/25センチ・17センチ盤)、渡辺学而(協奏曲)、高橋昭(室内楽曲/器楽曲)、松永長男(声楽曲)、東川清一(四月~六月の声楽曲)、福田達夫(四月、六月の声楽曲)、藁科雅美(オペラ)

 六〇年代に入って、急速にはずみのついた〈LPブーム〉によって、空前の売上を記録していたレコード界だが、そうした加熱した需要は、中古市場にも活況をもたらしたようで、この頃になると、中古レコード店の数は相当に増加していた。〈積んどくより、売り得〉といったキャッチフレーズの中古店の広告が、誌面にいくつも現れるようになる。 今でも営業している東京・銀座の〈ハンター〉の広告に、「バーゲン盤」という言葉があって、目にとまった。前年の四月号に掲載されている門馬直美の小文を見てみよう。
 「最近、レコードの廃盤というのが目立って多くなってきた。欲しいと思って買いにでかけると、もう廃盤になっているというのである。(中略)巷間では、いいと思ったレコードは、すぐに買うべしという声すらある。(中略)/ところが、おかしな現象がある。世にゾッキレコードというもののことだ。このレコードがどこからどのようにして店頭におかれることになったのか知らないが、ここに廃盤レコードがおさまっている。廃盤をさがすなら、ゾッキ・レコードをさがせということになる。学生たちや音楽愛好者たちは、結構、このゾッキ・レコードを利用している。しかも新品同様であり、値段も半額ぐらいである。レコード会社は一体何をしているのだろうと思えてくる。/ただ、このゾッキ・レコードは、レコード愛好者の数をふやすのには成功したようだ。ゾッキ・レコードも、こうなるといいのか悪いのかわからなくなる。」
 ここにいう「ゾッキ」はもともと古書界の用語だが、このゾッキ・レコードこそ、〈バーゲン盤〉のことだろうと思う。この商品は、数年前に起こった海外のレコード会社との原盤契約再編がからんだ番号切替や、実質値下げによる番号切替などでの旧規格番号のメーカー放出品だったと記憶している。これらには、ジャケットの隅にパンチ穴が付けられて不当返品を防止していたので、通称〈パンチ盤〉とも呼ばれ、筆者もそのひとりだったが、有難く買っていく人が多かった。一律半額というような売り方だったと記憶している。
 ところで、四月号の門馬直美の巻頭言に、次のような記述があった。
 「このごろは、レコード・コンサートの客の入りが目立って減ってきたそうである。小生自身、レコード・コンサートをあまり体験していないので、正確なことはわからないが、大きな都市ほどその傾向がでてきているという。(中略)レコードはひとりで楽しむものと考えられてきたのだろうか」
 想像の域を出ないが、おそらくその通りだったのではないだろうか。LPの急速な普及の背景には、家庭での再生装置の普及があったはずだからである。LPレコードのデモンストレーションの時代は終わっていた。テレビの普及とともに、街頭テレビが姿を消したのと同じことだろう。だが、だからと言って、誰もが、豊富なLPコレクションを持っていたわけではない。相変わらず名曲喫茶での未知の曲との出会いは有効だったし、同じ意味で、良質な音で聴けるFMラジオの本放送を望む声も高まっていた。FMは、かなり前に放送を開始してはいたが、いわゆる予備免許による実験放送という位置付けのまま、棚ざらしされていた。そのため、一日の放送時間が満足のできる状態ではなかった。