【奈良・桜井市】徳道上人は観音信仰に篤く、西国三十三所観音霊場を開いた大徳として知られ、長谷寺はその根本道場とも呼ばれる。 平安時代には観音信仰が盛んになり、貴族の間で長谷寺詣でが流行した。 平安時代以来長い間、法相宗大本山の興福寺大乗院の下にあったが、安土桃山時代の天正十六年(1588)に根来寺の専誉僧正が入山して新義真言宗となった。
繫屋から左手に石燈籠が整然と並ぶ中登廊を上ると、蔵王権現を祀る蔵王堂が建ち、向拝に蔵王権現が持つ大きな三鈷杵が置かれている。 蔵王堂の傍に「貫之故里の梅」があり、傍に初瀬詣の時に詠んだ紀貫之の歌碑と小林一茶の句碑が立つ。 そこから江戸時代再建の上登廊を上り詰めると突っ支い棒で支えられた鐘楼門があり、鐘楼門をくぐると本堂が建つ境内だ。
正面の一段高い所に愛染明王を祀る愛染堂があり、巡らした鮮やかな朱色の幕が目を引く。 愛染堂の右手の石段の上に明神鳥居が立ち、その右奥に徳川家光が再建した春日造りの三社権現(瀧蔵三社)が鎮座している。 約370年の風雪に耐えてきた三社権現には傷みがみられ、歴史を感じさせる。
本堂境内の東側の奥に開運招福・諸願成就の霊験があらたかな日限地蔵菩薩と不動明王を祀る能満院があり、境内に珍しい石仏や宝篋印塔や五輪塔など多くの石造物が佇んでいて興味深い。
繋屋から眺めた中登廊..中登廊は明治二十七年(1894)再建
中登廊の脇に整然と佇む石燈籠群..登廊には風雅な長谷型燈籠を吊るしている
中登廊上に建つ寄棟造本瓦葺の蔵王堂..慶安三年(1650)徳川家光命で再建
天正五年(1577)作の蔵王権現を祀る蔵王堂..向拝に蔵王権現が持つ巨大な三鈷杵が置かれている/紀貫之の故里の梅..紀貫之の歌碑と小林一茶の句碑が立つ
蔵王堂から眺めた上登廊..江戸時代の再建
上登廊の左側に整然と佇む宝篋印塔と石燈籠
上登廊の右側に鎮座するお社..一番左が馬頭夫人社
上登廊の上部左側に鎮座する春日造りの三百余社/大きな庇の向拝に登高蘭、棟に外削ぎの千木と2本の堅魚木が乗る
上登廊の最上部に建つ入母屋造本瓦葺の鐘楼(鐘楼門)
和様の組高欄付き回縁を回らし、回縁下の組物は三手先/上層に吊られた梵鐘は寛仁三年(1019)鋳造で「尾上の鐘」と呼ばれる
本堂境内の一段高い所に建つ寄棟造本瓦葺の愛染堂..天正十六年(1588)建立で愛染明王を祀る
本堂境内の一段高い石段の上に2基の鳥居が立ち、その右奥に春日造銅板葺の三社権現(瀧蔵三社)が鎮座..慶安三年(1650)、徳川三代将軍家光再建
三社権現は奈良時代の天平五年(733)、聖武天皇の勅命で徳道上人が創建..東社は石蔵権現(地蔵菩薩)、中社は瀧蔵権現(虚空蔵菩薩)、西社は新宮権現(薬師如来)
能満院と地蔵堂が建つ東奥の境内..子育地蔵尊像と子供を抱いた黄金の聖観音像が迎えてくれる
弘法大師修行像の先に露盤宝珠を乗せた宝形地蔵堂とその奥に入母屋造桟瓦葺の能満院が建つ
能満院の向拝..「日限地蔵」と「不動明王」の扁額、上に額絵馬が掲げられている
能満院の向拝から眺めた本堂
地蔵堂と能満院の間に鎮座する石仏・石塔/石柱の上部を丸く彫り窪めた中に錫杖と宝珠を持つ地蔵菩薩坐像は半肉彫り
能満院の奥に整然と鎮座する石仏・石塔
舟形に彫り窪めた中に錫杖と蓮華を持つ十一面観音菩薩像が半彫り/五輪塔の地輪に錫杖と宝珠を持つ苔生した半肉彫りの地蔵尊像が鎮座
大小の宝篋印塔・宝塔・五輪塔が鎮座している
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