
【名古屋・昭和区】江戸時代の貞亭三年(1686)に高野山で弘法大師空海の五鈷杵を授かった天瑞圓照和尚が、八事の地に草庵を結び、貞亭五年(1688)に密教と戒律の寺として創建した。 同年(1688)、尾張藩二代目藩主・徳川光友が天瑞和尚に帰依し、本山をもたない無本寺だが真言律の教学と修行の場として諸堂の建立を許した。
宗旨は真言宗(別格本山)で、本尊は大日如来像。知多四国八十八ヶ所霊場第88番札所、名古屋二十一大師霊場第21番札所。
●飯田街道(国道153号線)に面して広大な境内が広がり、境内入口の道沿いの右手に智拳印を結ぶ大日如来坐像が鎮座、左手に「別格本山 八事山興正寺」と彫られた寺号標石が少し傾いて立つ。 大寺院にあるべき山門がなく、境内のかなり奥に中門と五重塔が重なって見える。
開放的な境内に建つ中門は 西山と女人禁制で修行の場である東山との境に建っていたもので、かつて「女人門」と呼ばれ、男性だけがくぐるのを許された。 明治に女人禁制が廃止され昭和期に現在地に移築されたそうだ。 中門は三軒三戸の楼門で、上層に扁額がなく、門柱に「西山中門」の木札が掛けられている。

△飯田街道(国道153号線)に面して鎮座する大日如来坐像


飯田街道に面して建つ「別格本山 八事山興正寺」と彫られた寺号標石....山内は本堂などがある西山(西山普門院)と奥之院がある東山(東山遍照院)に分かれていて、古くは東山は女人禁制で学問・修行の場だった

△門前から眺めた重なる中門と五重塔....中門はかつて「女人門」と呼ばれ,女人禁制を守るために東山と西山の境に建っていた....明治に女人禁制が廃止され、昭和二十九年(1954)頃に中門として現地に移築された

△南西を向いた西山本堂の前に五重塔、釈迦牟尼大仏、中門が一直線に建ち並ぶ....大仏の傍に大きな回向柱が立つ

△入母屋造本瓦葺の中門....桁行三間梁間二間で側面は横羽目板、大棟端に鯱を配している

△中門は三間三戸形式の楼門で、柱に「西山中門」の木札が掛けられている....上層に擬宝珠高欄付き切目縁を巡らす

△軒廻りは一軒疎垂木、組物は雲肘木を乗せた木鼻付き平三ツ斗で中備は雲肘木を乗せた蟇股....組物、蟇股、木鼻などに胡粉が施されている

△上層の廻縁を支える腰組はなく柱頂の持送と柱間の蟇股で支えている

△上層の中央間は彫刻入格狭間を入れた飾金具付き桟唐戸(引戸式)、両脇間は連子窓

△中門を通して眺めた「釈迦牟尼大仏」と五重塔
●中門をくぐると、正面に五重塔を光背のように背にして「平成大仏」と呼ばれる釈迦牟尼大仏坐像が鎮座。 五色幕を張った基壇の上の蓮華座に鎮座する釈迦牟尼大仏は、法界定印を結んでいて、参詣者と繋がる紐が親指から垂れ下がっている。 紐にそっと触れてお顔を見上げると、慈悲に溢れる大仏様の目と目が合った….合掌。
興正寺のシンボルといえる五重塔は江戸後期の建立で、逓減率の割合が低くて細長い造り。 また、塔身に対して相輪がかなり短いので少し安定感に欠ける感じがする。 初層の中央間の桟唐戸には、「三つ葉葵紋」を配した透かし彫りを入れている。
五重塔の左右に室町期造立の数基の二重塔式の宝篋印塔が五重塔を守るように立ち並ぶ。 近くに狐格子の妻飾りに「三つ葉葵紋」を配した切妻造りの覆屋が建ち、「八事山之霊水」といわれる湧水場がある。 多分、閼伽水を汲む井戸だろうとみられる。


△五重塔側から眺めた中門と切妻造銅板葺(と思う)の手水舎/正面に「八事山」が刻まれた手水鉢は宝暦六年(1756)の造立

△釈迦牟尼大仏坐像と本瓦葺の五重塔(重文)....五重塔は文化五年(1808)の建立で、県内現存五重塔で最古(県下で唯一の五重塔)


△五色幕を張った基壇の上に蓮華座に鎮座する釈迦牟尼大仏坐像....平成二十六年(2014)に造立された新しい像/総高7.1メートル、重さ約6トン、青銅鋳造に漆塗り仕上げ

△法界定印(禅定印)を結ぶ釈迦牟尼大仏....参詣者と釈迦牟尼とを結びつける紐が印相の親指合わ部から垂れ下がっている

△心柱に穴を開けて本尊大日如来を、天柱間に仏壇を設け金剛界四仏をそれぞれ安置....四方仏は阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)


△五重塔は総高26メートル程の中規模の塔婆....塔身に対し相輪が短い/初層の廻縁には高欄がないが、2層目と4層目の廻縁に組高欄、3層目と5層目の廻縁に擬宝珠高欄を設けている

△上層に行くほど屋根が小さくなる逓減率の割合が低く細長い姿


△軒廻りは全層いずれも二軒繁垂木、組物は全層とも三手目が尾垂木の三手先、中備は2層目~5層目の中央間のみに蓑束....全層に蛇腹(軒)支輪と軒天井がある

△初層の中央間は三つ葉葵の紋を配した透かし彫りを入れた桟唐戸、脇間は連子窓....中備は蓑束

△五重塔を見渡せる高台に建つ納骨堂の圓昭堂付近から眺めた五重塔


△五重塔右手に立つ3基の二重塔式の宝篋印塔....手前2基の造立年は天保十四年(1843)と室町時代の弘治四年(1558)/五重塔左手に立ち並ぶ5基の二重塔式の宝篋印塔....手前は室町時代弘治三年(1557)の造立、塔身上段月輪に釈迦如来、下段格狭間に宝篋印陀羅尼経の種子、基礎に「三界萬霊」の刻


△五重塔傍にある「八事山之霊水」(閼伽水を汲む井戸?)....切妻造屋根で狐格子の妻飾りに「三つ葉葵紋」が配されている湧水場/霊水が枯れている?
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