【岡山・岡山市】日本で唯一の吉備津造りの比翼入母屋造本殿。
南北朝時代の観応二年(正平六年(1351))に火災で焼失した後、室町幕府第三代将軍・足利義満が約25年の歳月をかけて応永三十二年(1425)に本殿と拝殿を再建、現在に至る。
本殿は「吉備津造り」と称する独特の比翼入母屋造で、拝殿とともに国宝に指定されている。 吉備津神社は、創建年は不詳だが、平安時代の延長五年(927)に成立した法令集「延喜式」の「延喜神名帳」に「吉備津彦神社 名神大」と記載されていることから、平安前期から中期の創建とみられる。
曇天の空で薄暗かったが、約600年前に建てられた比翼入母屋造檜皮葺の本殿を目の当たりにし、そのあまりの壮麗さに思わず息を呑んだ。 以前、千葉県市川市法華経寺に鎮座する比翼入母屋造杮葺の祖師堂(江戸時代建立)を拝観して感動したのを記憶しているが、「吉備津造り」と呼ばれる豪壮にして優雅な姿の比翼入母屋造本殿を目にし、さらに深い感動を覚えた。 と同時に、偉容を誇る本殿と平入で繋がる拝殿を眺めていると、歴史と伝統に溢れる古社ということを、否応なしに感じさせる。
社殿は、巨大な白漆喰の亀腹の上に、まるで浮遊しているかの如く鎮座しているが、湿気を防ぐための亀腹は中世社殿建築の中で最も大きく、約2メートルもの高さがあるようだ。
足利義満による再建以来、荘厳な姿をいまに伝えているが、社殿の完成をみずに応永十五年(1408)に没した義満は、さぞかし無念だったろうと思う。
△本殿と拝殿の全景(両殿国宝)....本殿は我が国唯一の「吉備津造り」と呼ばれる独自の建築様式で、入母屋造を前後に並べた「比翼入母屋造」
△比翼入母屋造の本殿と切妻造の拝殿はいずれも檜皮葺....本殿の入母屋の大棟端に外削ぎの置千木と2本の堅魚木を乗せている
△平入の2棟を入母屋造を前後に連結させて平面ではH型にした特異な屋根....周囲に擬宝珠高欄付き槫縁を巡らす
△入母屋造の大棟端に左三つ巴の紋を入れた獅子口、破風の拝は猪目懸魚、妻飾は虹梁大瓶
△側面八間は全て窓枠に飾金具を施した盲連子窓と横羽目板
△軒廻りは一軒繁垂木、組物は天竺様の挿肘木と巻斗による二手先で中備無し....後方七間の中央間に桟唐戸、脇間は全て盲連子窓と横羽目板
△擬宝珠高欄付き槫縁を支えるのは天竺様の挿肘木と巻斗
△湿気を防ぐための白漆喰の大きな亀腹の上に建つ本殿は正面七間・側面八間で、亀腹の高さは2メートルで中世神社建築の中で最高とされる
△本殿正面に連なった切妻造檜皮葺で吹き放ちの拝殿....三方の裳階はいずれも本瓦葺
△拝殿の軒廻りは母屋が二軒繁垂木で裳腰は一軒繁垂木、組物はいずれも出三ツ斗/拝殿の大棟に獅子口、拝に猪目縣魚、妻飾は虹梁大瓶束
△(類似例) 千葉県市川市の法華経寺祖師堂(重文)....比翼入母屋造杮葺で錣葺(延宝六年(1678)建立)
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