何気ない風景とひとり言

寺社&石仏巡り、小さな旅、散策...ふと目に留まった何気ない風景...切り取って大切な想い出に!

両子寺-(1) (国東)

2015年05月08日 | 寺社巡り-大分

【大分・国東市】奈良時代の養老二年(718)、国東六郷満山の開祖・仁聞菩薩により国東半島の最高峰・両子山(標高721m)の中腹に開創された。 平安時代から鎌倉時代にかけて六郷満山の中山本寺、山岳修行の根本道場として栄えた古刹。
王朝政治が壊滅して迎えた鎌倉時代から武士の私領化に荒らされ、寺領を奪われ衰えていった。 江戸時代初期、住持となった傑僧・順慶は兵乱に冒されて荒廃した六郷満山の寺々を嘆き悲しみ、両子寺や近郷の諸寺を再興した。 その後、勢力が衰え統制力を失っていた六郷満山を率いてきた長安寺に代わって台頭した。 天台宗別格本山で本尊は千手観世音菩薩像。 <国東六郷満山霊場第十三番札所 (六郷満山中山本寺)>

本堂の直ぐ下の駐車場に車を止めた後、足早に参道を下り、参道を横切る渓流に架かる無明橋に....あたりは静寂に包まれている。 朱塗りの欄干の無明橋から杉林の懐に抱かれるように続く参道を眺める....まさに山寺の聖域への入口と印象づけられる風情だ。
無明橋を渡って進むと、堂々たる石造りの仁王像が歓迎の一睨を与えてくれる。 この巨大な仁王像の力感溢れる均整美は、国東六郷随一と言われるもので、「おう~、よく来たな!」と言わんばかりの形相には迫力がある。
仁王像の足下から石段が始まり、両側に杉が聳える苔生した石段の途中に注連縄が張られた古びた山門がひっりと佇んでいる。 六郷満山最古の建造物とされる飾りっ気のない山門....幾度か修理が加えられたと思うが、約千年の風雪に耐えて佇む姿は感慨深い。
石段を登りつめて本堂境内に上がると右手に護摩堂本殿が建つが、宝形造りの屋根の流れが実に美しく、うっとりと見惚れた。 護摩堂の左側回縁のはね上げた蔀戸をくぐって堂内に....内陣の奥深くに二童子を脇侍とした本尊・不動明王立像が鎮座している。 内陣奥が薄暗いので厳しい形相のお顔がよく見えないが、像の陰影から逞しさが感じられる。
 
参道を横切る渓流に架かる石造りの太鼓橋「無明橋」..朱塗りの欄干は珍しい

無明橋越しに眺めた石造りの仁王像

両側に杉が聳える参道に巨大な仁王像が鎮座

国東六郷随一の秀作と言われる両子寺参道の仁王像
 
石造り仁王像..江戸時代後期の文化十一年(1814)作/両子寺の仁王像は大型で容相もいかめしく天衣や裳の表現が優れている
 
左側の吽形の仁王像..総高245cm、像高230cm

吽形仁王の上半身像..盛り上がる筋肉の表現が見事
 
右側の阿形の仁王像..総高245cm、像高230cm

阿形仁王の上半身像
 
仁王像の傍に佇む石燈籠..江戸時代明和五年(1768)の銘/仁王像の足下から少し苔生した石段が始まる

石段参道沿いにある大きな自然石に刻まれた歌人財前国雄の歌碑

石段のちょうど半ばあたりに建つ山門「総合門」

切妻造銅板葺の「総合門」(四脚門)は六郷満山最古の建造物とされる
 
堂宇境内への入口に立つ十三重塔..石垣の上に鐘楼と護摩堂の屋根が..

参道石段から眺めた鐘楼と書院(客殿)の屋根
 
堂宇境内入口から眺めた護摩堂と鐘楼と常香炉..護摩堂は明治二十五年(1892)再建

露盤宝珠を乗せた宝形造銅板葺の護摩堂..本尊不動明王(鎌倉期作)を祀る
  
国東塔               不動明王像(不動三尊像)   宝篋印塔

境内の奥から五重塔越しに眺めた護摩堂

護摩堂..扇垂木と二軒〇(木偏に垂)、側面に跳ね上げた蔀戸と花頭窓が..
 
護摩堂の擬宝珠高欄付き回縁から眺めた鐘楼

護摩堂脇に鎮座する石造物群

書院・客殿..入母屋造銅板葺で、二重構造の屋根と大きな唐破風の入口
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