安孫子誠也氏は「アインシュタイン相対性理論の誕生」のなかで、ローレンツとアインシュタインの相対性理論を区別するのは、光速度一定を原理として要請しているかどうかであると述べている。この見解は優れていると思い、踏襲するだけでよいと思っていた。しかし、いくつか文献を読み、自分なりに相対性理論が誕生していく過程を思い描いてみると、光速度一定の原理だけを強調するのは、一方的だと思えてきた。やはり、相対性原理と光速度一定原理の両方がローレンツとアインシュタインの違いなのではないかと思うようになった。
安孫子氏が強調するように、アインシュタインにあってローレンツにないものは、「運動学」であり、これがローレンツとアインシュタインの相対性理論の違いである。「運動学」とは、「物理現象を表現し記述するための数学的枠組み」である。そして、この「運動学」の前提になっているのは、光速度一定の原理と相対性原理である。2つが関連することによって、運動学が構成されている。ローレンツとアインシュタインを区別するのは、相対性と光速度一定の2つを原理として要請しているかどうかにあると思う。
安孫子氏が光速度一定の原理を強調することは、相対性理論がマクスウェル電磁場理論を前提としないという主張と結びついている。もちろん、広くいえば、相対性理論はマクスウェル理論を前提にしているのだが、安孫子氏が「前提」にしていないというのは、正確にいえば、マクスウェルの電磁場理論を、修正を必要としないそのまま引き継ぐ理論と考えないという意味である。直接には、輻射の説明に対してマクスウェルの理論は限界をもっていることを踏まえて、相対性理論は構築されていることを指している。
安孫子誠也氏の見解を確認しておこう。
「光速度の一定性」は、マクスウェル方程式に相対性原理を適用することによって得られる結論である。しかしながらアインシュタインは、「光速度不変の原理」を、マクスウェル方程式や相対性原理を前提とはしない、それ自体として独立した原理にまで高めて設定したのである。
しかしながら、ローレンツ変換を導くために、アインシュタインはマクスウェル方程式と相対性原理から導かれる「光速度の一定性」を必要とし、そこから彼はすでに時間概念の変革を導き出していた。したがって、マクスウェルの電磁場理論を超越するためには、彼はこの「光速度の一定性」を、「光速度不変の原理」の地位までに高めざるをえなかったのである。
かくして、ローレンツ―ポアンカレ理論とアインシュタイン理論との本質的な違いは、「光速度不変の原理」が独立の要請として樹立されていたかどうかだという結論に到達する。言い換えれば、ローレンツ―ポアンカレ理論は、特殊相対性理論にとって本質的な「運動学の部」を欠いていたのである。この「運動学の部」において、「相対性原理」と「光速度不変の原理」をもとにして、初めて正しい形のローレンツ変換が導出されたのだった(それまでは、誤りを含むローレンツ変換式が天下り的に仮定されていたのである)。
最後の引用文において、後半には異論がない。しかし、前半は、「相対性原理」が欠如しているのではないか、というのがわたしの見解である。いいかえれば、「言い換えれば」に飛躍があり、「言い換え」になっていないと思う。
安孫子氏の見解を一方的だと思うようになったのは、『特殊および一般「相対性理論」について』のなかで、アインシュタインが次のように述べていたからである。
相対性原理によれば、真空中の光の伝播法則は、すべての他の一般法則と同様に、列車を基準体としようが、レールを基準体としようが、同じことにならねばならない。ところが、われわれの考察によれば、それが不可能のように思える。すべての光線が堤防に関して速度cで伝播するとすれば、まさにそのことのために、列車を関する光の伝播法則はこれとは別のものにならなければならない――すなわち相対性原理と矛盾する。
このディレンマを考えてみれば、相対性原理か簡明な真空中の光の伝播法則かの、どちらかを放棄せざるをえないように思える。
これまでの論議に注意深くついてきた読者は、心底ではきっと、自然さかつ簡明さのゆえにほとんど拒み難く感じている相対性原理が支持されて、一方、真空中の光の伝播法則は、相対性原理と結びついた、より複雑な法則に置きかえられることを期待するだろう。しかし、理論物理学の進展から、この道を、辿れないことが示された。運動物体の電気力学的、光学的諸過程について道を拓いたH・A・ローレンツの理論的研究によると、この領域の経験では、電磁気学的な諸過程に関するある一つの理論が、抗い難い必然性をもって導かれるのであって、その理論からは、真空中の光速度が一定であるという法則が避くべからざる結論となるのである。このために、この相対性原理に矛盾するような経験的事実は、何一つ見いだせないにもかかわらず、指導的な理論家たちはむしろこの原理をなくしてしまう方向に傾いていた。
ここに相対性理論が登場した。時間と空間についての物理的な概念を分析することによって、現実的には相対性原理と光の伝播法則との間との不一致は、まったく存在しないこと、それどころか、この二つの法則を組織的に、しっかり把握することによって、論理的に異論の余地ない理論に到達することが示された。(金子務訳)
これを読んで、光速度一定の原理よりも、むしろ相対性原理の方が、アインシュタインの独自性ではないかという気になったのである。安孫子氏の表現を借りれば、アインシュタインは、「相対性」を、ガリレイの相対性原理や光速度の一定性を前提としない、それ自体として独立した原理にまで高めて設定した、といいたくなったのである。
もちろん、光速度一定の原理は、はずせない。とすれば、光速度一定の原理と相対性原理の両方を原理として要請するところに、アインシュタインの独自性をみるべきなのではないかと思うようになったのである。
安孫子氏から、アインシュタインの独自性の契機として、相対性原理が抜けたのは、おそらく、ポアンカレの「相対性原理」の過大評価があったのではないかと思われる。
もし、特殊相対性理論の主要な内容が、マイケルソンーモーレーの実験の説明とローレンツ変換の提出であったとするならば、それはすでに一九〇四年のローレンツ理論によって済まされていたと言える。また、もし相対性原理導入の重要性を強調するのならば、そのローレンツ理論への通用は一九〇五~一九〇六年のボアンカレ理論によって行われたと言えるのである。この論争は、しばしばローレンツーアインシュタイン問題と呼ばれており、いまだに完全に決着がついたとは言い難い。
安孫子氏が『アインシュタイン相対性理論の誕生』のなかで引用しているポアンカレの「科学と仮説」を読むと、確かに、アインシュタインの考えと同じではないかと思う。しかし、「ローレンツ‐ポアンカレの相対性理論」とアインシュタインの相対性理論は、違うのである。
広重徹氏が簡潔に指摘している(「相対論はどこから生まれたか」『アインシュタイン研究』所収)。
たしかに、それ(「ローレンツ変換」という名称が初めて使われた1905―6年のポアンカレの論文、ホイッテカーが「ポアンカレ‐ローレンツの相対性理論」とよんだもの――引用者注)は相対論とよびたくなるような理論であった。数式の面からみると、それは相対論と同じ形をしている。そのうえポアンカレは、しばしば「相対性原理」ということを唱えている。しかし見落としてならないのは、それで彼が意味したのは、対エーテル運動の効果の実験的検出不可能性のことだったということである。ポアンカレにとって、それは理論からの帰結として説明されるべきものであって、アインシュタインにおけるように、それの上に全理論が築かれる構成的原理ではなかった。ローレンツ‐ポアンカレの理論は、あくまで、生じているはずの効果が表に現われないことを説明する理論だったのである。この点が、それを、すべての慣性系の同等性という原理から出発する相対論から決定的に区別するのである。
さて、ローレンツは、マイケルソン―モーレーの実験の説明として、ローレンツ収縮と局所時間の考えを提出した。そして、このローレンツ収縮と局所時間を使えば、電磁気の法則は、あらゆる慣性系において、まったく同じ形で成立することを指摘した。いいかえれば、電磁気の法則は、相対性原理を満たしていることを発見した。
ローレンツ変換、光速度の一定性、ローレンツ収縮、局所時間、同時刻の相対性、ローレンツの相対性理論のなかには、必要なものはすべてそろっていた。しかし、ローレンツの相対性理論は、ガリレイの相対性原理と関連することなく、それとの関係をあいまいにしたまま、電磁気学だけに限定されたものであった。また、ローレンツ収縮や局所時間が、どうしておこるかの説明は納得のいくものではなかったのである。
相対性理論の形成過程におけるローレンツは、ニュートン力学の形成過程におけるケプラーと対応するのだと思う。ローレンツがつかんだ相対性理論の核心はさまざまな偶有性につつまれていたのである。
『神は老獪にして…』(アブラハム・パイス/西島和彦監訳)に、次のようにある。
大問題は、もちろん二つの基本原理の両立性の問題であった。それについてアインシュタインは、1907年の概説論文の中で、次のように言った。「驚くべきことに、最初にあげた困難[すなわち、マイケルソン‐モーリーの実験のことで、アインシュタインはこの1907年の論文の中で初めてこれに言及した]を克服するには、時間の概念を十分に正確に定めることが必要なだけであるとわかった。ローレンツによって導入され、“局所時間”と命名された補助的量が、純粋で単純な“時間”としてはっきり規定される、という洞察が必要なことのすべてであった。」
「局所時間」を「純粋で単純な“時間”」として規定することは、相対性原理を電磁気の法則だけでなく力学にも拡張することを意味している。ガリレイの相対性原理を正しいものとして前提せず、物理学のすべての法則に対して、相対性原理を要請することが求められたのである。電磁気学で成立している「相対性原理」と「光速度一定の原理」を力学にも拡張することができるのか、この姿勢がアインシュタインとローレンツを区別したのである。「相対性」と「光速度一定」の意味と価値が「局所時間」をきっかけにして、変容しはじめるのである。
ローレンツとアインシュタインの違いは、マックス・ポルンが過不足なく指摘していると思う。ボルンは1955年のベルンにおける講演でホイッテイカーの見解を批判して、次のように論じているという。(安孫子誠也「アインシュタイン相対性理論の誕生」参照)
①ローレンツ自身がアインシュタインを相対性原理の発見者だとみなしており、さらにローレンツは生涯にわたって絶対空間と絶対時間の概念を放棄しようとはしなかった。
②アインシュタインの一九〇五年論文の刺激的な特徴は、ニュートンの公認された哲学、すなわち空間と時間に関する伝統的概念に異議申し立てをした勇敢さなのである。
アインシュタインはある手紙の中で述べている。
特殊相対性理論の新しい特徴は、ローレンツ変換の振舞いがそのマクスウェル方程式との関連性を超えて、時間と空間の本性に関係していることを明らかにした点である。もう一つの新しい結果は、「ローレンツ不変性」こそは、あらゆる物理理論にとっての一般的条件だという点である。
アブラハム・パイスは、次のようにローレンツを紹介している。
私がローレンツを理解しているところでは、彼は理論物理学における指導者であり、特殊相対性理論のあらゆる物理的、数学的面を完全に把握していたが、それにもかかわらず、最愛の古典的過去にすっかり別れを告げることができたわけではなかった。この態度は自我の葛藤とは何も関係がない。そういうものは彼にとっては異質のものであった。アインシュタインとポアンカレは常に彼を賞賛し、ローレンツは常に返礼した。そしてまた彼はどこで誤ったかをはっきりさせるのをためらわなかった。「[特殊相対論の発見にあたって]私の失敗の主な原因は、変数 t だけが真の時間と考えうる量で、私の局所時間 t’は補助的数学量にすぎないとみなさねばならないという考えに、私が執着したことであった」と彼はコロンビア講義の第2版の付記に書いた。
「[特殊相対論の発見にあたって]私の失敗の主な原因は、変数 t だけが真の時間と考えうる量で、私の局所時間 t’は補助的数学量にすぎないとみなさねばならないという考えに、私が執着したことであった」。感動的な自己評価だと思う。
これに、アインシュタインの自己評価を対置してみよう。「ローレンツによって導入され、“局所時間”と命名された補助的量が、純粋で単純な“時間”としてはっきり規定される、という洞察が必要なことのすべてであった」。やはり感動的である。
ローレンツとアインシュタイン。二人の違いは、ケプラーとニュートンの違いに対応すると思う。
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