北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

札幌に住むおやじが北海道を中心に鉄道旅の話題や無線の話題も織り交ぜてぼやきます。アマ無線のコールサインJA8HBO

新幹線の開通を祝う気分にはならない

2015年11月12日 | JR北海道 JR北
名寄新聞の記事の一部である。取材した記者氏は私の良く知る人でもある。
氏もこのような記事は出来れば書きたくないはずの、熱心な鉄道ファンである。

函館周辺では、やっと来年3月の新幹線開通のお祝い気運が高まってきたようだが、北海道のほとんどの地域ではそんな気分ではない。
減便・減車・廃線等々、次々と打ち出される唐突ともいえるJR北海道の合理化提案への対応に苦慮するばかりだ。
「時間をかけて地元の理解を得て」と言った趣旨のことが再生会議の提言書に書かれているが、この夏以後のJR北海道の動きは、これに沿ったものとは思えない。

JR東日本から人材の派遣を受けたのは「安全運行の確立」のためではなかったのかと思うが、最近はそれが霞んでいる印象を持つ。
 私は、安全運行の確立のためには一定の資金が必要だから、合理化を進めていると理解している。
ところが、最近の急激な合理化案を見ていると経営を改善して資金を得ること自体が目的なのかと受け取らざるを得ない。
どうも手段・方法が目的化してしまい、肝心の目的である安全はどこかに消えて行っている感じもするし、以前より安全が確立されたと肌身で感じることが出来ない。
大雨や猛吹雪が予想されると、いとも簡単に運休を発表する。列車を走らせなければ事故も起きないのは当たり前のことだ。これをもって安全になりましたといわれても、苦笑してしまうだけだ(´・ω・`)。
また、社員の一部には相変わらずモラールとモラルが欠けた人たちもいるようだ。
 私個人としては、北海道の鉄道は従前から安全性に劣るとは考えたことも感じたこともない。
偶然、続いて起きてしまった老朽車両の故障、出火事象を合理化の理由付けにしているのではないかと勘ぐってしまう。まあ、それはないだろうが・・・。
 赤字必須の新幹線という身の丈以上のものを与えられて右往左往しているのが、今のJR北海道ではないのか。
実は、本当に札幌までなんて来るわけがないと思っていたのではないかと感じることもあった。札幌駅の新幹線ホームの問題がそれである。
 今、経営陣の方々は周りが見えなくなっていると感じる、特に東日本から来た方々は、早く本社に凱旋したくて功を焦っているようにしか思えない。
やはり、JR北海道のことはわれわれ道民が自ら考え解決していかなければならないと考える。


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長万部発札幌行き2953D、また乗ってきました

2015年11月12日 | JR北海道 JR北
8日、こだわりの一日散歩きっぷも終わりが近いので(当日は来年度も無いと思っていた)この切符で乗った初めての山線列車2953Dの乗り納めのつもりで出かけました。
最寄駅で、すっかり顔なじみになった駅員さんの迷惑も顧みず(笑)世間話を少しして小樽行きに乗車。
小樽までは行かずに銭函で下車して下りの電車に乗車。なんと久しぶりの通称アルミ缶・735系。ツルンとした側面がシンプルで良いですが、側面が厚いせいか、733から見ると多少狭い感じです。

わずか一駅乗って、ほしみ駅で下車。ほしみ発の岩見沢行きに乗ります。車両は733系で、先ほど銭函の側線に待機していました。ほしみ発着の電車は全て銭函まで回送されて側線に入ります。

733系で岩見沢に着いて、いつものようにキヨスクで昼食を調達しました。以前は駅前の蕎麦屋で食べたものですが、区画整理で無くなってしまいました。
一見では入りずらい雰囲気の店でしたが、安いのが魅力でした。

さて、苫小牧行きのキハ40に乗車。追分で夕張詣で、新得まで行って特例区間を特急おおぞらに乗ってきたのり鉄君たちを飲み込んで、定刻に苫小牧に到着。
追分で乗り込んできたお仲間?の中にツイッターのフォロワー君もいたのですが、とうとう遭えずに終わりました。
変わり者の私も、独りになりたくて鉄道に乗り歩くので、遭わずに終わったのは本音で言うと良かったかなと言う気持ち(^^)v。

苫小牧では、かっとび143に乗り換えて東室蘭まで行きましたが、予定の長万部行きまで1時間半も空いてしまいます。来年の3月からは、すぐに乗り継いでいくことになりますが、今回はそこで登別行きに乗り、すこし戻って、同じ車両キハ40で東室蘭へ戻りました。

いつもの17時39分の長万部行きに乗車。



平日や土曜は学校帰りの高校生で満員ですが、日曜日の今回は部活帰りの生徒たちが少々といったところ。その彼らも豊浦でほとんど降りてしまいました。
実は来春から、この便は豊浦までの運行となってしまいます。これは仕方がないと思いますが、次の礼文や大岸で降りた生徒もいたので、心配です。
長万部に着くと向かいホームに札幌行きが停まっています。初めて乗ったときは、ほんとうに札幌まで行くのかと心配になったものでした。函館生まれの私にとって長万部は、ほぼ函館なので、ずいぶんと遠くに来たものだと感じていたのです。それは今でも変わりません。
初めのころは緊張感がありました(笑)。

冬の風物詩である、山線の積雪対策用に苫小牧から転用されたキハ150-100番台の2両編成は、5名ほどの乗客を乗せ、150の小型高出力エンジン特有の軽やかな音を響かせながら札幌へと走り出しました。
東室蘭で入手した弁当を食べながら、いろいろと考え事をしているうちに静かな倶知安駅に到着です。
季節によってはそれなりの乗客が乗ってくるのですが、今回は二人ほど。この便も減便の対象になるのかと思っていたのですが、平日は高校生もいますし、長万部から苗穂まで車両を回送することを兼ねた便なので存続するようです(現在の情報によると)。
然別では大好きなキハ201と交換しますが、さすがに日曜の夜で車内に人はまばらでした。
昼間、あれだけ混雑している余市でもほとんど乗降がなく、塩谷で上りと交換。
で((+_+))交換した車両にビックリ。暗かったので、見間違いもあるかと思いましたが、日高本線用のキハ40-350番台だったのです。当分は運休が続き、場合によっては廃線も噂される日高本線用の車両は、こんなところでも使われているのかと驚くと共に、日高本線の行く末が心配になりました。
JR北海道によると、10両のキハ40-350は塩害による老朽化が進んでいるとされるので、もし日高本線が復旧できても、鵡川より南の故郷を走ることはないのかもしれません。
さて、小樽ではキハ40が1両とキハ150が2両後部に連結されて、ワンマンの対応がされていない区間なので、車掌が乗務し、5連で札幌へ向かいます。





最寄り駅には23時45分頃に到着、泊まり勤務の駅員さんに挨拶をして、帰宅の途に着きました。








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