北のとうさんの鉄道旅・アマチュア無線JA8HBO

札幌に住むおやじが北海道を中心に鉄道旅の話題や無線の話題も織り交ぜてぼやきます。アマ無線のコールサインJA8HBO

秋分の日の三連休散歩切符の乗り鉄

2013年09月24日 | インポート

9月21.22.23日は好天に恵まれ、去年まででしたらせ「三連休おでかけパス」の普通列車用を使って遊びに出かけたものですが、今年から特急用しかありません。
そこで、一日散歩切符で21日は近場をぐるりと周ってノンビリ。
23日は長万部経由で札幌に戻るという、久々の長距離旅を楽しみました。
●21日
一旦岩見沢まで行ってから室蘭本線で苫小牧までキハ40の旅。苫小牧からキハ143で富浦(登別の隣の駅)を往復して札幌へ戻りました。
特に何かあったという事もなく、水産加工場の多い富浦での10分間が、きつい匂いで困ったくらいでした(ー_ー)!!。Dscf3562
当日は、函館本線の貨物列車脱線の影響で、臨時特急Dscf3549 が走っていましたが、苫小牧駅でキャッチできました。

札沼線から711系赤電車と交代で苫小牧に入った143も、一時は酷い錆と塗装の剥離状態でしたが、大分改善され、エンジンの音も、なんとなくスムーズになってきたようです。札沼線の短い駅間距離では加減速も多く、高回転で使うことも少なかったのではないかと思うと、現在の路線では思ったより長く使えるかもしれないと宗旨替えしました。
ただ、車体の耐久性に心配はありますが・・なにしろ潮風がきついですからね。
帰りは、いつものように苫小牧発16時52分の手稲行き(733系)で帰宅しました。ただ、ダイヤが乱れているようで、北広島でのエアポート乗換えが出来なかったようです。・・ようですとは、私はエアポート嫌いなので(笑)

●23日
一旦銭函までもどり、側線の735系をパチリ。このあと、ほしみからこれに乗ります。Dscf3567
その後は21日と富浦まではだいたい同じで、そのまま東室蘭まで乗って行きました。21日はキヨスクの弁当でしたが、23日は久しぶりに北欧のパンを買い込んで苫小牧までパクパクやっていました。
苫小牧では線路の整備工事をしていましたが、見かけた乗客が「あれ、今頃あわててやってるよ」と小声でつぶやくのが聞こえ、何か残念な気持ちになりました。見たところは軌条幅の調整ではなく、単純に線路沿いの排水工事か何かでしたが・・・・。今は何をやってもいろいろ言われますね。

 さて、東室蘭ではセイコーマートに料金の払い込みに((笑))近くでやればよいものを、わざわざ東室蘭(*^。^*)。
駅のキヨスクで弁当を買ったり、書店で立ち読みしたりして時間を潰し、速めにホームに入りました。
ホームを行ったり来たりして写真を撮りましたが、17時で曇りということもあり、すっかり暗くなりました。さすがに秋分の日です。Dscf3579

長万部行きは、平日と土曜は高校生で混みますが、当日はさほどでもなく、豊浦では前後の車両に数名づつとなり、礼文では、とうとう私一人だけになってしまいました。
その状態で19時28分に長万部着。
長万部からは19時46分発札幌行きの最終列車。まあ10年ほど前に、これに乗ったのが鉄道に目覚めたきっかけになったのですが、何しろ空いているのが特徴です。Dscf3597
本来、長万部から北は小樽行きがほとんどなのですが、この列車は、札幌の苗穂車両所へキハ40.とか150を整備のために回送する役割もかねています。したがって、前2両には客を乗せますが、小樽まで後部の車両は締め切りとなっています。
当日はキハ40が3両でした。
さて、定時に「2名」の乗客を乗せて発車、途中の熱郛で珍しく一名乗車して、倶知安までは3名といった状態でした。いつもですと余市辺りでかなり乗ってきますが、当日は本当に少人数でした。Dscf3584
列車は、小樽に到着すると、後部に回送を兼ねた車両がさらに連結され、全ての車両に明かりが灯り、乗客を乗せます。
この列車は小樽発下りの最終列車ということになります。

小樽ではキハ40が1両と150が2両連結されました。合計で6両。
ディーゼル車の6両連結というのはそんなに見られるものでもなく、発車間際まで、小樽の4番ホーム(裕次郎ホーム)でカメラ片手にうろうろでした。6
土曜日あたりですと、小樽で食事をした酔客で満員になるのですが、さすがに三連休の最終日の夜とあって、まさにガラガラの状態で小樽を23時に発車しました。
帰宅したのは23時50分、パジャマに着替えてさっさと就寝しました。


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恒例のSLニセコ号

2013年09月17日 | インポート

Photo_2 9月16日、毎年恒例のSLニセコ号を蘭島駅で待ち構えて撮影しました。あいにくの雨でしたが、駅の階段の下で雨をしのぎました。
なお、当日は車で行きましたが、日を改めて乗りに行きたいものです。Photo
1


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3日間道内一周の旅

2013年09月13日 | 旅行記

三連休お出かけパスの利用にも参考にしていただきたいと書きました。
昨年、60歳となったのをきっかけに、JR北の悠遊旅倶楽部に入会。一年間は使うことも無く経過し、先日継続の手続きをしたのを機会に、会員パス
9800円を購入しました。
北海道内3日間特急乗り放題の旅が出来るということで、かなり欲張って無理な日程を組んで出発しました。
第一日目●Dsc_0010_2
札幌を7時48分に出るS宗谷1号で稚内へ。途中抜海付近では減速運転となり、利尻島を眺めることができ、車掌さんの簡単な観光案内もあります。Photo
稚内には定時に到着。
改装なった稚内駅にびっくり。シネコンもあったりで、ほとんどショッピングセンター状態。建物の管理は稚内市で、駅舎はJRが借り受けているとのことです。
約1時間滞在後、運休している特急サロベツの代走となる臨時快速に乗車。キハ40の2連と思いきや、当日は全部にキハ400-501が連結、要するにお座敷列車。Dsc_0041_2
定員が32名と少ないのが難点で、案の定満席となり、後部のキハ40に乗客が移ってきました。特急の代走としては不合格ですね。Dsc_0037
旭川には定時17時55分に到着し、弁当を買って、気温の低くなってきたホームで食事。その後オホーツク7号で網走まで。
今回の旅で唯一の自由席なので心配でしたが・・・・・・・ガラガラでした(●^o^●)Dsc_0076
北見からは車両に私ともう一人だけとなり、23時に到着した網走で、オホーツクから降りたのは5名ほどでした。そのまま駅前のホテルにチェックインして就寝。


第二日目●Dsc_0085_2
朝は珍しく、ホテルの簡易朝食を頂いて、10時1分発の釧路行きの「快速しれとこ」に乗車。
思いの外乗客が多く、少し驚く。途中の清里町で交換の便(しれとこ)が鹿を撥ねたとのことで若干遅延。
運転手さんのお話では、北海道内では昨年度、1300件の鉄道と鹿の接触があり、そのうち半数以上は釧路・根室管内とのこと。

撥ねて死んだ鹿は、運転士が一旦線路外に除去して、後刻に保線係員が処理するとのことでした。
さて、釧路湿原も通過し、快速は釧路に定刻13時19分に到着。
本来ならここで乗り継ぐ「Sおおぞら10号」があるのですが、一連の車両故障の影響で運休中。(本来は原因も判明し修理も完了しているのですが、官僚の不作為と事なかれ主義により運休継続)
 さて、一つあとの12号まで、約3時間が惜しい。
そこで、「くしろ湿原のろっこ」に乗車。塘路まで1時間弱かけて走りますが、あいにくの小雨ですし、何度も通った湿原なので、完全に時間つぶし。
車内でピンバッチを買ったりして(●^o^●)。Dsc_0138
富良野とあわせてノロッコは2つになりました。
塘路からはキハ
54の定期列車で釧路に戻って、夕食用に弁当を買って、やっと16時17分の12号キハ283系に乗車。
ドアの目の前の席で、ドアが開いたり閉まったり、隣にはマスクをした女性が苦しそうな呼吸。どうも、ここで風邪を罹患したようです(_)!!
南千歳で函館行きに乗り換えるのですが、狩勝付近で鹿と接触し20分の遅延発生。しかし、乗り継ぎのS北斗22号は南千歳で待っていてくれました。
S北斗281系は、ほぼ満席で、日曜というのにビジネスマンも多数乗車していました。やはり、札幌・函館の鉄路は大動脈です。
第3者検討会とか国交省も早めの結論を出さないと北海道経済に大きな影響を出しかねません。
 もうキハ183には見切りをつけるか、原因はともかく、早急にエンジンの積み替えをしたほうが良いですね。Dsc_0136
動きが遅くで見えない第3者検討会なるものが、本当に必要だったのか、単にJR北・北海道民を軽んじているとしか思えません。
さて、23時頃に函館着でホテルへ。Dsc_0150
第三日目●
朝は9時にはまっすぐ函館駅へ。私は函館出身なので「高価な朝市」にはまったく興味がありません。
函館駅構内には使用不能状態のキハ183183スラントノーズが2編成。臨時北斗用のニセコエキスプレスの車両も待機。
ホームの端へ行って一眼レフでパチリバチリとやりました。いつまで、この情けない光景が続くのか(--〆)
Dsc_0154 さて、前回運休で涙を呑んだ、10時27分発江差行きに乗車。当然キハ40の単行。ほぼ満席の車内にびっくりしながら木古内到着。
新幹線の工事も進み、新木古内駅の概要も確認できました。
正直、どれほどの乗降客があるのかなと心配になるような大きさでしたが(ー_ー)!!。Dsc_0196

いよいよ、江差へ向って出発。まさに草を掻き分けながらキハ40が進んで、湯の岱に到着、日本でも珍しくなったタブレットの手渡しがあるのですが、団体観光客が大挙して乗り込んで来て、良く見えませんでした。
通勤電車のようになった列車はそのまま江差に到着。私は一瞬車外に出ただけで、同じ座席で再び、木古内へ逆戻り。
5年前にきた時とは雲泥の差の人の数にびっくり。「来なければ良かった」
と思いながら、木古内て函館行きのS白鳥に乗車。Dsc_0226 Dsc_0214
車内がトイレの匂いで充満しているのには閉口したが、どうしたのかな。空調をフル回転させておりますとの車掌さんの言葉も湿りがち。

さて、函館からは15時18分のS北斗13号281系に乗車。通路側の席なのに、最後まで窓側は開いていて楽でした。
先月の大雨で路盤が崩れた東山・姫川間と八雲手前では復旧工事が行なわれ、かなりの徐行運転。特に東山・姫川間は排水溝の新設が行なわれていました。今度は大丈夫でしょう。
列車は5分遅れで札幌駅へ到着。帰宅しました。
Dsc_0251
あとがき●
間もなく北海道内の特急は10~20キロ程度の減速運転が行なわれますが、今回は「日本一早い在来特急」(北陸に例外はありますが)を体験したかったので満足でした。
根室本線の帯広以東は素人の私でも車体の揺れから、かなりの線路状態の悪さを感じました。
さすがに130キロは車体への悪影響は避けられないと感じましたので、出来るだけ早く路盤整備の手立てを構築して欲しいものです。
冬に凍上する、春には沈み込むの繰り返しの中では、減速運転はやむをえないかなとも思いますが、他の線区での一層の高速化とカーブでの高速化によって減速分はカバーできるのではないかと思います。
次世代の新型ハイブリッドもカーブの高速走行を今以上に期待できるのではないでしょうか。
すっかり、後ろ向きになったJR北海道が、新幹線函館延伸をきっかけに早く、再生して欲しいものです。
最後に、釧路・札幌間について一言言えば、片側一車線で、簡単に通行止めになるような高速道路もどき利用の都市間バスとの競争は、4時間を切らなくても十分に勝てる区間です。定刻・定期運転で十分に勝てます。
函館については、上がっている土俵が違います。ターゲット顧客も異なります。価格競争は必要ないのです。
新幹線との接続という意味でも速度の向上での差別化は絶対に必要でしょ

う。巷間ささやかれている?2時間40分はともかくも、3時間の定時走行を安定的に実現して欲しいものです。
函館方面、千歳・室蘭・函館の各線の状態は根室本線よりははるかに、条件も今の状態も良いのではないでしょうか。Dsc_0221

 


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JR北海道の減速・減便の理由

2013年09月12日 | インポート

Jr北海道は、11ダイヤ改正(悪)を行、特急の最高速度を時速130㌔/h)から110または120に減速すると発表した

 正直、日本の鉄道技術は欧米と比較しても水準である
しかし、ここ数年、JR北海道だけ事故が頻発してい印象がある。(多少はメディアのヒステリックな報道もあるかもしれないが・・・・)

ディーゼルエンジンは歴史のある技術であり、大小を問わず、保守が難しいとは思えない。
ところが、この間進めてきた高速・高性能化を突然に否定するような「減速措置」というのはどうして必要なのか。

ある方が「仮に危険があるのなら、どうしてすぐではなく11月から減速するのでしょうか書いていたが、このように??がある。

で、こうした点の背景にはJR北海道が置かれている苦境の構造があるということをアメリカのニューズウィーク紙の日本版のコラムに記載されていた

要約してご紹介したい

どうして北海道だけで事故が起きるのか

ほとんどの幹線が電化されておらず、ディーゼル車を走らせているという問 題があ。広大な土地でありながら札幌に極端な一極集中をしている北海道では、幹線と言っても電化はコストに見合わないからなのだ
だから、長距離の高速特急もディーゼルで対応せざるを得ない。このようなディーゼル高速特急列車というのは、世界でも珍しい存在で非電化区間の長距離特というのは基本的にはディーゼル機関車が客車を牽引するというのがほとんどで、JR北海道のような原動機を車両の床下に備えたディーゼル特急列車は珍しいということ

第2の問題。それは「高速化」という使命。機関車による客車の牽引では速度を出せない
北海道という広大な土地、そして高速道路や都市間バスとの競合などを考えると、JRのセールスポイントは高速化しかなくなる
そこで時速120キロとか130キロというレベル、しかも加減速性能もあって乗り心地も良いという性能を満たすには、ディーゼル特急列車という選択肢しかないということにな
「世界的にも珍しい」存在であるため、JR北海道は高速型のディーゼル特急列車の開発、製造、保守の多くの部分を自前で行わなくてはならなかった
その技術は基本的には優れたもので車体を自動的に傾斜させてカーブを高速で通過できる「振り子方式」をはじめ、旧国鉄時代から継承してきた技術は大変に独創的でユニークで高度なもの
第3の問題、「厳寒期の過酷な環境」。ここ数年、JR北海道で起きた事故に関しては、金属疲労が原因であることが多いよう
そう聞くと「老朽化した列車を『だましだまし』使っている」という印象を与えるが、それは違う
今回の事故の多くは、過去2回の冬、つまり2011年から12年の冬と、12年から13年の冬が2回連続して大変に厳しかったということに起因していると思われるようだ
特にこの2回の冬は、全道の異常低温、強風を伴う暴風雪など過酷な気象条件が続いた。その度に、ディーゼル列車の動力機構は非稼働時には極低温に、稼働時には高温にという温度変化を繰り返ことになった
また、軌道に埋め込まれた砕石(バラスト)の隙間に氷ができて、バラストがうまく振動を吸収できず、車両の通過時にはバラストと氷が舞い上がって車両の基本的な部品を損傷するという現象も起きてい
函館本線にしても、石勝線と根室本線にしても、あるいは宗谷本線にしても、限られた経営資源の中で、何よりも過酷な冬季の気象環境の中で、世界でもユニークな「振り子ディーゼル特急」を守ってきた、しかも最高時速130キロという運行をしてきたということ自体が、大変な「闘い」であった。
今回の減速措置というのは、とりあえずは、この先11月以降の厳寒期において車両の損傷を抑えるための措置なの
直ちに減速するほどの危険はない一方で、次の厳冬期にはとにかく車両の傷みを少なくする、そのことで向う数年間の安全運行をより確実なものにするための苦渋の措置ということが言えると思える
2016
年3月に北海道新幹線の新函館間延伸完成し、この時点で、JR北としては新函館を新たな始発駅として、新幹線に「リレー」する形で多くの特急列車を再編することになる
このタイミングを目指して、より安全で省エネタイプの新型車両を投入したい、そうした構想がJR北海道にはあり、そのためにも現有車両で残り3回の冬を乗り切って行かねばならない
今回の「減速運転」の背景にはそうした問題がある

今回緊急事態ということで、国の指導もあり、JR東日本が技術支援に入ったが、上場企業として本来の意味でのコンプライアンス、安全基準ということだけみれば、北は東に学ぶことは多いだろう
しかし、ここまで過酷な自然環境と経営環境の中で「苦闘」してきたということについては、JR東日本の技術者もJR北海道に学ぶことも多くあるはずなのだ。
Jr北海道の現状に関しては、弁解の余地はないし、公共交通機関として、発火発煙といった事故は絶対に許されるものではなく、その背景にある技術の伝承など「人災」という面があるのも事実です。
しかし、過酷な自然、とりわけ厳冬期の厳しさ、過度の札幌一極集中とその他地域の過疎化、高速バスや格安航空会社との過度の競合、そして余りにも先見性に欠けた分割民営化など構造的要因を考慮せざるを得ない。

以上の内容である。これからもJR北海道には、北国の鉄道文化を、何とかして守って行っていただきたいと思う。

 


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晩飯を作る

2013年09月03日 | インポート

Photo_2

家内の仕事が忙しいので、食事の仕度をした。
初日は娘の誕生日でちらし寿司。翌日は白菜たっぷりの中華丼。
まあまあの評価を頂いた(笑)
Photo


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