西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ワーグナー・楽劇「ラインの黄金」

2007-09-22 09:24:32 | オペラ
今日は、ワーグナーの楽劇「ラインの黄金」が初演された日です(1869年、ミュヘン)。
楽劇「ラインの黄金」は、周知のように4部作「ニーベルングの指輪」の第1作に当たります。当然のことながら、作者ワーグナーは、4部作完成後に、初演を行うことを考えていたが、それを許さない状況になってしまっていた。それはバイエルン国王ルートヴィヒ2世の登場によってだった。15歳の時に、ワーグナーの「ローエングリーン」に魅せられ、18歳の時早くも国王となったルートヴィヒ2世はワーグナーに使いを送る。1864年、ワーグナー51歳のことである。「あなたのこれまでの受難を償うため、私は力の及ぶすべてを尽くしましょう」との申し出を受け、前年来経済的苦境にあったワーグナーにとってはまさに奇跡が起こったと言っても言い過ぎではないことが起こったのであった。後にバイロイトに自作品だけを上演する劇場を作り、年来の夢を実現できたのもすべてルートヴィヒ2世の援助があってこそであった。そのような関係にある国王から4部作の第1作「ラインの黄金」の上演の強い希望があった時、これを拒絶することは不可能であった。かくしてこの日の上演となった。ミュンヘンの宮廷劇場での舞台稽古は見たものの、ワーグナーは初演には参加しなかった。翌年6月には、同じく第2作「ワルキューレ」が初演されたが、同様であった。これら2作の初演は、作曲者の意に反した非公式の初演と言うことになるだろう。この時点で、ワーグナーはまだ第3作「ジークフリート」を作曲している所であった。
この69年から70年にかけて、ワーグナーは多忙で実り多い年を送っていた。69年5月、若きギリシア文献学徒のニーチェがトリープシェンのワーグナー家を訪問する。翌6月には長男ジークフリートを得、ワーグナーは「生涯最良の日」と呼ぶ。70年には、彼の中でも最重要の3つの著作が書かれる。「指揮について」「ベートーヴェン」「わが生涯」である。1870年は、ベートーヴェン生誕100年祭の年にあたっていた。ウィーンで「第9」の指揮の要請を辞退して著したのがこの論文であった。そして70年の8月25日には、すでに3人の子供の親となっているワーグナーとコジマはルツェルンで結婚式を挙げた。この日は、ルートヴィヒ2世の誕生日であった。この年12月25日クリスマスの日の朝、コジマは静かな楽の音で目を覚ました。前日の誕生日を祝って贈られたワーグナーからの音楽のプレゼントであった。10数人の楽員は階段に並べられワーグナーの指揮で演奏をした。「ジークフリート牧歌」である。子供たちはこれを「シュテッペンムジーク(階段の音楽)」と呼んだのであった。



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