怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「ゆらぐ脳」池谷裕二・木村俊介

2014-06-15 20:46:24 | 
池谷裕二と言えばこのブログでも取り上げたことがありますが脳科学のトップランナーで活きのいい研究成果を分かりやすく伝えている本を書いています。
しかし、この本は自身があとがきでも書いてるようにちょっと趣が違います。
木村俊介という聞き手に、研究生活の裏側と言うか研究者の日々の仕事について、率直に語っています。

根柢のテーマは「ゆらぐ」ということなのですが、脳のゆらぎ、心のゆらぎ、科学のゆらぎを述べることによって脳研究の現在とともに脳科学ブームと言われている状況を俯瞰してみることもできます。
ところで著者は全く意図していなかったと思いますが、研究生活の裏面をぼやくことで現在のstap細胞騒ぎの裏事情の状況説明にもなっています。その意味では今回読んでまさにタイムリーでした。
研究者が研究者になるために一番大切なもの、それはプレゼンテーション能力。現役のサイエンティストは論文が一流科学誌(サイエンスとかネイチャー)に掲載されてなんぼ。研究成果が資金や社会的身分を左右し、学問の世界でも学閥や政治はある中で生き残っていくためには、研究成果を欧米の雑誌に発表することが必要です。そのためには伝える能力、プレゼンテーションが必須です。実験や発見ができても論文をかけなければサイエンティストではなく「オタク」のままで終わる。その重圧により生命科学の分野でも「研究や論文の偽造やデータのねつ造」はいくつも行われていた…やっぱりというか、何やら研究者の世界も大変です。
ちなみにプロの実験に必要な基礎資質は「器用」「丁寧」「要領」なのですが、研究の近道は「コミュニケーション」に尽きるとか。研究室に閉じこもる研究者はたいていダメな研究者。学会、シンポジウム、カンファレンス、ワークショップなどの積極的に出かけて活発に議論し、その後の懇親会にも出ることも大切。懇親会では幅広い分野の人に会うことができ時にはサイエンスの話題も出てきてお互いの最近の研究の状況を話し合う。そこに思いがけない刺激やヒントがたくさんあるのです。個人の視点は狭すぎて、成果が上がりにくい。研究や思考も必ず第三者の視点を必要としているのです。いろいろな場所に出ていくことは効率が悪いように見えるのですが、逆に大きな効果があるのです。専門以外の勉強をしないと言うことは合理主義なんですが、自分の分野の知見と異なる分野の知見の間のつながりや派生に気づけなくなる。派生に気づけないと言うことは発見がなくなるということで、サイエンスの世界では失うものが大きくて非効率的になる。
こうやって「プレゼン」「コミュニケーション」が大切と聞くとこれはビジネスの世界の話かと思ってしまいますが、どんな分野でも社会の中で生きていく以上同じような課題があるということでしょう。。
ところでよくあることですが、周囲が同じ行動をすると、類似した振る舞いをせざるを得ない雰囲気になる。これを「同調」というのですが、その時「みんな」って科学的に何人かと言うと3人とか。心理的には二人と三人では大きな隔たりがある…逆に言うとある人に同調させるためにはあらかじめ三人の意見をそろえる根回ししておけばいい…
間に入るコラムにも知的好奇心を呼び起こす話題がいっぱいです。
何か嫌な予感がするとか虫の知らせとかいわれる直観とは無意識の脳部位が厳密な計算によって編み出した結論だと最新の実験データが教えてくれる。
幽体離脱という現象は超常現象のように言われますが、実際に生じる脳の現象とか。偏頭痛やてんかん、ある種の薬物乱用などでは幽体離脱が生じるそうですが、健康な人でも特殊な装置を使うことで幽体離脱を体験できるそうです。幽体離脱の能力はいわば第三者の目から自分を客観的にみることであり、自己開発や自己修正、すなわち「成長」には不可欠な能力、つまり社会性を獲得するために重要な脳機能の一面なんでしょうか。
嘔吐ができる動物は限られていて(マウスもラットもウサギも持っていない)、そのための脳の回路を持っていなければならない。嘔吐できることによってとりあえず食べてみるという行動ができる(調子が悪くなれば吐けばいい)ことによって、目の前の見知らぬ餌を全部食べることができる。ネズミのようにちょこっとだけ食べて様子を見てみるということは必要ないので、その分優位に立てます。
紹介したのはほんの一端ですが、著者の開発した「多ニューロンカルシウム画像法」によって分かったこと分からなくなったこと、なんでも分子に還元する最近の分子生物学に対する違和感などがわかりやすく書いてあります。
特に科学知識も必要でなく、読みやすいので、暇な時に寝っ転がって読んでもいいでしょう。
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「どっこい大田の工匠たち」小関智弘

2014-06-13 09:06:10 | 
東京の大田区は関西の東大阪と並んで町工場が集積している町です。ほとんどが従業員3人以下の小さな町工場ですが、高度な技術を持っているところも多く、ここへ行けばどんなものでも作ることができるといわれています。まさに日本のモノづくりの拠点です。
それでも近年こうした街工場は激減しています。大田区で言えば8千ばかりあった工場が今では4千弱になっています。そこで大田区では従業員3人以下という小さなモノづくり工場で働く人を5年間で100人(実際には103人)を選んで「大田区の工匠」という名称で表彰しました。
その総合審査委員をしていた小関智弘さん(粋な旋盤工などの著書があり、自身も大田区の工場で長年旋盤工として働いています)が、その中でも選りすぐりの十数人の聞き書きをまとめたものです。

今更ですが、この本を読むとこんな小さな町工場なのですが、半導体などの最先端の製品の加工がここがないとできないという工匠たちの技術で成り立っていることがわかります。
工匠たちは自分の仕事に誇りを持ち、かつ不可能なことはないというぐらいに挑戦し、考え、工夫しています。金属加工の悉知さんは「仲間からは仕事の鬼だってよく言われましたけれど、なあに仕事の仏ですよ。無理難題を持ち込まれたって、ちゃんと削って、納期には間に合わせてやるんだから。」と言います。
工匠たちはみんな新しい機械好きで、それでいてそれを自家薬籠中の物にするためには、徹底的に研究し、工夫しています。(旋盤などのいわばナイフである)バイトも自分で研ぎだすというのは当然。いろいろなものを組み合わせて誰もできないような超微細加工も溶接もしてしまいます。
大田区では一つ一つの工場で得意なことをもっていて、それぞれがネットワークを結んでいるので、それこそあちこちに声をかければほとんどのものは(例えばロケット。池井戸潤の「下町ロケット」は東大阪が舞台ですが大田区でも同じでしょう)できてしまう。実際そういったネットワークもできているそうです。原子炉の炉心の部品から微細な医療機器の部品まで大田区の町工場で作られているなんて信じられますか。
しかしそんな巧と言われている人でも、みんなそれぞれ修業時代とか下請け時代には理不尽な苦労を背負ってきています。それでも現状に満足しない負けん気で、努力に努力を積み重ね、考えに考え、工夫して誰にも真似できない独自な技術を身に着けています。逆に言えば考えもせず工夫もしなかった町工場なり職人は、下請け仕事に甘んじ中国などの低コスト製品に絶えず追われて疲弊し消えていくしかなかったのでしょう。負けん気とともにモノ作りが限りなく好きだったという面もあるのでしょうが。
私事ですが、父はしがない自転車屋でしたが、亡くなるまで工具を大事に持っていて、今となってはその大量の工具の始末に困るだけですが、自分なりに工夫して使い勝手の良いものに鍛えこんでいたのでしょう。誰も後を継ぐ者もいない中、工具も手入れされることなく錆びていくだけです。
小関さんの聞き書きは工匠に対する尊敬の念があふれ、技術的なことはよくわからないところもあるのですが、技術にこめた情熱と拘りがよくわかります。若干自分のことを語りすぎているきらいがあるのですが、自分の経験にひきつけ咀嚼しているので、素人の読者にもよくわかるようになっているのでしょう。
日本のモノ作りはまだまだ健在です。でも、どこも後継者には悩んでいるところがあって、これからあと何年このモノづくりの技術が健在なのか不安です。もっともっと技術に対する尊敬の心がないとなかなか後継者が育たないのでしょう。下請けとして苛められている零細企業というのではなく、オンリーワンの技術を持ち経済的にも社会的にも恵まれている姿がモデルにならないといけないのでしょう。
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今日の干物はカマス

2014-06-10 11:42:05 | Weblog
夜の8時前にイオンの魚売り場を覗いたら、カマスが淋し気に横たわっていました。
当然ながら、もう鮮魚売り場にはほとんど並んでいなくて、カマスも半額シールが貼られていました。198円のものが98円のものと298円のものが148円のものが並んでいる。あまり大きなものはいらないので98円のものを選びたいのですけど3匹しかない。この時はカードも買い物袋も持っていなかったので、買い物袋を取りに出直すことに。
ところが鮮魚売り場に戻ってみると、すでに98円のカマスは2匹売れていて1匹しか残っていない。仕方なく家族4人分で148円のカマスを3匹と98円のカマスを1匹買ってきました。お茶を引いて寂しげだったはずなのに、すぐに誘惑に乗っていなくなる。この浮気者~気が付いたら即断即決しないと。

今回はすでにはらわたは取ってある調理済なので、まずは塩を少し振って軽く洗います。

ペーパータオルで水気をよくとってから、出刃包丁で開いていきます。
まな板が汚れると嫌われるので、まな板の上に新聞紙を敷いて、血などでまな板が汚れないようにします。調理後新聞紙は当然ながら捨てるので、まな板は血糊で汚れません。まあ、これもちょっとした生活の知恵・・
ところが久しぶりの調理だったせいか、開いていく時に包丁がどうもおぼつかない。本当は骨に沿ってごつごつと当てる感覚で行くのですが、調子よく包丁が進みすぎると妙に片方の身が厚くて片方は薄い。これではいけないとやり直すと身がギザギザに。未熟者でした。

悪戦苦闘して何とか4匹を開いて、ここでもう一度ペーパータオルを取り出し、身についている汚れをふき取ります。
ここでボールに塩大匙1杯、酒大匙半分、水を500㏄入れて、よくかき混ぜ塩が解けたらカマスを漬けます。

漬け時間は1時間くらいかな。もう少し濃い場合は短めでいいですし、ここらあたりは適当です。干し上がってすぐに食べる時は薄めのほうがおいしいと思います。
もういいかなと思ったらベランダに干します。

この季節、一夜干しで程よく乾きます。
カラスに狙われる場合は網で干してください。我が家は5階なのでハエとかは気にすることはありません。
朝起きたらちゃんと乾いていました。
夕飯の時に焼いて食べましたが、塩加減もよく、カマスは顔に似合わず淡白で美味しかったといっていいでしょう。

ちょっと焼いたときの見かけは悪かったのですが、これは包丁さばきの未熟のせい。でも味には関係ありませんでした。
干物もやっぱり干したてが一番です。
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6月7日8日木曽上松「さわぐち」合宿

2014-06-09 07:41:56 | テニス
木曽上松の「さわぐち」合宿は今回野暮用で参加しなかったのですが特派員のヤッターマンから報告がありました。 
6月7日、8日と恒例の合宿に参加しました。
今年は早々と梅雨入りしたのでお天気が心配だったのですが、予定通り土曜日の10時には名東区役所集合のメンバー3人(中島、服部の澤口常連メンバーと森の熊さん)を載せて出発。名古屋は曇り空でしたが、高速を進めていくとほどなく雨が当たり始め、中津川ICをおりて19号に入ってからも中々やむ気配は無し
元越のドライブインで休憩後は本降りに。しかし、中津川を過ぎて長野県に入ると結構止み間も増えて、上松バイパスに入るころには上がり始めました。12時過ぎに上松駅傍のいつもの食堂に入ろうと思ったのですが、なんと満員。仕方なくほかの食堂を探して、小汚い○○食堂に入って注文しようとしたら、肉 がなくなったのでかつ丼などの肉が入ったメニューはできないとのこと。もちろん日替わり定食もできない。おまけに、ラーメンも2杯、焼きそばも2食分しかできないとのこと。仕方なく4人でラーメンと焼きそばを分け合うことに。もちろん具の中には肉は無し。それでも650円と550円を取られて、早々に澤口に行こうと店を出ました。
駅前に寄ってみると、JR東海のさわやかウォーキングの開催会場のようでテントで特産品や軽食も出ていましたが、後の祭りです。どうやらいつもの店はさわやかウォーキングのおばさん達に占領されていたようです。13時前には澤口に到着。丁度、BBさんも到着したところでした。
この日は森林ボランティアの人たちとバッティングしていて、車も満車。無理やり とめさせてもらって宿に入ると、早速ビールです。何せ、車の中でほかの3人は缶ビールを1本ずつ開けているので、飲んでいないのは私だけです。よく冷えた瓶ビールを2本空けてから、テニスです。
コートに入ると、少し湿った感じはあるのですが、全然OKです。さすが澤口です。お天気も晴れ間が出てきて、程なく暑いくらいの状況になり、それでも恒例の服部教室は、長老(72歳)に敬意を表して、他の4人がガマンガマンで頑張りました。その後は5人で試合をすることに。最終は16時半頃まで頑張ったと思います。
その後は、風呂めしと続くのですが、夕食は6時。当然時間が余るので、夕食前まで部屋で宴会です。もう1人の大長老が不参加なので、日本酒や焼酎がないので、ビールのみで進め ます。夕食はいつものようにバーベキュー。他は全部森林ボラですから外は我々だけ。チョットさみしい感じでお酒も余り進まなかったので(それまでにビールはかなり飲んだので)陽が暮れる前に終了。その後、囲炉裏は森林ボラに占領されているので、仕方なく部屋で飲み直し。しかし、この日は飲んべーが居なっかったこともあり21時前には終了して寝ることに。
 当然、早く寝たら翌朝は早く目が覚めます。翌日は5時に起きて、恒例の散歩に行くことに。この日は、灰沢鉱泉方向には向かわず、国道の方へ。20分ぐらいかけて国道まで下りてみて、少し高台へ上がると、木曽駒がきれいに見えました。その後、国道を赤沢美林方面へ登って行くと川の対岸の上の方に泊まっている澤口が見えました。いつも澤口から見える向かい側の集落は何処なのか気になっていたのですが、結構行くのは大変でしたが、眺めは中々のものでした。
6時15分過ぎには戻ったのですが、朝食は7時半。7時からはまず森林ボラの人たちです。テレビを見るなどして時間をつぶしてから朝食会場へ。おいしい御飯でこの日もお替りしました。空気がおいしいと御飯もおいしいからでしょうか。
ゆっくりしてから、それでも8時半にはコートに。この日は昨日よりも天気が良く、午前中ずっと青空一杯でした。休憩のたびに空を見上げていると、ここは結構、旅客機の飛行ルートのようで30分ぐらいの間に7~8便は通ったのではと思うぐらいよく確認できるほど、天気はピーカン。すなわち暑い。
それでも、この日も5 人で試合を続け、11時まで頑張りました。それにしても72歳の長老は今でも週2~3回テニスをするだけあってすごいタフ。それに講釈を言うだけあって、我々と違って力は入っていないのに球が伸びてきて打ちにくいのです。恐るべし72歳です。見習わないといけません。それから、風呂に入って昼飯を食べ終わったころになって雨が降り出しました。山の天気はわかりません。しかし、2日間しっかりテニスができ、1人8,300円で清算し、帰宅しました。        
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花火は無事終了

2014-06-07 07:58:37 | Weblog
午前中は曇りで雨は降っていなかったのですが、昼過ぎから突然の雨。
結構激しい雨でした。
こんな天気でも無事行われるのか不安だったのですが、5時ぐらいからは雨も徐々に止んできました。
6時には狼煙玉?が打ち上げられ、ドーンという音にちゃんと花火をやるんだとちょっとほっとしました。
こんな天気の日に打ち上げるのには花火が湿気らないようにする必要もあるし地面はびしょびしょだろうし大変な苦労があったと思います。
花火は正確に7時40分から打ち上げ。
ベランダに出て見ていましたが、わが家からはちょうどマンションとマンションの間に打ちあがるので、よく見えます。思うにこのマンションを買うときにも東の角部屋か西の角部屋かと迷ったのですが、熱田祭りの花火を見るなら西かなと決めたものです。引っ越してから西側にどんどんマンションができたのですが、幸いなことにうまくマンションの間を縫って花火がを見ることができます。
せっかくなので写真を撮ろうとデジカメを出してきたのですが、デジカメは反応が遅いのでうまく花火が開く時に撮ることができません。

何回も撮り直したのですが、こんなもんしかできませんでした。
花火は8時30分までですが、最後の2分くらいは連発であがり一番派手な花火でフィナーレ。

時計を見つつカメラを構えていたら8時39分から8時41分までの連発フィナーレでした。

今年も夏が始まります。
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順延になった熱田祭り花火は6日に予定通りやります。

2014-06-06 08:22:28 | Weblog
朝起きると意外なことにいい天気
昨日は雨で熱田祭りの恒例の花火は順延。予報では6日も雨模様だったのでどうなることかと思っていたのですが、これならばいいか。
予報を見ると曇りで18時ごろ弱い雨でしたがこの際多少の雨でも決行しないと世間が許さないというかせっかく準備してきた人たちの金と努力が無駄になってしまう…
それでも決行ならば8時過ぎには空砲と言うかのろし玉と言うか打ち上げられる音がするはずですが、聞こえない。
熱田神宮のホームページを開いてみると予定通り行いますとのお知らせがアップされていました。よかった。これで夏を迎えられます。
19時40分から20時30分までですから夕食後に地下鉄で出かけれる人はどうぞ。西高蔵で降りればいいのですが、道路で立ち止まって見るしかないので日比野で降りて対岸の白鳥公園から見るのもいいですね。
私が小学生の頃はあまり規制もうるさくなくて神宮公園の打ち上げるすぐ下まで行けたので燃え残りがすぐ近くに落ちてくるとこで見ていたことがあったのですが、今ではとんでもない話ですね。当然ながら神宮公園は入れません。でも真下で見る花火は本当に迫力あったのですけどね。初夏の遠い日の思い出です。
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熱田祭りの花火は6日に順延

2014-06-05 11:35:12 | Weblog
毎年6月5日は熱田祭りです。夜には神宮公園から花火が打ち上げられ、わが家からもよく見えます。
もちろん祭りは花火だけではなくて5日の10時からは神事が行われ、熱田神宮境内にはいろいろな露店の屋台が出ます。
日曜日の夕方に散歩がてら覗いたら、すでに準備は着々と進んでいて、鳥居の横には365の提灯をつるす巻き藁台(昔は船が堀川に漕ぎ出したそうですが、いつ頃からか多分堀川があまりにも汚くなってからだと思いますが取りやめになり今では鳥居の横に作られています。)の組み立て前の枠組みが置かれています。

参道には祭りの予定表の看板も出ていて、花火以外にはほとんど見たことないので、こんなにもいろいろやるのかとびっくりしてしまいます。熱田区民になって初めて知ったのですが、各学区ではそれぞれ分担が決まっていて警備とか清掃に従事するようになっているとか。

5時近くで日が陰ってから行ったのですが、参道には提灯がずらーっと並んでいて灯の点ったたそがれ時は人も少なく都会の真ん中とは思えない幽玄な感じがします。

ちなみに「こころの小径」を平日に歩くと人もいないので、いつもここが都会の真ん中かと思う気分になります。さすがに土日は結構人に出会うので行くなら人のいない平日の半端な時間帯がお勧めです。

一昨日も図書館へ行ったついでに(と言うと恐れ多いのですが)熱田神宮へ行ったのですが、すでに鳥居横の巻き藁屋台は組みあがっていて、後は提灯をつるすだけ。準備万端のようです。ついでに露店の屋台もほぼ完成して並んでます。

ところが天気が良かったのはその一昨日まで。昨日は東海地方も梅雨入りしてしまい、5日は大雨の予報。
早々と花火は6日に延期になってしまいました。
天気は6日も雨が残るみたいで6日にやるかどうかは朝8時に決めますとのこと。でも神事はちゃんと5日にやっているんでしょうね。この雨では露天商も商売あがったり…・花火だって6日も中止になるとせっかく準備したものが全部パー。我が家では5日は花火を見ながら寿司でも食べてと思っていたのに、でも5日はみんないるので花火なしで寿司をとる頃に。これも盛り上がりませんが、この日はみんな寿司モードになっているので今更止められませんでした。
どうせなら残っている「空」を全部飲んでやる。
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5月31日若宮の後はいつもの紫禁城

2014-06-02 15:52:57 | テニス
テニスを終わって、歩いて鶴舞ガード下へ。
鶴舞のガード下は順番に工事していて、紫禁城も西側からの入口は閉鎖中。回り込んで行かなくてはいけません。
席についてまずは生ビール。闘病中の1059さんは猫背気味のウッチーと一緒にウーロン茶。コートでビールを飲みすぎたのかタケちゃんマンは早くも「八海山」で乾杯。

青菜炒めにアサリの酒蒸し、餃子2人前。本当な全部2人前のつもりだったのですが、来たのは餃子以外は1人前。まあ、いいか。青菜炒めはニンニクが結構来ています。酒蒸しは中華の味付けでやはり寿司屋のほうがおいしいかな。
1杯目はすぐになくなり、タケちゃんマンは千寿をおかわり。私たちは生ビールから八海山へ。表面張力いっぱいまで入れてください。

豚肉のから揚げ甘酢かけも追加。
タケちゃんマンは早くも千寿を飲み干し、今度は寒梅を追加。それではと私たちは今度は千寿に。
料理はエビマヨを2人前。

さらに海鮮おこげを2人前。土鍋に入ったおこげに海鮮の具をかけるとじゅーっとなっていい匂いの湯気が立ちます。

〆は焼きそばを注文。
お酒を結構飲んでいたせいか勘定は2万2650円(のような気がする)と少し高め。リュウちゃんもお酒たくさんだからねと言い訳気味でしたが、一人3千円で足らない分は基金から出しておきました。
店を出るとちょうどバスが来るところで走って乗りましたが、バスに乗っているうちに冷酒が一気に回ってきて、家に帰るとヘロヘロで、歯も磨かず、風呂にも入らず寝てしまいました。ここでは信号無視もなく一応無事家にたどり着いたのでよしとしましょう。
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5月31日若宮大通り公園テニスコート

2014-06-02 08:01:48 | テニス
この日も暑い。30度を軽く超えそう。
OBさんは今日も仕事で来れないとメールがありました。ご苦労さんです。
暑い中、4時前に家を出て雁道のバス停へ。
バス停のちょうど前ではパトカーとトラックが止まっていて運転手が口論。暑い中で余計暑くなっています。

それにしてもバス停の真ん前では邪魔です。もう少しバス停から離れてもらわないと。
16時7分(実際には10分過ぎに来ましたが)のバスに乗って丸田町へ。
ところで丸田町の交差点を渡るときに暑さでもうろうとしていたのか、交差点で一瞬赤で何も通らなくなった時、青になったと勘違いしてゆっくりと交差点を渡ってしまいました。道路の真ん中でクラクションをならされて気がついたのですが、危うく事故になるところ。どうも最近ボーっとしてとんでもないことをしてしまうことがあるみたいで、自分でも怖いのですが、ついにここまでボケが進行してきた!
Aコートに着くとタケちゃんマンがいました。しばらくして1059さんも登場。45分ごろにはコートも空き、乱打を始めるとはげ親父も登場。そうこうしていると猫背気味のウッチー、森の熊さん、ヤッターマンと来て総勢7人
しばらく乱打をしてからじゃんけんして試合に。
5時ごろになるとだんだん西日にコートが照らされるようになって東側のコートは眩しくなってきます。

この写真で5時15分頃でしょうか。これからどんどん西日に照らされるようになります。
最初の試合ははげ親父と組んでタケちゃんマン、猫背気味のウッチー組と対戦。ここは2試合連続となる猫背気味のウッチーの動きが限界になったのか3:1で勝利。
この日の暑さは真夏(名古屋で33度を超えました)なので、みんなビールを飲む量も真夏並みに。

続いての試合は猫背気味のウッチーと組んでタケちゃんマン、ヤッターマン組と対戦。何とか太陽を味方にして1ゲーム取れないかと思ったのですが、0:3となりましたが、最後のゲームはコートを走り回ってやっとの思いで取り1:3としました。
6時前には西日がほぼコートの半分以上にかかります。

でも6時過ぎるとさすがの西日もビルに遮られ、ほんのり暗くなってきますが、西日が差している時よりも影響は少なくやりやすくなりました。
今度は森の熊さんと組んではげ親父、1059さん組と対戦。
ここは2:1として最後の1ゲームもジュースまでもつれたのですが、結局競り負けてしまい2:2の引き分け。
森の熊さんと組むといつも相性が悪いのですが、引き分けなので良しとしましょう。

6時30分前には終了して紫禁城へ移動。
続きはこの後で。
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