池谷裕二と言えばこのブログでも取り上げたことがありますが脳科学のトップランナーで活きのいい研究成果を分かりやすく伝えている本を書いています。
しかし、この本は自身があとがきでも書いてるようにちょっと趣が違います。
木村俊介という聞き手に、研究生活の裏側と言うか研究者の日々の仕事について、率直に語っています。
根柢のテーマは「ゆらぐ」ということなのですが、脳のゆらぎ、心のゆらぎ、科学のゆらぎを述べることによって脳研究の現在とともに脳科学ブームと言われている状況を俯瞰してみることもできます。
ところで著者は全く意図していなかったと思いますが、研究生活の裏面をぼやくことで現在のstap細胞騒ぎの裏事情の状況説明にもなっています。その意味では今回読んでまさにタイムリーでした。
研究者が研究者になるために一番大切なもの、それはプレゼンテーション能力。現役のサイエンティストは論文が一流科学誌(サイエンスとかネイチャー)に掲載されてなんぼ。研究成果が資金や社会的身分を左右し、学問の世界でも学閥や政治はある中で生き残っていくためには、研究成果を欧米の雑誌に発表することが必要です。そのためには伝える能力、プレゼンテーションが必須です。実験や発見ができても論文をかけなければサイエンティストではなく「オタク」のままで終わる。その重圧により生命科学の分野でも「研究や論文の偽造やデータのねつ造」はいくつも行われていた…やっぱりというか、何やら研究者の世界も大変です。
ちなみにプロの実験に必要な基礎資質は「器用」「丁寧」「要領」なのですが、研究の近道は「コミュニケーション」に尽きるとか。研究室に閉じこもる研究者はたいていダメな研究者。学会、シンポジウム、カンファレンス、ワークショップなどの積極的に出かけて活発に議論し、その後の懇親会にも出ることも大切。懇親会では幅広い分野の人に会うことができ時にはサイエンスの話題も出てきてお互いの最近の研究の状況を話し合う。そこに思いがけない刺激やヒントがたくさんあるのです。個人の視点は狭すぎて、成果が上がりにくい。研究や思考も必ず第三者の視点を必要としているのです。いろいろな場所に出ていくことは効率が悪いように見えるのですが、逆に大きな効果があるのです。専門以外の勉強をしないと言うことは合理主義なんですが、自分の分野の知見と異なる分野の知見の間のつながりや派生に気づけなくなる。派生に気づけないと言うことは発見がなくなるということで、サイエンスの世界では失うものが大きくて非効率的になる。
こうやって「プレゼン」「コミュニケーション」が大切と聞くとこれはビジネスの世界の話かと思ってしまいますが、どんな分野でも社会の中で生きていく以上同じような課題があるということでしょう。。
ところでよくあることですが、周囲が同じ行動をすると、類似した振る舞いをせざるを得ない雰囲気になる。これを「同調」というのですが、その時「みんな」って科学的に何人かと言うと3人とか。心理的には二人と三人では大きな隔たりがある…逆に言うとある人に同調させるためにはあらかじめ三人の意見をそろえる根回ししておけばいい…
間に入るコラムにも知的好奇心を呼び起こす話題がいっぱいです。
何か嫌な予感がするとか虫の知らせとかいわれる直観とは無意識の脳部位が厳密な計算によって編み出した結論だと最新の実験データが教えてくれる。
幽体離脱という現象は超常現象のように言われますが、実際に生じる脳の現象とか。偏頭痛やてんかん、ある種の薬物乱用などでは幽体離脱が生じるそうですが、健康な人でも特殊な装置を使うことで幽体離脱を体験できるそうです。幽体離脱の能力はいわば第三者の目から自分を客観的にみることであり、自己開発や自己修正、すなわち「成長」には不可欠な能力、つまり社会性を獲得するために重要な脳機能の一面なんでしょうか。
嘔吐ができる動物は限られていて(マウスもラットもウサギも持っていない)、そのための脳の回路を持っていなければならない。嘔吐できることによってとりあえず食べてみるという行動ができる(調子が悪くなれば吐けばいい)ことによって、目の前の見知らぬ餌を全部食べることができる。ネズミのようにちょこっとだけ食べて様子を見てみるということは必要ないので、その分優位に立てます。
紹介したのはほんの一端ですが、著者の開発した「多ニューロンカルシウム画像法」によって分かったこと分からなくなったこと、なんでも分子に還元する最近の分子生物学に対する違和感などがわかりやすく書いてあります。
特に科学知識も必要でなく、読みやすいので、暇な時に寝っ転がって読んでもいいでしょう。
しかし、この本は自身があとがきでも書いてるようにちょっと趣が違います。
木村俊介という聞き手に、研究生活の裏側と言うか研究者の日々の仕事について、率直に語っています。
根柢のテーマは「ゆらぐ」ということなのですが、脳のゆらぎ、心のゆらぎ、科学のゆらぎを述べることによって脳研究の現在とともに脳科学ブームと言われている状況を俯瞰してみることもできます。
ところで著者は全く意図していなかったと思いますが、研究生活の裏面をぼやくことで現在のstap細胞騒ぎの裏事情の状況説明にもなっています。その意味では今回読んでまさにタイムリーでした。
研究者が研究者になるために一番大切なもの、それはプレゼンテーション能力。現役のサイエンティストは論文が一流科学誌(サイエンスとかネイチャー)に掲載されてなんぼ。研究成果が資金や社会的身分を左右し、学問の世界でも学閥や政治はある中で生き残っていくためには、研究成果を欧米の雑誌に発表することが必要です。そのためには伝える能力、プレゼンテーションが必須です。実験や発見ができても論文をかけなければサイエンティストではなく「オタク」のままで終わる。その重圧により生命科学の分野でも「研究や論文の偽造やデータのねつ造」はいくつも行われていた…やっぱりというか、何やら研究者の世界も大変です。
ちなみにプロの実験に必要な基礎資質は「器用」「丁寧」「要領」なのですが、研究の近道は「コミュニケーション」に尽きるとか。研究室に閉じこもる研究者はたいていダメな研究者。学会、シンポジウム、カンファレンス、ワークショップなどの積極的に出かけて活発に議論し、その後の懇親会にも出ることも大切。懇親会では幅広い分野の人に会うことができ時にはサイエンスの話題も出てきてお互いの最近の研究の状況を話し合う。そこに思いがけない刺激やヒントがたくさんあるのです。個人の視点は狭すぎて、成果が上がりにくい。研究や思考も必ず第三者の視点を必要としているのです。いろいろな場所に出ていくことは効率が悪いように見えるのですが、逆に大きな効果があるのです。専門以外の勉強をしないと言うことは合理主義なんですが、自分の分野の知見と異なる分野の知見の間のつながりや派生に気づけなくなる。派生に気づけないと言うことは発見がなくなるということで、サイエンスの世界では失うものが大きくて非効率的になる。
こうやって「プレゼン」「コミュニケーション」が大切と聞くとこれはビジネスの世界の話かと思ってしまいますが、どんな分野でも社会の中で生きていく以上同じような課題があるということでしょう。。
ところでよくあることですが、周囲が同じ行動をすると、類似した振る舞いをせざるを得ない雰囲気になる。これを「同調」というのですが、その時「みんな」って科学的に何人かと言うと3人とか。心理的には二人と三人では大きな隔たりがある…逆に言うとある人に同調させるためにはあらかじめ三人の意見をそろえる根回ししておけばいい…
間に入るコラムにも知的好奇心を呼び起こす話題がいっぱいです。
何か嫌な予感がするとか虫の知らせとかいわれる直観とは無意識の脳部位が厳密な計算によって編み出した結論だと最新の実験データが教えてくれる。
幽体離脱という現象は超常現象のように言われますが、実際に生じる脳の現象とか。偏頭痛やてんかん、ある種の薬物乱用などでは幽体離脱が生じるそうですが、健康な人でも特殊な装置を使うことで幽体離脱を体験できるそうです。幽体離脱の能力はいわば第三者の目から自分を客観的にみることであり、自己開発や自己修正、すなわち「成長」には不可欠な能力、つまり社会性を獲得するために重要な脳機能の一面なんでしょうか。
嘔吐ができる動物は限られていて(マウスもラットもウサギも持っていない)、そのための脳の回路を持っていなければならない。嘔吐できることによってとりあえず食べてみるという行動ができる(調子が悪くなれば吐けばいい)ことによって、目の前の見知らぬ餌を全部食べることができる。ネズミのようにちょこっとだけ食べて様子を見てみるということは必要ないので、その分優位に立てます。
紹介したのはほんの一端ですが、著者の開発した「多ニューロンカルシウム画像法」によって分かったこと分からなくなったこと、なんでも分子に還元する最近の分子生物学に対する違和感などがわかりやすく書いてあります。
特に科学知識も必要でなく、読みやすいので、暇な時に寝っ転がって読んでもいいでしょう。