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怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

地球文明の寿命

2008-04-26 11:27:04 | 
これはある意味恐ろしい本です。
安田喜憲と松井孝典の対談というか、議論を進めていったものです。
安田喜憲は知っている人は知っていると思いますが環境考古学者といっていいのでしょうか(いろいろ本を書いていますが、入門編と言うか最初に読むといいのは「環境考古学のすすめ」かな)。気候変動と文明の盛衰について、何千年と湖に堆積した花粉の分析を通じた実証研究を端緒として、大胆な仮説を次々と出しています。松井孝典という人は今回初めて知ったのですが、惑星物理学者だそうです。
前半はもっぱら安田喜憲が、ある意味おなじみの論を展開していくのですが、日本人のルーツに関しても、家畜がいないことによって森が守られたことからも中国長江文明から流れた人が稲作をもたらしたと推測しています。人間は気候変動に合わせて移動をし、拡散し文明を作り、大規模な自然破壊が始まった。今の文明はストック依存型であり、鉄にしろ、石油にしろ、そして水までも過去の膨大な遺産というべきものをすごい速さで消費している。5年10年の視点ではなく、100年単位の視点で見れば早晩食い尽くす日が来ることは間違いない。
後半になると松井孝典の議論が多くなるのですが、その論は恐ろしいものです。江戸時代の日本はほぼフロー依存型だったのですが、それが成り立っていたのは人口が3000万人だったから。もし日本をストック依存から転換させようとしたら人口を4分の1にしなくてはいけない。平均寿命も40くらいで、乳児死亡率も高い社会を受け入れなくてはいけない。
20世紀のストック依存型人間圏の中で確立された概念である人権、民主主義、市場経済の発想では、破綻する。これらの概念は境界条件に制約のない右肩あがりの人間圏の拡大を前提としているのですが、地球の循環システムを考えるともう今後はありえないとしている。ここら辺は論に飛躍もあって簡単には首肯できないのですが、文明の発生から説き起こされると否定しがたい面もあります。
そこから出てくる論として「アフリカへの援助は問題を先送りするだけだ」「「カースト制のインドが21世紀の救済者になる」「人権を撤廃するなら100億人生きることも可能」などなど、恐ろしいものばかりです。現在のストック依存型人間圏がもうそこまで危機に瀕しているということなのでしょう。ちまちました環境保護活動といっていますが、私たちが本当に今の生活水準を切り下げる覚悟があるかというと、今やっているということはたぶんにポーズだけかもしれません。
思うに江戸時代というのは、停滞していたかもしれませんが、ほとんどストックを使うことなく環境にやさしい社会だったかもしれませんが、よほど切羽詰った大変動がない限り、そこに戻ることはできないのです。それでは人類は衰退していくしかないのでしょうか。
ビックバン以来の宇宙の歴史、地球の歴史、生命、人類の歴史から俯瞰してみてみると時代への見方が変わっていくものです。
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