福岡伸一さんの本、好きですね。読むと必ず知的興奮を覚えます。生物学の現在の最先端を本当にわかりやすく解説してくれます。
文系の一般の人(私です)にも分かりやすく書くということはすごい才能だと思います。
確か「動的平衡」を読んだ時もここに書いています。2も当然面白いだろうと読んでみましたが、期待を裏切りません。

動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラット・ローレンツはその動物行動の観察から一見すると利他的な行動は種全体の繁栄のためにプログラムされたものと理解していた。
ところがそこに真っ向から異を唱えたのがリチャード・ドーキンス。生命の唯一無二の目的は子孫=遺伝子を残すこと。遺伝子は徹底的な利己主義者で、自らを複製するために、遺伝子は生命の個体を乗り物にしているに過ぎない。私たちは遺伝子のビークルにすぎないと。今ではこちらのほうが主流の考えになっていて竹内久美子はこの考えをもとにあらゆることをセックスに結び付けて何冊も本を書いている。
しかし、この地球上に存在する生命をよく観察してみると、まだまだ説明できないことが多い。私たちは遺伝子の命令だけで生きているのではない。結婚しないこともできるし、子供を作らないこともできる。そのような可能性、可変性を持っている。遺伝子は音楽における楽譜であり、同じ楽譜でも指揮者や演奏者が変わると全く違うものに聞こえるように可変性があるのでは。遺伝子のスイッチのオンオフの順番とボリュームに変化によって生命は変わるのではないか。
例えば犬はセントバーナードからチワワまで多くの種類がある。ではそれぞれの品種の遺伝子はそんなに違うのか。この多様性を遺伝子だけ説明しきれるほどの違いはない。共通している遺伝子の動くタイミングや順番、ボリュームが異なるのではないだろうか。ヒトとチンパンジーの遺伝子の差はよく知られているようにほんのわずか。仮に遺伝子操作によって、チンパンジーの遺伝子をヒトの遺伝子にすべて書き換えても、チンパンジーはヒトにならない。では何がヒトをヒトたらしめれるのだろう。おそらく遺伝子のスイッチがオン、オフされるタイミングの差ではないだろうか。ヒトはサルのネオトニー(子どもの期間が長く、子どもの特徴を残したままゆっくりと性成熟すること)として進化してきた…
地球環境の視点から見ると、地球上に存在しているたくさんの生物たちは、あらゆる場所で、きわめて多様な方法で絶え間なく元素を受け渡している。これが地球環境の持続可能性を支えている。地球環境という動的平衡を保持するためには生物多様性が必要であり、動的平衡の強じんさ、回復力の大きさを支える根拠となっている。
卵が先か鶏が先かという論争では、これは、新しい生命の誕生はいつも変化を内包した卵から出発していることから、たぶん卵が先なんでしょうけど、ではその出発点のDNPとタンパク質の問題はどうなんだろう。かつて生命の始まりには今よりもっと多様な機能を持ったRNAがあり、情報担体と実行機能を行っていたという仮説がある。魅力的な説なのだが、単純な化学物質しかなかったはずの原始の海で、機能を持ったRNAが偶然の中から現れ出でるには膨大な試行錯誤の時間が必要なはず。最初の生命が誕生したのは今から38億年ほど前とか。地球の誕生は46億年前。その8億年の間に生命は誕生したのだが、生命進化の38億年と比べるとその8億年はあまりにも短いのでは。もしかしたら生命の種は宇宙から地球に流れ着いたのでは…
少し脈絡なく面白かったところを抜き出してみましたが、つたない要約から少しでも興味を持ったならぜひ一度読んでください。平明な文章でたくさんのエピソードが盛り込まれていて、知的好奇心を満足させてくれます。
文系の一般の人(私です)にも分かりやすく書くということはすごい才能だと思います。
確か「動的平衡」を読んだ時もここに書いています。2も当然面白いだろうと読んでみましたが、期待を裏切りません。

動物行動学者でノーベル賞を受賞したコンラット・ローレンツはその動物行動の観察から一見すると利他的な行動は種全体の繁栄のためにプログラムされたものと理解していた。
ところがそこに真っ向から異を唱えたのがリチャード・ドーキンス。生命の唯一無二の目的は子孫=遺伝子を残すこと。遺伝子は徹底的な利己主義者で、自らを複製するために、遺伝子は生命の個体を乗り物にしているに過ぎない。私たちは遺伝子のビークルにすぎないと。今ではこちらのほうが主流の考えになっていて竹内久美子はこの考えをもとにあらゆることをセックスに結び付けて何冊も本を書いている。
しかし、この地球上に存在する生命をよく観察してみると、まだまだ説明できないことが多い。私たちは遺伝子の命令だけで生きているのではない。結婚しないこともできるし、子供を作らないこともできる。そのような可能性、可変性を持っている。遺伝子は音楽における楽譜であり、同じ楽譜でも指揮者や演奏者が変わると全く違うものに聞こえるように可変性があるのでは。遺伝子のスイッチのオンオフの順番とボリュームに変化によって生命は変わるのではないか。
例えば犬はセントバーナードからチワワまで多くの種類がある。ではそれぞれの品種の遺伝子はそんなに違うのか。この多様性を遺伝子だけ説明しきれるほどの違いはない。共通している遺伝子の動くタイミングや順番、ボリュームが異なるのではないだろうか。ヒトとチンパンジーの遺伝子の差はよく知られているようにほんのわずか。仮に遺伝子操作によって、チンパンジーの遺伝子をヒトの遺伝子にすべて書き換えても、チンパンジーはヒトにならない。では何がヒトをヒトたらしめれるのだろう。おそらく遺伝子のスイッチがオン、オフされるタイミングの差ではないだろうか。ヒトはサルのネオトニー(子どもの期間が長く、子どもの特徴を残したままゆっくりと性成熟すること)として進化してきた…
地球環境の視点から見ると、地球上に存在しているたくさんの生物たちは、あらゆる場所で、きわめて多様な方法で絶え間なく元素を受け渡している。これが地球環境の持続可能性を支えている。地球環境という動的平衡を保持するためには生物多様性が必要であり、動的平衡の強じんさ、回復力の大きさを支える根拠となっている。
卵が先か鶏が先かという論争では、これは、新しい生命の誕生はいつも変化を内包した卵から出発していることから、たぶん卵が先なんでしょうけど、ではその出発点のDNPとタンパク質の問題はどうなんだろう。かつて生命の始まりには今よりもっと多様な機能を持ったRNAがあり、情報担体と実行機能を行っていたという仮説がある。魅力的な説なのだが、単純な化学物質しかなかったはずの原始の海で、機能を持ったRNAが偶然の中から現れ出でるには膨大な試行錯誤の時間が必要なはず。最初の生命が誕生したのは今から38億年ほど前とか。地球の誕生は46億年前。その8億年の間に生命は誕生したのだが、生命進化の38億年と比べるとその8億年はあまりにも短いのでは。もしかしたら生命の種は宇宙から地球に流れ着いたのでは…
少し脈絡なく面白かったところを抜き出してみましたが、つたない要約から少しでも興味を持ったならぜひ一度読んでください。平明な文章でたくさんのエピソードが盛り込まれていて、知的好奇心を満足させてくれます。
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