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怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「YKK秘録」山崎拓

2017-10-20 21:13:26 | 
加藤紘一は亡くなり、小泉純一郎も山崎拓も政界を引退して過去の人となりつつある。
それでもYKKと言われた3人が政界を良くも悪くも引っ掻き回していた時代を、その一員であった山崎拓が自身のメモをもとに証言していた記録は貴重な資料になっています。
山崎拓はメモ魔で、衆議院手帳に、会合の様子、会話、態度、思惑まで事細かに要領筆記していたようです。
この本はそんなメモをもとにした政界秘録なので、第一次資料としては出色の貴重な証言です。ただし山崎拓自身の目を通しているので客観性は割り引いて読まなければいけないし、背景説明がないのでどういう状況でこういう会合がもたれ、こんな話が出たかがイマイチ分かりにくい。
小泉政権下で幹事長だった山崎を何故執拗に更迭しようという力が働いたのか、確か下半身スキャンダルがあったはずですが、そのことについては当然ながら山崎拓は触れていません。
誰か政治記者なりが背景説明をそれぞれの章の前に簡単に書くなりして、かつ巻末に年表をつけてもらうとよくわかるのですが、今となってはどうしてそうなったかと思うことが多い。その意味では政界内幕の読み物としてではなくて資料として読むしかないのですが、その分部外者には読みにくさは否めません。

ということで、時代背景が記憶の彼方になりつつある私ですので詳しい内容には触れることはありませんが、読んでみて気になったところを列挙して見ます。
YKKのそれぞれのタイプをなぞらえてみると、小泉は信長、加藤は秀吉、山崎自身は軍師官兵衛と言っているのですが、ちょっと自分に甘いのでは。別のところでは「智の加藤・情の山崎・意地の小泉」と書いているがこちらの方が当たっている。山崎はYKKの接着剤であり、小泉首相の時は精神安定剤だったが、軍師という立場にまでなっていなかったと思う。
山崎は72年に初当選し、89年に防衛庁長官になっているのだが、その前に三井、三菱、住友他の財閥グループごとに後援会ができていて、大臣就任のお祝い会を開いている。見込みのありそうな議員には経済界もそれぞれ目をつけて後援をしてつながりを持っているということですね。
YKKは91年にできているが、その心は反経世会。そこから毎週のように料亭なりで杯を交わすようになるのだが、読んでいると政治家はみんな夜の会合が多くてよく金と体がもつものと感心します。そのために後援会があるんでしょうけど「金龍」の名前は何度出てくるやら。因みに小泉はいつも日本酒3合とか。
支払いと言えば94年の3月3日のYKKの会合は料亭「若林」。これは珍しく小泉の支払いなので彼の行きつけの店での会食となったとの記述があります。やっぱり金を出していたのはもっぱら加藤か山崎ということなんですね。
YKKでカラオケ好きは加藤だそうですが、上手いのは小泉とか。山崎は歌わないほうがいいとかで事実ほとんど歌わないようにしています。ゴルフでは小泉と加藤は80台で回っているのですが、山崎は全くの初心者でダメみたいですね。
小泉は政局を読み目は鋭く突飛なことを言っているようでも時の経過とともにその方向に動いていき折々の見通しは結構当たっている。まあ、間違ったことも多いのだろうが、そういうことは書いてないか。
山崎のボスの渡辺美智雄は92年にすい臓がんの手術を受けているのですが、元気であれば総理大臣になるチャンスはあったのにと思います。自民党が下野した時の総裁選でも勝機はあっただろうし、細川政権末期には秘密裡の接触もあり、羽田政権崩壊時には小沢一郎から自民党から50人連れてくれば首相にという話は現実にあったそうです。党を割るということでは誰もついてこないと断念したのですが、体調万全であればもう少し違った展開になったかも想像してしまいます。結局小沢は海部を担いで敗れ村山首相が誕生するのですが、政界の裏は何でもありということ。
この本の白眉は「加藤の乱」だと思うのですが、そこに見えるのは「智の加藤」の人の良さというか馬鹿正直さ。森内閣不信任案提出に際して小沢に踊らされて、いけると思い込んだら情報統制もせずに突っ走ってしまう。切り崩されるといけないから早く不信任案を提出すべきという意見にも大丈夫だと強気の姿勢だったのだが、見事に切り崩されてしまう。派閥の半分以上が離れてしまった。その点「情の山崎」は、理屈はともかく一致団結してついていくとなった。結局決起集会となるべきホテルには人は集まらず、乱は不発で、加藤と山崎だけで不信任案に賛成投票するとなるのだが、ここでも加藤の弱さが出る。なんと乗ったハイヤーの中でも逡巡して2度戻ってきて、三度目はさすがに山崎もあきらめたのだが、加藤はもう一度行こうとしてやっぱり戻ってくる。矢野恂也が「喜劇のピエロになるより、悲劇のヒーローになるべきだった」とコメントしたそうだ。
この局面で小沢の誘いに乗らなくても、熟柿が落ちるのを待っていれば自民党にもはや玉がいなくなってきたのだから加藤にお呼びがかかったと思うのですが、大局観がなかったということなのか。
しかしこの加藤の乱が自民党の中の流動化をもたらし小泉政権を作る先駆けとなったという山崎の見解は当たっているかもしれない。
小泉政権では幹事長を務めているのですが、小泉がぶっ壊すと言っていたのは政官癒着した利権構造であり、そこを牛耳っていた経世会。いろいろな圧力がかかってきても頑として曲げない精神力には感心します。YKKの目指していたものこそ反経世会だったのですが、ここまで徹底しては小泉でしかできなかったでしょう。
この他にも興味深い記述があちこちに出てきますが、ちょっと時代背景を予習してから読むとより理解が深まると思います。

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