新聞販売店から抽選でもらった映画の鑑賞券の期限は5月末まで。コロナ騒ぎでもう使えないかと思っていたのですが、今秋から映画館も再開されたので、さっそく見に行くことにしました。
でも今はテレビとか新聞の広告もなくて、これといった新作も公開されていない。
結局、今回選んだのは「三島由紀夫vs東大全共闘」
ネットで座席の状況を見てみても余裕で空いているので、開演30分前に名古屋駅のミッドランドへ。
座席は両横、前後は空けての指定。選んだのはE11番。前から5番目の真ん中の席です。
ロビーはまだまだ閑散としていて、窓から見る名古屋駅前の様子も人は少なめ。
まあ、平日の昼間ですから。
ロビーの売店も閑散としていて、販売中止の物もあり販売品も制限されています。
ちなみにビールは発売中止。なんてこった。
さて映画は1969年5月13日に東大駒場の901番教室での三島由紀夫と東大全共闘の討論の記録を編集したもの。三島由紀夫は千人の東大全共闘が待ち構える場へ警察の警備を断り単身乗り込んでいます。もっとも心配して駆けつけた盾の会のメンバーが待機していたのですが。
最初に時代背景としての記録映像が出てきますが、70年安保を前にした騒乱の時代が映し出されます。なぜか全共闘の映像では革マルの白ヘルが多く出ているのですが東大は革マルが多かった?私は70年に高校進学していてその頃は何もわからないけど、機動隊と対峙する全学連にどことなくひかれる中学生。この三島と東大全共闘との討論はリアルタイムでニュースを見た記憶はあります。
単身乗り込んで討論に挑んだ三島は、それなりに緊張はしていたのでしょうが、その態度には余裕さえ感じる。映像に撮られていることを十分意識してたった一人で対峙している姿を見事に演じている。全共闘相手に声を荒げることもなく自分の考えをユーモアさえ混ぜつつ真摯にかつ誠実に答えています。
しかし両者の議論はやたらと難しい哲学的概念が混じって論点がよくわからない。合間に当時の関係者の証言とともに平野啓一郎と内田樹の解説というか背景説明が入るんですが、これがないと理解できなかったかも。当時はこんな言葉が飛び交いつつ世界を論じていた時代なんだと感じ入ります。相手が全共闘で革命理論に凝り固まったセクトではなかったからでもあるんでしょうけど。
でも三島の歯切れのいい言葉はよくわかりました。認識と行動では行動を評価する。反知性主義を公言。暴力を否定したことはなく、天皇という言葉さえ言ってくれたら君たちと共闘する。
内田樹によれば60年安保闘争から全共闘への原動力は敗戦して属国となっている日本の「反米愛国」運動。その面では三島はアメリカの走狗となっている既成右翼よりも全共闘に親近感を持っている。だからこそ天皇とさえという発言になっている。三島はこの全共闘の中に一人でも二人でもリクルートできたら、できるだろうと思っていたのではないだろうか。
それでは三島にとっての「天皇」とは?具体的な制度ではなく日本人の基底に流れる心で日本をまとめるもの。三島は戦後の天皇に批判的なのだが学習院高等科の卒業で銀時計を天皇からもらっていて、心情としての敬愛もある。天皇個人にはアンビバレントな心情があるみたいです。理屈ではなく日本人として生きていく基盤としての天皇と私的には理解したのですが、よくわかりません。
それにしても、当時はみんなすごくタバコを吸う。三島は両切りピースを4箱持ってきている。全共闘の連中もみんなタバコを吸っている。落書きとアジびらで雑然とした教室と相まって時代を映し出しています。ほとんどが男性で聴衆にも女性はほとんど見当たらない。
この映画で疾風怒濤のあの時代を少し体感した気分になりました。観客は2~30人。当然ながら高齢者が多かったのですが、若い人もちらほらいてこれはちょっと意外でした。
終わって地下のモンシェールで堂島ロールでも買おうと思ったのですが、まだ閉店中。
諦めてすぐに帰ります。
でも今はテレビとか新聞の広告もなくて、これといった新作も公開されていない。
結局、今回選んだのは「三島由紀夫vs東大全共闘」
ネットで座席の状況を見てみても余裕で空いているので、開演30分前に名古屋駅のミッドランドへ。
座席は両横、前後は空けての指定。選んだのはE11番。前から5番目の真ん中の席です。
ロビーはまだまだ閑散としていて、窓から見る名古屋駅前の様子も人は少なめ。
まあ、平日の昼間ですから。
ロビーの売店も閑散としていて、販売中止の物もあり販売品も制限されています。
ちなみにビールは発売中止。なんてこった。
さて映画は1969年5月13日に東大駒場の901番教室での三島由紀夫と東大全共闘の討論の記録を編集したもの。三島由紀夫は千人の東大全共闘が待ち構える場へ警察の警備を断り単身乗り込んでいます。もっとも心配して駆けつけた盾の会のメンバーが待機していたのですが。
最初に時代背景としての記録映像が出てきますが、70年安保を前にした騒乱の時代が映し出されます。なぜか全共闘の映像では革マルの白ヘルが多く出ているのですが東大は革マルが多かった?私は70年に高校進学していてその頃は何もわからないけど、機動隊と対峙する全学連にどことなくひかれる中学生。この三島と東大全共闘との討論はリアルタイムでニュースを見た記憶はあります。
単身乗り込んで討論に挑んだ三島は、それなりに緊張はしていたのでしょうが、その態度には余裕さえ感じる。映像に撮られていることを十分意識してたった一人で対峙している姿を見事に演じている。全共闘相手に声を荒げることもなく自分の考えをユーモアさえ混ぜつつ真摯にかつ誠実に答えています。
しかし両者の議論はやたらと難しい哲学的概念が混じって論点がよくわからない。合間に当時の関係者の証言とともに平野啓一郎と内田樹の解説というか背景説明が入るんですが、これがないと理解できなかったかも。当時はこんな言葉が飛び交いつつ世界を論じていた時代なんだと感じ入ります。相手が全共闘で革命理論に凝り固まったセクトではなかったからでもあるんでしょうけど。
でも三島の歯切れのいい言葉はよくわかりました。認識と行動では行動を評価する。反知性主義を公言。暴力を否定したことはなく、天皇という言葉さえ言ってくれたら君たちと共闘する。
内田樹によれば60年安保闘争から全共闘への原動力は敗戦して属国となっている日本の「反米愛国」運動。その面では三島はアメリカの走狗となっている既成右翼よりも全共闘に親近感を持っている。だからこそ天皇とさえという発言になっている。三島はこの全共闘の中に一人でも二人でもリクルートできたら、できるだろうと思っていたのではないだろうか。
それでは三島にとっての「天皇」とは?具体的な制度ではなく日本人の基底に流れる心で日本をまとめるもの。三島は戦後の天皇に批判的なのだが学習院高等科の卒業で銀時計を天皇からもらっていて、心情としての敬愛もある。天皇個人にはアンビバレントな心情があるみたいです。理屈ではなく日本人として生きていく基盤としての天皇と私的には理解したのですが、よくわかりません。
それにしても、当時はみんなすごくタバコを吸う。三島は両切りピースを4箱持ってきている。全共闘の連中もみんなタバコを吸っている。落書きとアジびらで雑然とした教室と相まって時代を映し出しています。ほとんどが男性で聴衆にも女性はほとんど見当たらない。
この映画で疾風怒濤のあの時代を少し体感した気分になりました。観客は2~30人。当然ながら高齢者が多かったのですが、若い人もちらほらいてこれはちょっと意外でした。
終わって地下のモンシェールで堂島ロールでも買おうと思ったのですが、まだ閉店中。
諦めてすぐに帰ります。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます