怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「せいのめざめ」益田ミリ・武田砂鉄

2017-08-04 21:05:58 | 
中学生になり、色気づいてくると、男子生徒の間で盛り上がる話はいわゆる下ネタ。
とにかく自分の体の変化とともに妄想もたくましくなってきて、ほとんど何も知らず同級生の女の子と話すこともけん制しあっているのに、心の中はエロ話で高揚している。
当時「やる」とか「する」というだけで想像力はマックスになり、あらぬことまで考えは及んでいった。「栗の木に栗鼠がいる」なんてことは放送禁止用語だし、「写生」とか「合体」とか「吉田松陰」は十分下ネタとなるのでした。ABCという言葉は飛び交っても実際の経験は何もなくてそれが何を意味するかさえも分からないまま妄想だけたくましくしていたものです。だってその意味することを百科事典をひっくり返しても何も解説していませんでしたし。
まあ、中学生の頃の男子学生はお笑い芸人のユリアンレトリバーのようなことを競い合うようにして毎日教室の中で考えていたんですから。彼女の芸をあまり評価できないのは当時の中学生のほうがもっと妄想たくましく想像力に富んでいたのではと思うところがあるからって、どんな中学生だったんやですけど。
因みに今でも、市バスの「お立ちの方はつり革、握り棒などをもって危険防止に努めてください」というのは「危険だから、起って皮がつってしまったら棒を握れ」と想像してしまい、心の中で「下ネタだろう!」と叫んでいます。
性に目覚める頃というのは、この歳になると誰にも話すこともできない恥ずべき時代なのですが、当時の同級生と会うと今でも恥ずべき時を共有した記憶があって妙に親近感を覚えます。
そんな感覚を呼び戻してくれるのがこの本「せいのめざめ」

男子中学生の気持ちを武田砂鉄が文章で書き、女子中学生の気持ちを益田ミリが漫画で描いています。
武田砂鉄の文章は全く時代は違っても「みんな悩んで大きくなったんだよな」というかあの頃の感覚が呼び戻されます。どうしてあんなに頭の中はエロばかりを考えていて、そのくせ何の経験もなく、いい加減な話ばかりをしていたのか。仲間内でさも知ったふりしていろいろ解説してくれた奴がいたけど今思うと噴飯もの。でもそういう奴が結構あいつはすごいと尊敬されていたんだよね。
同じ頃女子はどうしていたのかというのは益田ミリが漫画で描いていてくれます。やっぱり実態もわからないまま想像力だけ膨らましていたんだ。
中学生になると保健の時間で男女分かれて授業を受ける時もあるのだけど、そこで女性器の子宮と卵巣の図を示されても実物はどうなっているのかわからないのでますます妄想が膨らむまま。
でも男性器も教科書にはどうやって立ちその時にはどういう大きさでどうなるかとは書いてなくて、女子中学生も想像をたくましくしていたというのには、ふふん‥となってしまいます。

頭の中が妄想でいっぱいのあの日に帰りたいとは思いませんが、人生残り少なってきた頃に、そんな時もあったなとニタつきながら思い出すのは、無上な読書の楽しみです。そんな恥ずかしいことがいっぱいの我が人生でしたが、大切な通過儀礼だったんですよね。
コメント
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