怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「お坊さんだって悩んでいる」玄侑宗久

2016-06-24 07:09:34 | 
この本は月刊「寺院興隆」という寺院関係の専門誌(こんな本もあるんだ)で連載していた「そもさん 玄侑和尚の説教部屋」というコーナーに寄せられた質問と答えを待ためたものです。ほとんどが住職なりのお坊さんから寄せられたものですが、中には在家の方の質問もあります。

時代を反映してというか結構現実的な生々しい質問が多い。
例えば葬式についていえば
・子供にお葬式の意味を教えるには何と言ったらよい?
・最近の遺影は派手すぎるのでは?
・夫の遺影を散骨にしたいという願いをどうする?
・墓参や法事をしない檀家にはどう対応する?
・愛犬の遺骨を先祖代々の墓に入れたい
みんな現実にありそうで対応に苦慮するような質問です。
ほかにもお布施の値段と意味とかお寺の本当の役割とかの質問もあります。
これらに対する玄侑和尚の答えは意外なほど厳しい。相手が同業者なのだからでしょうが、宗教人としてどう考えるべきかということが直球で述べられます。お寺に定休日があってもよいか?という質問にはそれではお寺ではないと言っています。お盆の棚経は檀家にとっても負担なのでやめてもいい?と聞かれるとお盆の意味を考えれば何が大切かが見えてくるはずと、日々の忙しさや下世話の事柄に流されるのではなく信仰をもった仏教者としてどう考えるべきかを説いています。
お寺の後継者と檀家との関係でもいろいろ質問が来ます。
・お寺の跡継ぎの副住職が、結婚を迷っているが、どうしたらよい?
・住職の跡取り息子が茶髪。どういさめるべきか?
・十歳の一人息子を跡取りにするためには、どう育てたらよいか?
お寺はあくまで仏教の拠点で、信仰心を高めるところ。家業ではないということを繰り返して説いています。お寺は長男が継ぐものではないし、継ぐにしても私心ではなく発心が大切と説きます。親がまず修行に励み、その姿を見せることが大切であるし、寛容になるべきと説きます。血のつながりだけで跡継ぎを強制するものではなく、同じ志の弟子に継がせるのも選択肢の一つ。
まったくその通りなのですが、家業になっているお寺にはつらいものがあるのでしょう。実はかく言う玄侑和尚自身が、お寺を継ぐことに反抗して、いろいろな新興宗教にも出入りし、パーマにひげを生やしていたこともあるとか。今の茶髪どころではなく飛んでいた放蕩息子だったのです。だからこそ反抗する子供の考えもわかったうえでの答えです。
因みに玄侑和尚は結婚していますが、お釈迦さまは性欲の発露を禁じています。今の日本の仏教は「出家」というありかたがあいまいになって、世間と等しい価値観で結婚している人も多い。檀家との付き合いも大きな仕事になっているし、その中で後継者を作るというのも住職の役割です。玄侑和尚も結婚するときに師匠に尋ねたそうですが答えは「日本の仏教はそれだけソフィスティケイトされたってことだ」とか。深いですね。
直球の答えをしても、和尚自身が悩んだこと迷ったことも吐露されていて、それが答えに温かさを出しています。
とかく今のお寺はお金もうけに走っているとか、葬式仏教だと言われていますが、今の日本の仏教のあり方を考えるのには一度手に取って読んでみたらいいと思います。
コメント
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