怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

君は「野茂英雄」を見たか

2011-09-18 08:11:36 | 
その昔、近鉄時代の野茂英雄をナゴヤ球場で一度だけ見たことがある。ダイナミックなトルネード投法は外野から見ていても迫力あって、三振も多かったけど四球も多かったような記憶がある。人気のないパリーグの近鉄にいてもあれだけの存在感を出していたのだが、大リーグにいってからの活躍は本当にすごい。
ロバート・ホワイティングの「野茂英雄」を読むと改めてその偉大さを感じる。

野茂が大リーグに行くに際しては、近鉄とひと悶着をして、当時の鈴木啓示監督は大リーグで通用しないと言い切っていたし、日本球界全体から非難ごうごうでした。孤独な悪役としての旅立ちでした。
それでもドジャースに行くと大活躍。一転して日本マスコミは野茂の取材に殺到する。13勝をして新人賞を取って行く中でと野茂はアメリカ大リーグでの人気復活の救世主となっていく。それでも野茂は自分のスタイルを変えず寡黙な求道者のように野球に打ち込んでいく。
この本にあるように野茂以前と野茂以後では日米の野球の関係が大きく変わる。野茂がいなければイチローも松井も大リーグで活躍することが出来なかったであろう。松坂はあの巨額の契約金の2~3割を野茂に出してもいい。野茂は非難と冷笑の中で大リーグの扉をこじ開けて行ったのだ。その流れは押しとどめようがなかったのだろうが、イチローや松井では最初に扉をこじ開けることは出来なかったのだろう。無愛想でマスコミに何を言われても意に介せず、ひたすら野球に打ち込んで一番高いレベルの舞台で投げたかった野茂だからこそ出来たに違いないし、野茂以外には不可能だったであろう。
野茂が歩いてきた道と比べると大魔神佐々木もダイスK松坂も色あせてしまう。罵詈誹謗を浴びつつ野茂の切り開いてきた道をただ乗りして、それでも野茂の実績には遠く及んでいない。
日本野球界は野茂がなぜ大リーグに行き活躍できたのか、どこが頚城だったのか真剣に反省する必要があると思います。
最近は日本人選手が期待を裏切ることが多く、大リーグもいささか覚めた目で日本人選手を見ているようですが、選手としての能力だけでなく異文化の国でいかにタフに生きていくかの能力も必要なのでしょう。
日本球界はいまだに野茂を臨時コーチとしてしか使うことが出来ず、評価していない部分があるのですが、多分アメリカでの評価のほうがうんと高い(アメリカの野球殿堂入りが議論の対象になるくらい、ちなみにイチローは殿堂入りほぼ確実みたいです)のでしょう。パイオニアとしての言い知れぬ苦労を評価できるかどうかです。
日米の野球を変えたパイオニアの歩みをぜひ読んでください。
コメント (1)
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