カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

古代教会の自己展開(重要な転機)ー学びあいの会(教会論11)

2020-09-29 16:34:35 | 教会

 学びあいの会が再開された。前回は2月24日だったので約7ヶ月ぶりということになる。コロナ禍はまだ続いているが、教会の活動は少しづつ再開され始まっているようだ。十分に警戒しながらも、ミサと勉強会くらいは出たいと思い、私も教会に向かった。出席者はさすがに少なかったが、半年ぶりに会ってお互いの無事を確認できただけでもホッとしたひとときであった。共にコロナ禍を生き延びた喜びと言えば大げさだが、皆で静かに再会を喜び合った。

 岩島忠彦師の教会論の続きである。原著は『キリストの教会を問うー現代カトリック教会論ー』(1987)である。現代と言っても随分古い著書だが、岩島師は現在イグナチオ教会のネット上の「神学講座」で同じく教会論を講じておられる。講義内容に特に変化があるとも思えないが、YouTubeで受講できる。わざわざ四谷まで通わなくともよい。便利な世の中になったものである

 S氏は勉強会を始める前に、本書の目次を配られ、今日までの学びあいの会でのカバーした13章までを簡単に要約して紹介された。
 この目次はすでのこのブログでも紹介したことがあるが、コロナ禍で半年あまり休んだこともあり、ここでも再度載せておきたい。

1 教会論の目的と現状
2 教会の本質
3 生前のイエスと教会
4 教会の発生
5 エルサレムの教会と異邦人の教会
6 新約聖書における教会の自己理解(その1ー神の民)
7 新約聖書における教会の自己理解(その2-キリストの体)
8 新約聖書における教会の自己理解(その3-礼の被造物)
9 使徒の権威と教会の制度化の関係
10 イエスキリストによる教会の成立(3~9章の総括)
11 教会の本質の自己実現について
12 古代教会の自己展開ー指導形態
13 古代教会の自己展開ー教会生活
14 古代教会の自己展開ー重要な転機
15 「教会の外にすくい無し」
16 中世教会の自己展開
17 中世から近代への胎動
18 宗教改革と反宗教改革
19 第一バチカン公会議
20 第二バチカン公会議

 目次は以上のような並びである。以下13章までの要約の要約をまとめておきたい。

第1章 教会論の目的と現状:教会論は教義学であって、実践神学ではない
第2章 教会の本質:教会は「建物」ではなく、「歴史的存在」(共同体)である
第3章 生前のイエスと教会:教会は「神の国」そのものではない 「使徒の教会」として生まれた
第4章 教会の発生:教会は「神の自己譲与」として生まれた
第5章 エルサレムの教会と異邦人の教会:ユダヤ人の教会(ヤコブの教会)とギリシャ語を話す異邦人の教会とに分かれていく
第6・7・8章 教会は「神の民」・「キリストの体」・「霊の被造物」という三つの特性を持つ
第9章 使徒の教会と教会の制度化 使徒たちが殉教などでいなくなると、カリスマが消滅する
第10章 第3~10章の総括
第11章 教会の本質の自己実現 制度化が進む
第12章 古代教会の自己展開ー指導形態 司教・司祭・助祭という階等制
第13章 古代教会の自己展開ー教会生活 洗礼・聖餐・悔悛

 ということで、今回は第14章と第15章が取り上げられた。ここは本書のなかでも重要な章であり、岩島師の筆にも力が入っており、また師の議論の特徴がよく表れている。興味深い箇所である。

第14章 古代教会の自己展開ー重要な転機

 教会の転機はなにも宗教改革だけではない。教会は幾度か転機を迎え、変化してきている。その本質は変わらないとはいえ、共同体の性格、組織化のありかた、宣教の仕方、典礼の形、などその変化の激しさに驚かされる。岩島師は次のように議論を開始する。古代教会は二度の大転機を経験する。

1 教会史上の大転機ーキリスト教の公認

1・1 コンスタンティヌス大帝の寛容令(313年)

 キリスト教が公認され、迫害が終了する。キリスト教は国教化され、異教が禁止される。キリスト教と異教の関係が逆転し、キリスト教が国家の政治的・社会的イデオロギーとなる(1)。

(ローマ皇帝コンスタンティヌス)

 

 


1・2 国家と教会

 皇帝(2)は普遍的司教、ポンティフェクス・マクシムス(橋を架けるもの、使徒のごとき者)とされ、公会議や教会会議の招集・認可の権限を持つようになる。司教たちはたんにローマの官僚になってしまう。教会は純粋な信仰共同体から、「政治的・社会的構成要素」に変わり、この体制は19世紀まで続く。

1・3 もう一つの転機

 キリスト教の公認の後、もう一つの転機が訪れる。東西ローマの分裂だ(395年)。コンスタンチノープルが「新しいローマ」(Nova Roma)となり、コンスタンチノープルが東西教会の盟主となる。西方はゲルマンと結びつき西方教会として発展する。後のカール大帝は自己を「神とキリストの代理人」を称するようになる。

 本章は長いので、続きは次回にまわしたい。

1 こういう簡略化された要約の仕方は注意して読む必要がある。313年に出されたこれは普通「ミラノ勅令」(Edictumu, Edict of Milan)といわれるが、東方皇帝が出した「寛容令」はいわば「信仰の自由令」で、西方のそれは追従したものとも言われる。また、それが本当に「勅令」(皇帝などが発する命令)だったのかなど資料上の議論もあるようだ。山川の『世界史』は、「コンスタンティヌス大帝はキリスト教に好意を持ち、313年にミラノ勅令を発してキリスト教を公認し」と書いている(62頁)が、信仰の自由を認めることと「公認」が同義なのかあいまいだ。また、325年のニケア公会議に言及しないで「国教化」を議論できないようにも思えるが、もう少し勉強してみたい。
2 教皇ではない 教皇はまだ明確な形では誕生していない ローマ司教が教皇になっていく

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