仮面の告白『雲の上の虹』

この世の誉・不正・不道徳・破廉恥・権力者を追及し、無害なことも記録しつつ、雲の上の虹をめざす枕流亭の日記(日乘)

菊田 真紀子衆議院議員:これも歴史的な莫迦議員!震災中にエステ!?

2011年03月20日 | 怒髪衝天

  民主党の菊田真紀子という衆議院議員(事業仕分けで顔を売った、あの方だ)のジャカルタでの軽薄な行動が報道されていた。

 しかし、こんな人間が国会議員をやっていていいのか?素人に毛の生えたレベルばかり民主党議員集団の典型的な例だな。こんなのを選出した新潟県民はこの実態を知って、次はどうするか考えてもらいたい。

  しかしだ、日刊ゲンダイの報道なので、帰国後の言い訳は確認したいものだ。

  そこで氏のサイトを見ればごく簡単に事実ではないとだけの説明が。

  ゲンダイは証拠写真を出してください。「煙」だけではね。

  菊田議員への徹底的な批判はそれからだ。

 

 

 

菊田外務政務官 ジャカルタでエステに買い物三昧  ゲンダイネット  3・17

「こんな時に何考えているんだ!」

 ASEAN地域フォーラムの会議出席のため、14日にインドネシアへと向かった外務政務官の菊田真紀子衆院議員(41)に批判が集まっている。
 「出発前日、秘書官に『インドネシアではエステと買い物を楽しみたい。ステキなお店を調べて予約して』と命じたそうです。政府を代表しての大事な出張なのに、遊びのことしか頭になかったのでしょう。しかもその日は大震災発生から3日目。懸命の救助活動が行われているというのに信じられません。秘書官は、現地の日本大使館に電話をかけ、エステ店の予約と観光スケジュールの作成をさせたようです」(政界関係者)

 菊田は15日に公務が終わると、16日はジャカルタに移動。デパートで化粧品コーナーを念入りに見て回った。夜は5つ星ホテルのスパで、お目当てのエステを思いっきり堪能したという。
「17日は午前中で会議が終わり、午後からまた、お買い物ツアーを2時間。豚脂の入っていないイスラムのコラーゲン化粧品に興味があり、効果についていろいろ店員に聞いていたようです」(前出の関係者)
 危機に瀕する日本のことなどどこへやら。リラックスモード全開だ。
「菊田は新潟県選出で現在3期目。仕分け人をやったあと、仙谷さんの寵愛(ちょうあい)を受け、昨年9月に外務政務官に就任しました。中国語が堪能で、気さくな性格ですが、軽い面も。パプアニューギニアに行く前は『水着持っていって泳ごうかなあ』と口にしていた」(外務省担当記者)
 菊田の帰国は18日。きっとツヤツヤの肌に、大きな買い物袋を抱えてくるだろう。


リビア戦争:こちらは人災! 報道量は少ないけれど!

2011年03月20日 | 不正!?

  戦争に大義が必要なのはいつの時代も同じだが、今はより多くの国の共通の大義が条件ということなのだろう。大震災の対応で我が国はこの戦争に参加することはないだろうが、協調できない国(指導者)はこのような事態に行き着くのだろう。  

  しかし、カダフィ以後の設計図はできているのだろうか?イラクのようなことになっていいのかという不安ものこる。

 

<リビア>多国籍軍による空爆 「人道的介入」腐心

  仏英米によるリビア爆撃は、国連安保理決議に基づき有志国が民衆革命を助けるという新たな武力行使のあり方を示した。しかし、ほかのアラブ強権国家にまで武力行使が広がるのではとの懸念も地域で広がる。爆撃の意味を探った。

 ◇米、「二重基準」批判回避

  「米国は軍事介入を先導していない」。クリントン米国務長官は19日、リビアへの武力行使を確認したパリでの多国間会合後、満足げに語った。イスラム世界での「新たな米国の戦争」を避けたい米国は、仏英両国を前面に押し出して自らを「脇役」と強調することで、国際協調による新たな人道介入のモデルを示してみせた。

  リビア介入を決定する交渉プロセスでは、武力行使への3条件が確立された。介入の明確な必要性▽地域諸国の支持国連安保理決議、の三つだ。イラク戦争の後遺症に苦しむ米国は介入に及び腰で、武力行使のハードルを意図的に高くした側面が強い。

  事態が急展開したのは、地域機構「アラブ連盟」が12日にリビア上空の飛行禁止空域設定を支持し、オバマ政権が軍事介入に転じたためだ。中東では、親米のバーレーンやイエメンでも民衆蜂起の弾圧が続いている。米国にとって、「地域諸国の支持」という条件は、親米国には武力行使しない「二重基準」への批判を回避するための理由にすることが可能だ。

  カダフィ政権はアラブ連盟では「煙たい」存在で、同連盟がリビア以外の加盟国への武力介入を支持する可能性は極めて低いからである。

 ◇欧州、「独裁容認」を反省

  一方、仏英が「主導的な役割」(米国)を演じる背景では、欧米間でリビアの戦略的価値が異なる点も大きい。キャメロン英首相は武力行使を「国益」にそった「必要な」戦争だと強調。「欧州の境界で破綻国家を受け入れることは断じてできない」と語った。
カダフィ政権が延命すれば、国際テロ支援の復活▽移民の大量流入、などで実害を受けるのは欧州だ。リビアの03年の大量破壊兵器放棄後、いち早く石油利権を目指し、カダフィ大佐を国際社会のパートナーとして迎え入れたのは英仏伊など欧州諸国だったことへの反省もある。

  英在住のリビア人活動家、アゼルディン・シャリフ氏は「欧州諸国がカダフィを手なずけることができると考えたことは甘すぎた。彼は国際社会の支持を得て国民の弾圧を強めた」と批判。これに対し米国は石油利権獲得で出遅れたこともあり、リビアにはバーレーンなど湾岸諸国ほどの戦略的利益を見いだしていない。

  軍事介入は、米国の国際的な地位が低下し、多国間プロセスを重視するオバマドクトリンの下で始まった。しかし、「カダフィ追放」に触れない安保理決議の下での行動の目的はあいまいな上、リーダーシップが明確でない軍事行動は、作戦の迷走、長期化、地上軍派兵へのエスカレートなどリスクを背負ったものになる。【ロンドン笠原敏彦】

 ◇自発的民主化運動に変質も

  チュニジアで民衆蜂起が独裁政権を打倒して始まった中東・北アフリカの大規模政変は、仏英米など多国籍軍が軍事介入に踏み切ったことで、新たな局面に入った。国連安保理決議が認めた民間人保護目的の「人道的介入」だが、当局による民主化要求勢力の武力弾圧が続く周辺国への介入を懸念する声も出始めている。

  仏英米の爆撃をアラブ圏の主要メディアは事実関係だけ淡々と報じている。アラブ連盟(22カ国・機構)などがカダフィ政権を厳しく非難し原則的に軍事介入を支持したことが背景にある。

  中東・北アフリカでの民衆蜂起は、チュニジアとエジプトでは基本的に平和的なデモで長期独裁政権の排除に成功した。鍵は、独裁者の権力の源泉だった軍部が、基本的に民衆側についたことだ。

  しかし、リビアでは最高指導者カダフィ大佐周辺が指揮する私兵的軍団が、反体制派の蜂起が集中した東部などで国民を徹底的に武力弾圧。「1万人以上」(反体制派関係者)とも言われる犠牲者を出す内乱状態になった。武力に勝る政権側の攻勢で追い込まれた反体制派の要請もあり、軍事介入は実施された。だが、アラブ圏に広がっていた自発的な民主化運動の流れが、欧米諸国主導の軍事介入で大幅に変質していく可能性も生じることになった。

  イスラム教スンニ派王政が民主化を求めるシーア派国民を武力弾圧したバーレーンでも、湾岸協力会議(GCC)軍が展開する事態が生じている。他国の騒乱に対する軍事介入が前例化すれば、民主化要求デモに対する当局の弾圧が深刻化しつつあるイエメンやシリアでも、同様の動きを求める国際世論が生じる可能性もある。エジプト軍の元幹部、ムハンマド・ビラール氏は「リビアの情勢が落ち着けば、イエメンへの米欧の軍事介入はありうる」との懸念を示している。

  「武力は最初の選択肢ではない。だが、独裁者の自国民弾圧は座視できない」。オバマ米大統領が19日に述べた人道的介入の根拠だ。だが、今回の軍事作戦が中東・北アフリカ地域での民主化の流れに貢献するかは不透明だ。【カイロ和田浩明】


奇跡:祖母と孫の生還!

2011年03月20日 | 

  天災が記録的なものならそこで起きる奇跡も一層感激的だ!

 わずかな食べ物で耐えた二人は人間の、生命力の可能性を見せてくれた。

  

 

80歳女性と孫を救出=震災10日目、倒壊民家から―宮城県石巻市

  20日午後4時ごろ、宮城県石巻市門脇町の倒壊した木造2階建て住宅で、この家に住む阿部寿美さん(80)と孫の高校1年任さん(16)が県警石巻署員らに救出された。東日本大震災から10日目。任さんは「地震直後から閉じ込められていた」と話している。
  2人は同市の石巻赤十字病院に警察のヘリコプターで搬送された。寿美さんは軽度の脱水症状で、任さんは左足の軽い凍傷とみられるという。
  同署によると、寿美さんは倒壊した家屋の中で、倒れたクローゼットの上に布団にくるまり、足を伸ばした状態で座っていた。任さんはがれきとなった住宅の屋根にしがみついていた。
  石巻署員が付近で行方不明者の捜索中、救助を求める声がしたため、付近を捜したところ、屋根の上にいる任さんを見つけた。任さんから「家の中に人がいる」と申し出があり、同署員と消防レスキュー隊が寿美さんを見つけた。
  2人を治療した同病院救命救急センターの小林道生副センター長によると、寿美さんと任さんは11日午後、2階の台所で食事中、地震と津波に遭った。家屋が崩れ、冷蔵庫などが倒れたが、中に狭い空間があり、20日まで過ごしていた。
  2人は冷蔵庫や台所にあったヨーグルトやコーラ、水などでしのいだ。地震後3日目の13日から寒い日が続いたため、任さんは隣の部屋からぬれていなかった毛布を取り出し、2人で寒さをしのいだという。任さんの父で会社員明さん(57)が13日、県警に2人が行方不明になっていると届け出ていた。石巻地区広域行政事務組合消防本部によると、現場は旧北上川の近く。東日本大震災では大津波に襲われ、13日くらいまで冠水し、車両が入れない状態だった。2、3日前からがれきの撤去作業が始まっていた


絶望から諦観、そして希望へ

2011年03月20日 | 哀悼

 実は私も被災者の一人だ。もちろん実家が住めないくらいになった程度だが。それでも余震をずっと受け続ければ、そのうち崩壊するかもしれない。そのとき無人だったのがせめてもの救いだ。

 そのような小さな被災者は本当に自力で何とかしないといけないのだなぁと思う。

 報道では東北の被災地にばかり目が行くが、関東6県は皆程度の差はあるが、被災している。なかでも津波が来た茨城県・千葉県は家屋が津波で破壊されているしそれなりの死者もでている。TDLをはじめとする埋立地につくられた施設や住宅も被災地だ。

 それでも東北の方々が優先されるのは致し方ないと思うし当然であるとも思う。知り合い方の夫はレスキュー隊員で、つい最近第一次派遣から帰宅した。地元はさておいてである。それもいたしかたない。

 今日の読売ネットでの以下の話、昨日の大川小学校のことといい、涙しか出てこないが、絶望から諦観、そして回復、希望へとつながっている気がする。

 志して国や組織のトップグループになった方々は、高潔な国民のために、我欲を捨てて粉骨砕身する義務がある。

 

夫の最後の贈り物、指輪に誓う「娘と強く」読売新聞 3月20日(日)3時3分配信

 夫の荷物の中に指輪があった。ホワイトデーのプレゼントに、こっそり買ってくれていたらしい。

 その夫は今、遺体安置所で眠っている。東日本巨大地震で壊滅的被害を受けた宮城県気仙沼市。同市本吉町寺谷、主婦大原枝里子さん(33)は、夫の顔についた泥をぬぐい、優しくキスをした。

 11日午後。自宅で揺れに襲われ、津波から逃れるため、避難所を目指して車を出そうとした。その直前、運送会社で運転手をしている夫、良成(よしなり)さん(33)から携帯に電話が入った。「大丈夫か」「もうつながらないかもしれない」。泣き叫ぶ子供2人を両腕に抱え、思うように話せない。間もなく通話が切れた。これが最後の会話になった。

 海に向かう形になるが、頑丈な小学校の校舎を目指した。20分もたったろうか。逃げる車で渋滞し、少しも進まない。「もうぶつかっても仕方ない」。意を決して対向車線にバックで車を出し、アクセルを思い切り踏んだ。眼前に津波が迫り、2台前の車が濁流にのまれた。助手席と後部座席には長女、里桜(りお)ちゃん(2)と次女、里愛(りあ)ちゃん(5か月)。2人を守ろうと必死で約50メートル後進し、何とか助かった。

 海から離れた避難所に行くことにし、その日は車中でガソリン節約のため暖房なしで夜を明かした。翌日から避難所で苦しい生活が待っていた。子供の服におしっこやよだれが付いても、乾くのを待つしかない。地震で哺乳瓶は全て割れ、避難所にあった哺乳瓶を他の家庭と共有した。ストレスで母乳が出ない。スポーツ飲料をお湯で薄めて与えても、里愛ちゃんはなかなか受け付けず、脱水症状になりかけた。お尻ふきがなくなり、里愛ちゃんのお尻はかぶれて血が出始めた。

 夫の悲報を受けたのは17日。気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。18日、子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく良成さんだった。涙があふれ出た。キスをしながら、「愛してるよ」とつぶやいた。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。

 避難生活が長期化し、子育てはますます大変になっている。この状態がいつまで続くか分からない。でも、指輪を残してくれた夫に約束した。「この子たちは私が責任を持って育てるから」(佐脇俊之)

津波に児童の八割を奪われた学校:宮城県石巻市立大川小学校

2011年03月20日 | 哀悼

 むごいとしか言いようがない。津波は「子供という未来」までも奪う。このような悲劇がさらにみつかるのだろう。この記事はつらいが、生き残った我々は記録しておくことしかできない。それが義務だとも思う。

 児童と教員の皆様の御冥福を深く深く祈る。

 

<東日本大震災>津波が奪った夢… 児童8割死亡・不明  毎日新聞

  晴れの卒業式は18日に開かれるはずだった。着るのを楽しみにしていたセーラー服、小さな胸いっぱいに膨らませた夢。そんな希望の日々のすべてを、津波は一瞬で奪い去った。宮城県石巻市の市立大川小学校は18日現在、全児童108人のうち、24人しか生存が確認されていない。【百武信幸】

 北上川が太平洋に注ぐ河口付近。津波は川を逆流して約6キロ先の小学校を襲った。

 地震が起きたのは、下校のバスが出る30分ほど前。心配して車で迎えに来た保護者もいたため、児童を校庭に集めて点呼していた。そこにいた大半の児童と教職員合わせて数十人が波にさらわれた。急いだのだろう、遺体でみつかった子どもたちの多くは上履きのままだった。水は2階建て校舎の屋根がわずかに見えるほどの高さまで達した。

 「お姉ちゃんとおそろいのセーラー服を準備して、新しい自転車も買って、一緒に中学校に行けるって楽しみにしていたのに」。孫で6年生の愛香さん(12)を失った加納たき子さん(61)は声をつまらせた。「お小遣いをためて友達2人と4月1、2日にディズニーランドに行こうとしていたんです。仲の良い友達3人とも巻き込まれてしまった。代われるものなら代わってやりたい」

 愛香さんの小さな遺体は、検視の手が足りないため安置所から家に帰れず、母親と中学2年の姉が新品のセーラー服を携え、そばに寄り添っている。最近、「やっと二重跳びができた」と喜んでいた愛香さんの弟悠登君(8)=同小2年=はまだ見つかっていない。

 今野昌利さん(52)、真由美さん(45)夫婦は、3年生の次男誠君(9)を自分たちの手で見つけた。地震2日後の13日、消防団員と校庭にたまった泥を必死にかき分けると、4人の子どもが身を寄せるようにして息絶えていた。その中に誠君がいた。

 「最近、野球やると言いだして、おれはけがが怖いからやめろって反対したんだ。庭で素振りをしてたのに、もうそれを見られないのか……」。今野さんはか細い声でつぶやいた。「あの状況では、遺体がみつかるだけ幸せです」と真由美さんは言った。「ほかの子たちをそのままにしておくのはかわいそう」。その一心で、消防と警察に「ここはうちらがやるので」と止められるまでの4日間、夫婦で作業を続けた。

 柏葉照幸校長(57)によると、教職員も13人のうち無事だったのは校長を含め3人だけ。卒業式を目前にした6年生は5人の生存しか確認されていない。柏葉校長は「何らかの形で卒業式を開いてやりたい」と話した。