仮面ライダーがエントツの上に立った日 価格:¥ 1,890(税込) 発売日:2004-04-26 |
映画監督奥中惇夫氏のこの本にたった一行「挑戦者-続・ある勇気の記録」が出て来ます。一行だけの作品でもフィルモグラフィはしっかり作られてて、彼が監督されたのは45,46,49,50話。で、49「それから2年」50「柿沼逮捕」-ここに大友純の名前があったので柿沼組長はこの人だったと一応決定?したのでした(ファンサイトの2ページ目)を見てください)。
これには「あれ、ほんとかよ?」と思ったのですね。私、一応「最終回」というヤツは見たつもり、いつもは全然見る気がなかったけど、新聞に「ある勇気の記録」(終)と書いてあったればこそ
「ああ、終るのか、そんじゃ終りだけは見てやるか」と見たわけで、これがどう見てもまだ終ってないのに強引に終らされたという終り方だったので
「スポンサーに見放されたな、ザマ見やがれ」と思ったのでした。始まった時期より2年後だったり、親分の一人(仁義なき戦いの山守=金子信雄に当たる人)が逮捕されたりした後には見えなかったのです。この記憶までが間違いとはちょっと信じられなかったんですが
つまりこの回は昭和42年5月28日放送(はて?曜日の記憶は全くないけどガードマンとかぶるという事実に悩んだことが一度もないということは名古屋では違ったのかも、でも6回しか見てないし、その頃はガードマンもあんまし見なかったからわからない)の34話で、名古屋テレビではもう後はなかったのじゃないでしょうか?
つまり、番組へのテコ入れというより地方のTV局から
「こっちではもう放送しないから終わらせてくれ」と言われて一応終わりにしたとか・・・そんなことがあるかどうかわかりませんが。
ともあれ東京では名前を変え、放送時間を変えて最初の予定を貫いたというわけだったのですね。知らなかった、あの頃にはTVガイドもまともにチェックしなくなってたから、知ってたけど忘れてたんじゃなくて、ほんとに知らなかったんだと思います。エライ!!もうこれにはただただ感心するしかなさそう。
でも今までの悪口雑言はお詫びしませんよ、プロデューサー殿、必要もないのに恋人を奪って行った番組を、何年経ったって許せるわけはないのだ(いや、ホント、我ながらクドイと思う)。
そうそう、カミコロ様、とんでもなく失礼なこんな人間に丁寧に応対してくださって、ほんとうにありがとうございました。やっぱり神様にはかないません、何せこっちは天津飯(またクドイ)、これに懲りずにどうか今後ともよろしくお願い申し上げます-って、ムリだろなあ・・・
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