goo blog サービス終了のお知らせ 

事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

ボスポラスのトンネル

2024-12-01 14:40:30 | テレビ番組
昨夜のプロジェクトX、ついつい見せられてしまった
トンネルを掘ったんじゃなくてコンクリートの箱を海に沈めてそれをつないでトンネルにするというユニークな工法、何で海底を掘るんじゃいかんかったのかその辺を聞いてなかったのでいまいち納得いかんのだが、いやま大変な工事だったことはよくわかった、細い海峡を早い海流が流れてる、その潮目を読んで狙った位置に箱を沈めるのが大変、またうまくつながって水が入らんようにできたかだうか結局ヒトが降りて調べにゃいかんかった、いったいだうやればそんなことできるのか見当もつかん(もしや一番肝心なとこは企業秘密だったとか、公共放送は会社の名前言ってない)なるほど・・・いやだから何で海底を掘るんではいかんかったの?
またでき上がった地下鉄線路が1本しかないように見えたのが気になる、単線の地下鉄ってないんでない?いや見間違いだったらゴメン、何せ視力弱いんで

というわけで(だういうわけで?)今度は絶対青函トンネルやってよね、津軽海峡は深いしボスポラスとは比較にならんほど広い、その下を掘ったという大工事だったんだ、これがドラマチックじゃなかったら何だと言うんだよ?

関係ないけど、種村氏の本もようやく四国へ入った、昭和60年瀬戸大橋は建設真っ最中、また鳴門大橋を通って四国入りされたとあった、でも洲本まではフェリーつまり明石海峡はまだつながってなかったらしい、明石海峡大橋を本四架橋だという番組は誤解を招いたんでないのかにゃ(淡路島は兵庫県だろ?)

あわてて追記ー種村氏の本をよく見直したら四国の旅を故あって中断し京都へ向かうために大鳴門橋→洲本のバスと洲本→神戸の高速艇を使われたとのこと、バスより船の方が早かったのかも、そらさういうこともあるかもにゃ・・・

と思ったけどさらに追記ー大鳴門橋は昭和60(1985)年6月に通った、つまりこん時開通早々、明石大橋は平成10(1998)年まで通ってない、つまりこん時は存在してなかったから船を使うしかなかったのだ、やっぱあの番組問題あったよにゃ

さらにさらに追記ー瀬戸大橋が全線通って線路がつながったのは昭和63(1988)年これにて本四架橋はとりあえず完成したのだ、10年後の明石海峡が本四架橋の始まり(と言わんばかり)って・・・全く何もわかってない番組だったとしか言いやうがにゃい、これにて本四架橋の3ルートがめでたく完成したのだと言えばよかったのだ、さう言ったからとて明石海峡開通(兵庫県の島が道路でつながったこと)が快挙でなくなるわけじゃ全然なかったのに、知ってるヒトはさぞやハラ立てながら見てたらにゃ

やけでもう1つ追記ー本四架橋の3本目尾道今治ルートが完成したのは1999年だったとのこと、ということは岡山から四国へ線路で入って今治からバスで尾道へ出ることが可能、四国でも本州でも乗らない線路はかなり短くできるハズということよにゃ、もち今治→尾道はJRを使えんだらうから片道切符にはたぶんならんだらが・・・これマジに考えたヒトおらんのかにゃ、いやたとえ考えても実行するのはかなり困難だろけど、つか私ごときの手には全然おえんけど、しっかしせっかく島へ渡る橋が3本あるのに(使えるのは2本だが)

今週の大河ドラマ

2024-11-25 09:31:40 | テレビ番組
突起すべきことなし、そろそろ大詰めというのに何なんだ、この緊張感のなさ・・・っていつものことか
三条天皇が亡くなった(いつだったか忘れた)ので研子が皇太后、彰子は太皇太后だが相変わらず若くてきれい、そら女優さんだからにゃ、いやホンチにそれでいいのか(当時の)年相応に老け込んだ方がよいのか意外とむつかしい問題なのかも、さう言えば天皇は「心にもあらで浮世に」の歌を詠まなかった、これほど実感な歌も少ないハズでドラマであればこれを入れずんばあるべからずだと思うのだが(忘れてたとは言わせないよと今更言っても無意味だが)

紫式部は大宰府へ旅立つ、来週は刀伊の入寇で隆家が一働き(のハズ)式部はずっと前に越前で会った宋人と再会するらしい、これが最後の山場てことになるのかにゃ、源氏物語の作者なのに物語世界は全く展開しなかった、わずかに一条天皇が敦康親王と彰子中宮の仲を疑うシーンがあった程度、そんなんだうでもよいじゃないかと思うのは私だけ?その親王も20歳で亡くなった、残された女王を頼通が引き取ったとは言ったのか言わなかったのか・・・

道長は出家、健康状態がよくない(糖尿病)ハズだがはっきりさうは言わないし確かにまだ当分死なない、結局道長の死で終わるのか、大河っていつもそれしかないのかにゃん

今週の大河ドラマ

2024-11-18 15:59:45 | テレビ番組
3人の娘が皇太后、皇后、中宮になった三后冊立、道長は「この世をば」の歌を詠み集まった公家たちが実資の音頭で唱和する・・・
誰もホントにめでたいとなんか思ってないしそもこんなノー天気な歌は今まで描かれて来た道長のキャラにまるで合ってない、その歌を「優美」という実資もそらぞらしいなら唱和するみんなもアホじゃないか(いやアホだ)一人ぐらい黙ってるのが(一番黙ってそうなのが実資だけど)いたってよからうに
とこれは台本が悪いわね、こんな本見せられたらどんなディレクターだっていったいどういう演技を付けたらいいのかわかるわけない、ひたすら棒読みする以外にだうしようもあるまいよ
せめてここはナレーション入れるか(みんなの唱和を途中で消し)「望月とは明日から欠け始めるものである、道長がこの時そのことを意識していたかどうかはわからない、しかし藤原家の栄華はこの日が絶頂であった、この夜の満月は藤原氏のいや摂関政治の終りの始まりだったのだ」今まで解説っぽいナレーションが入ったことは1回もなかった(たぶん)とは思うけど
後4回あるらしい、歴史上紫式部の消息はそろそろ途絶えるハズなんだがさてだうするんだか、いやまTVドラマは竜頭蛇尾で全然かまわんけどさ

今日の大河ドラマ

2024-11-10 22:57:36 | テレビ番組
先週(11/3)見てなかったが話がつながらんということはにゃい、スローテンポなのだ、たぶん
道長三条天皇に譲位を迫る、東宮は自分の孫、つまりはオヤジを同じことやってる、そんなキャラじゃなかったハズだが、ってそんなキャラだったのだ、今までの描き方にこそムリあり過ぎだった
息子の頼通に子がないのが心配、はーそんなことも言うキャラだったのか、いやまーさうだったろにゃ、自分の勝因は1にも2にも娘の彰子が男子を生してくれたことにかかってると知ってたハズだから
敦康親王の奥方は頼通の奥方の妹、その縁で頼通は親王の死後娘の女王を引き取って入内させるのだが男の子は生まれなかった、世の中そんなもんだ、いやまあドラマはそこまで行かんだろが
さう言えば道長の次女研子は三畳天皇の中宮になったが生まれたのは内親王、これさらっと流してたいいことじゃないと思うんだがにゃ、せめて道長息子の能信に「中宮太夫を命じる」と言うべきなんてないの?これ後々効いて来るんだから、いやまあドラマはそこまで行かんだろが
さて来週は「この世をば我が世と」が道長のセリフとして出るらしい、そっか実資が作ったことにはしないってか、望月は翌日から欠け始めることを道長自身が予測してたということでよいのかにゃ、まさにその日は摂関政治オワリの始まりだったのだから
しっかしこれで落としどころをだうすんだろにゃ、TVドラマは竜頭蛇尾でかまわんとは言うものの(最終回は「来週も見てね」と言わんでよいからにゃ)

今週の大河ドラマ

2024-09-23 20:04:34 | テレビ番組
彰子中宮の皇子(後の後一条天皇)誕生、よかったですねと言うべきなんだろがこのお方まことに御気の毒な帝であられるのよにゃ、11歳上のイトコ叔母さんと結婚して何せこのヒトのオヤジが道長だから他の女性の入内はありえない、ついに内親王しか生まれないまま早世されるのだ、いやそんなこと今の時点でわかるわけもないのだが・・・

ということはさておいて道長は式部に「ご出産の様子を書き残してくれ」あのさ、式部はとうから日記書いてるよ、清少納言の悪口とかバッチシ、ここで記録書き始めたなんてありえんのでない?

伊周が道長を呪詛してる、そらあったかもしれん、けどそんなん効果があるとホントは誰も思ってなかったんじゃないかな、現実主義者の清少納言が「今日のヨリマシはさっぱり憑かない」とか証言してるもんね(憑くことももちろんあった、演技力のあるヨリマシがいたならばしっかり報酬貰ってたならば)

源氏物語は33帖とのこと「藤裏葉」である、明石中宮に東宮が生まれて源氏は人生の絶頂・・・ってあのさそこまで作中作と現実世界に何の関連もないわけ?主人公が藤原の左大臣じゃなくて源氏であることについでに言えば紫の上が作者本人であるらしいことに(いやそれは誰にもわからんか)誰も疑問を持たんわけ?
ま、その辺次回で急展開ということになるかもわからんが・・・台本作者は何のためにこれを書いたのかという記事が文春にあるとのこと、多少の興味はあるけど金出して読もうとは思わんにゃ、立ち読みに行くのも本屋に悪いしにゃ、まーだうでもよいことかもにゃ

追記ー誰も突っ込んでない(たぶん)だけど彰子中宮12歳の時から今の20歳まで全く顔が変わってないのよにゃ、今のテクがあればちょっとはメークで変えれるんでないの?昔伊達政宗の奥方は少女の時と成人してからで別のヒトがやってて「あの子がこの子になるかねえ?」と首かしげられてたということがあったけどそら政宗の方も最初は少年だったんで・・・もうちょっと前の「樅の木は残った」では吉永小百合(たぶん当時25歳)が最初は13歳という設定だった、いかにも不自然だったから「声を失った」ことになってたと思う(元ネタ離れ!)だから彰子もあんまし言葉を発しないってことだったのか、それはそれでメッチャ不自然(何でこの子が後に女院様として大化けするんだよ?)だと思うけど

9/24追記ー紫式部日記は1008年7月中宮彰子が出産のために里下がりしてからから半年ほどの記録とのこと(こちら)タハハのハ、そっかそら道長に頼まれた可能性ありだろよ、申し訳なかった、何でも元ネタ当ってから言うもんだ、で次の皇子(後朱雀天皇)の出産に関しては記述ないわけね、でもって面識ない清少納言の悪口とか書きまくってたわけね、わからんヒトよにゃ