昨夜のプロジェクトX、ついつい見せられてしまった
トンネルを掘ったんじゃなくてコンクリートの箱を海に沈めてそれをつないでトンネルにするというユニークな工法、何で海底を掘るんじゃいかんかったのかその辺を聞いてなかったのでいまいち納得いかんのだが、いやま大変な工事だったことはよくわかった、細い海峡を早い海流が流れてる、その潮目を読んで狙った位置に箱を沈めるのが大変、またうまくつながって水が入らんようにできたかだうか結局ヒトが降りて調べにゃいかんかった、いったいだうやればそんなことできるのか見当もつかん(もしや一番肝心なとこは企業秘密だったとか、公共放送は会社の名前言ってない)なるほど・・・いやだから何で海底を掘るんではいかんかったの?
またでき上がった地下鉄線路が1本しかないように見えたのが気になる、単線の地下鉄ってないんでない?いや見間違いだったらゴメン、何せ視力弱いんで
というわけで(だういうわけで?)今度は絶対青函トンネルやってよね、津軽海峡は深いしボスポラスとは比較にならんほど広い、その下を掘ったという大工事だったんだ、これがドラマチックじゃなかったら何だと言うんだよ?
関係ないけど、種村氏の本もようやく四国へ入った、昭和60年瀬戸大橋は建設真っ最中、また鳴門大橋を通って四国入りされたとあった、でも洲本まではフェリーつまり明石海峡はまだつながってなかったらしい、明石海峡大橋を本四架橋だという番組は誤解を招いたんでないのかにゃ(淡路島は兵庫県だろ?)
あわてて追記ー種村氏の本をよく見直したら四国の旅を故あって中断し京都へ向かうために大鳴門橋→洲本のバスと洲本→神戸の高速艇を使われたとのこと、バスより船の方が早かったのかも、そらさういうこともあるかもにゃ・・・
と思ったけどさらに追記ー大鳴門橋は昭和60(1985)年6月に通った、つまりこん時開通早々、明石大橋は平成10(1998)年まで通ってない、つまりこん時は存在してなかったから船を使うしかなかったのだ、やっぱあの番組問題あったよにゃ
さらにさらに追記ー瀬戸大橋が全線通って線路がつながったのは昭和63(1988)年これにて本四架橋はとりあえず完成したのだ、10年後の明石海峡が本四架橋の始まり(と言わんばかり)って・・・全く何もわかってない番組だったとしか言いやうがにゃい、これにて本四架橋の3ルートがめでたく完成したのだと言えばよかったのだ、さう言ったからとて明石海峡開通(兵庫県の島が道路でつながったこと)が快挙でなくなるわけじゃ全然なかったのに、知ってるヒトはさぞやハラ立てながら見てたらにゃ
やけでもう1つ追記ー本四架橋の3本目尾道今治ルートが完成したのは1999年だったとのこと、ということは岡山から四国へ線路で入って今治からバスで尾道へ出ることが可能、四国でも本州でも乗らない線路はかなり短くできるハズということよにゃ、もち今治→尾道はJRを使えんだらうから片道切符にはたぶんならんだらが・・・これマジに考えたヒトおらんのかにゃ、いやたとえ考えても実行するのはかなり困難だろけど、つか私ごときの手には全然おえんけど、しっかしせっかく島へ渡る橋が3本あるのに(使えるのは2本だが)
トンネルを掘ったんじゃなくてコンクリートの箱を海に沈めてそれをつないでトンネルにするというユニークな工法、何で海底を掘るんじゃいかんかったのかその辺を聞いてなかったのでいまいち納得いかんのだが、いやま大変な工事だったことはよくわかった、細い海峡を早い海流が流れてる、その潮目を読んで狙った位置に箱を沈めるのが大変、またうまくつながって水が入らんようにできたかだうか結局ヒトが降りて調べにゃいかんかった、いったいだうやればそんなことできるのか見当もつかん(もしや一番肝心なとこは企業秘密だったとか、公共放送は会社の名前言ってない)なるほど・・・いやだから何で海底を掘るんではいかんかったの?
またでき上がった地下鉄線路が1本しかないように見えたのが気になる、単線の地下鉄ってないんでない?いや見間違いだったらゴメン、何せ視力弱いんで
というわけで(だういうわけで?)今度は絶対青函トンネルやってよね、津軽海峡は深いしボスポラスとは比較にならんほど広い、その下を掘ったという大工事だったんだ、これがドラマチックじゃなかったら何だと言うんだよ?
関係ないけど、種村氏の本もようやく四国へ入った、昭和60年瀬戸大橋は建設真っ最中、また鳴門大橋を通って四国入りされたとあった、でも洲本まではフェリーつまり明石海峡はまだつながってなかったらしい、明石海峡大橋を本四架橋だという番組は誤解を招いたんでないのかにゃ(淡路島は兵庫県だろ?)
あわてて追記ー種村氏の本をよく見直したら四国の旅を故あって中断し京都へ向かうために大鳴門橋→洲本のバスと洲本→神戸の高速艇を使われたとのこと、バスより船の方が早かったのかも、そらさういうこともあるかもにゃ・・・
と思ったけどさらに追記ー大鳴門橋は昭和60(1985)年6月に通った、つまりこん時開通早々、明石大橋は平成10(1998)年まで通ってない、つまりこん時は存在してなかったから船を使うしかなかったのだ、やっぱあの番組問題あったよにゃ
さらにさらに追記ー瀬戸大橋が全線通って線路がつながったのは昭和63(1988)年これにて本四架橋はとりあえず完成したのだ、10年後の明石海峡が本四架橋の始まり(と言わんばかり)って・・・全く何もわかってない番組だったとしか言いやうがにゃい、これにて本四架橋の3ルートがめでたく完成したのだと言えばよかったのだ、さう言ったからとて明石海峡開通(兵庫県の島が道路でつながったこと)が快挙でなくなるわけじゃ全然なかったのに、知ってるヒトはさぞやハラ立てながら見てたらにゃ
やけでもう1つ追記ー本四架橋の3本目尾道今治ルートが完成したのは1999年だったとのこと、ということは岡山から四国へ線路で入って今治からバスで尾道へ出ることが可能、四国でも本州でも乗らない線路はかなり短くできるハズということよにゃ、もち今治→尾道はJRを使えんだらうから片道切符にはたぶんならんだらが・・・これマジに考えたヒトおらんのかにゃ、いやたとえ考えても実行するのはかなり困難だろけど、つか私ごときの手には全然おえんけど、しっかしせっかく島へ渡る橋が3本あるのに(使えるのは2本だが)