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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【経営コンサルタントへの道】 2. 経営コンサルタントは何をする人

2024-10-13 12:05:00 | 【専門業】 コンサルタント・士業成功術

  【経営コンサルタントへの道】 2. 経営コンサルタントは何をする人    

 私は1970年代から半世紀にわたり、「経営コンサルタントとはお節介焼き」「当たり前のことが当たり前にできる企業作り」「現場を重視」「管理とは温かいもの」をモットーとして経営コンサルタントという職業に就いてきました。

 経営コンサルタントになってから、いろいろな人から「なぜ経営コンサルタントになったの?」「経営コンサルタントになるにはどうするの」あるいはすでに経営コンサルタントになっている人からは「経営コンサルタントとして成功するこつは」などと聞かれてきました。

 経営コンサルタントを目指す人の大半が、世の中に漂う“常識”的な方向定めと方法で準備を開始しています。しかし、経営コンサルタントへの道は厳しいですが、成功法による近道もあります。

 経営コンサルタントを目指す人が一度は辿るこの道に、正しい回答になるかどうか、お役に立つかどうかはわかりませんが、独断と偏見をお許しいただき、以下のようにまとめてみました。ご参考にされ、皆様の自己責任でもって判断し、行動して下さい。

 2. 経営コンサルタントは何をする人

 一口に経営コンサルタントといってもいくつかに分類できます。しかし、特に決まった分類方法があるわけではありません。

 経営コンサルタントとは 
 経営コンサルタントというのは、企業や組織、時には個人からの依頼により、依頼主の要望に応じて臨機応変に対処する職業といえます。
それが財務の問題であったり、営業強化、生産効率、経営情報化、原価管理、労務、時には個人の税金対策や個人の悩みまで含まれたりすることもあります。
 依頼主が、自分の会社のどこに問題があるのか、問題点がわからないこともあります。問題はわかっていながら、どう対処したらよいのか困っていることもあります。
 それどころか問題も、その解決策もわかっていながらコンサルタントに依頼してくることもあります。解決策を実行する人材が社内にいないということがその理由です。そのような時には、実務的な部分までコンサルタントが協力することもあります。
 社員研修などは、その良い例でしょう。社員の能力を向上させたくても、それをどのように進めていったらよいのかということになりますと、大企業でも最適な講師がいないこともあります。
 従って、経営コンサルタントとは良い感度のアンテナを持って、調査・分析により問題を発見し、その原因を追及し、その問題の解決策を企画し、勧告します。提案内容を依頼主に理解してもらい、それを実施させ、効果を上げてもらわなければなりません。
 それだけで終わってはなりません経営コンサルタントがいなくても業績がのびていける企業体質を持ってもらわないといつまで経ってもコンサルタントがいないと独り立ちできない企業のままで、経営コンサルタントが協力した意味がないのです。
 経営コンサルタントの仕事は、「経営コンサルタント不要な企業づくり」であり、経営コンサルタントとはそれを企業に実現してもらうことに協力する知的専門家といえます。
 しかし、経営コンサルタントは、心で仕事をすることが大切です。頭で仕事をすると失敗します。経営コンサルタント資格取得には多くの知識を詰め込むことも必要ですが、それだけでは経営コンサルタントという仕事ができるわけではありません。

■【経営コンサルタントへの道】 バックナンバー


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【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 10月12日 ◇五山とは ◇元気な会社 余剰イチゴの加工品でコロナ禍を乗り切る 2205-3a12

2024-10-13 08:03:00 | 【老いぼれコンサルタントのひとり言】

 

  【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記 10月12日 ◇五山とは ◇元気な会社 余剰イチゴの加工品でコロナ禍を乗り切る 2205-3a12 

  平素は、私どものブログをご愛読くださりありがとうございます。

 この度、下記のように新カテゴリー「【小説風 傘寿】 老いぼれコンサルタントの日記」を連載しています。

 日記ですので、原則的には毎日更新、毎日複数本発信すべきなのでしょうが、表題のように「老いぼれ」ですので、気が向いたときに書くことをご容赦ください。

 紀貫之の『土佐日記』の冒頭を模して、「をとこもすなる日記といふものを をきなもしてみんとてするなり」と、日々、日暮パソコンにむかひて、つれづれにおもふところを記るさん。

【 注 】

 日記の発信は、1日遅れ、すなわち内容は前日のことです。

■【小説風 傘寿の日記】

 私自身の前日の出来事を小説日記風に記述しています。

 早朝ウォーキングでは、草木を見たりしていると、季節を敏感に感じることができます。

 つい1~2日前までは、キンモクセイの香りを感ずることがほとんどなかったのですが、かすかに感じるようになりました。

 よく見ますと、堅いつぼみが見られます。

 おそらく、それらの中に、早まって香りを出し始めているのがあるのでしょう。

 これから、しばらくの間は、「こんな所にキンモクセイがあったのか」と発見があるかと思います。


■【今日のおすすめ】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 東北屈指の池泉回遊式庭園のある輪王寺庭園は宮城県仙台市にある伊達家ゆかりの北山五山の一つ 多数の写真で紹介

 先日、仙台の輪王寺庭園をご紹介しましたが、ちょっと手を入れましたので、再度ご紹介します。

 「五山」といいますと、京都や鎌倉を連想しますが、仙台にも五山があるのです。

 五山の起こりは、中国南宋の寧宗がインドの5精舎10塔所(天竺五精舎)の故事に倣って、径山・霊隠・天童・浄慈・育王の5寺を「五山」として保護を与えたのが由来と言われています。(【Wikipedia】)

 ちなみにインド5精舎を調べましたら、祇園精舎・竹林精舎・大林精舎・鹿園精舎・那爛陀寺の五精舎をいうそうです。
 日本では、中国の制をまね、禅寺の格式として五山制が続いています。

 私の事業を引き継いでくれた竹根好助ですが、その部下が時々自分の顧問先や元気な会社に私を招待してくれます。私の半世紀のコンサルタント経験を盗み取り、顧問先に活かしたいという考えのようです。

 今回は、佐賀県の会社で、飛んでいくわけにはいかず、スマホで社内を案内していただきました。

■【成功企業・元気な会社・頑張る社長】 余剰イチゴの加工品でコロナ禍を乗り切る 2205-3a12
 徳島県鳴門市のフルーツガーデンやまがたは2012年設立の観光農園だ。主力の栽培品目は同社の山形文吾社長が10年かがりで栽培に成功し2015年12月に商標登録した「うずしおベリー」というイチゴで、有害肥料を一切使わず、天然海藻エキス、鳴門の海で獲れた牡蠣殻パウダー、有機酸カルシウム、カツオエキスをブレンドした肥料で栽培する。洗わずに食べられるうえ、他のイチゴ品種より大粒で、甘みと酸味、旨味のバランスがいい。

 農園でのイチゴ狩りは60分間で大人2000円、子供1500円。1シーズンに4回も5回も来園するリピーター客も多く、新型コロナウイルス感染症顕在化前の2018年には年間約1万2000人の来園客でにぎわっていた。だが、感染者増による外出自粛などで2019年の来園客は約4000人に減少、売り上げが大きく減ってしまう。緊急事態宣言の発出で出歩く市民もほとんどいなくなったため、20年の春先から農園で収穫したイチゴのデリバリー販売を始めた。専用サイトを開設して予約を取り、社内のスタッフが週に2~3回、車で宅配する。3パック1000円で、日に160パック出る日もあったが、イチゴの収穫、選別、パック包装などに手間がかかり、思うように利益が伸びなかった。

 そこで21年5月から着手したのがイチゴの加工品の製造・販売だ。イチゴ狩り客が減ったために冷凍保存した余剰イチゴを材料に、徳島県の産業振興機構の支援を得て、生キャラメルやチーズケーキ、氷菓にプリン、ジャムの5品種を開発した。宣伝はSNS程度だったが、鳴門市のふるさと納税の返礼品に選ばれ、地元銀行のECサイトに掲載された効果もあり、販売は好調。21年11月から「ジェラート」「アイスクリーム」「濃厚ミルクプリン」が加わり、8品目に拡大。全国各地の食品展示会に出展するなどPRに力を入れている。

 前年度に約4300万円だった同社の売り上げはイチゴ加工品販売がカバーして7 800万円に伸びた。「今後は自社のホームページをリニューアルして、商品を見やすく展示し、オンラインでの購入者を増やしていきたい」と山形社長。イチゴの収穫期は12月から6月。同社のハウスでは、かがまずに収穫できる位置でイチゴを栽培しているし、車いす専用レーンも設けているから、天候に関係なく、車いすやベビーカーでもイチゴ狩りを楽しめる。消毒や検温など感染防止対策も整えた。本業のイチゴ農園が、同社の売り上げに寄与する日はそう遠くなさそうだ。

  出典: e-中小企業ネットマガジン

■【今日は何の日】

  当ブログは、既述の通り首題月日の日記で、1日遅れで発信されています。

  この欄には、発信日の【今日は何の日】と【きょうの人】などをご紹介します。

■【経営コンサルタントの独り言】

 その日の出来事や自分がしたことをもとに、随筆風に記述してゆきます。経営コンサルティング経験からの見解は、上から目線的に見えるかも知れませんが、反面教師として読んでくださると幸いです。

■ ハナミズキと日米の交流 a12
 早朝ウォーキングをしていますと、季節の変化を常に感じさせてくれます。
 初夏に淡いピンクの花を咲かせるハナミズキが、今は赤い実を付けはじめています。
 【Wikipedia】によりますと、次のように表記されています。
   ハナミズキ(花水木、学名: Cornus florida)は、
   ミズキ科ミズキ属ヤマボウシ亜属の落葉高木。
   別名、アメリカヤマボウシ
 アメリカのセコイア国立公園を訪れたときに、ベイ松の大木の間で、「私もここにいるのよ。私のことも見て頂戴!」と主張していたことを思い出します。
 ハナミズキという名前の由来を調べますと、「ミズキの仲間の中でも花が目立つ」ということに由来するそうです。
 英名が「dogwood」であることも、その時に知りました。
 ちなみに、ハナミズキは、日本がアメリカ・ワシントンDCに桜を贈ったときに、アメリカ側から返礼として贈られた木です。
 そのハナミズキの子孫が、都内にある某農業高校の校庭に植えられています。

■【老いぼれコンサルタントのブログ】

 ブログで、このようなことをつぶやきました。タイトルだけのご案内です。詳細はリンク先にありますので、ご笑覧くださると嬉しいです。

■バックナンバー
  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a8e7a72e1eada198f474d86d7aaf43db


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■【今日は何の日】 10月13日 麻酔の日 自分の妻を人体実験に ■ サツマイモの日 栗よりうまい十三里

2024-10-13 00:00:00 | 【今日は何の日10月】

 

  【今日は何の日】 10月13日 麻酔の日 自分の妻を人体実験に ■ サツマイモの日 栗よりうまい十三里

 一年365日、毎日が何かの日です。

 季節を表す日もあります。地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。誰かの誕生日かも知れません。歴史上の出来事もあります。セミナーや展示会もあります。

 これらをキーワードとして、私たちは自分の人生に、自分の仕事に、自分自身を磨くために何かを考えてみるのも良いのではないでしょうか。

 独断と偏見で、エッセー風に徒然のままに書いてみました。皆様のご参考にと毎日続けていこうと・・・というよりも、自分自身のために書いてゆきます。 詳細 ←クリック

今日は何の日インデックス】  日付を指定して【今日は何の日】を閲覧できます

■ サツマイモの日 栗よりうまい十三里
 小江戸として知られる埼玉県川越市の市民グループ・川越いも友の会が、「栗(九里)より(四里)うまい十三里」とサツマイモが言われるのにちなんで、制定しました。

 10月というのは、さつまいもの旬であり、江戸から川越までの距離が約13里なのが、その制定の由来になっています。

 川越市(かわごえし)は、埼玉県南西部に位置する人口約35万人の市です。江戸情緒だけではなく、大正時代におけます商業の街の風情も残る観光地でもあります。

 東京からは、西武線や東上線を利用して、1時間ほどで行けるところにあります。常に多くの観光客を擁しています。

  川越の【カシャリ! ひとり旅】
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/saitama/kawagoe.htm

* 

■ 麻酔の日 自分の妻を人体実験

  10月13日は日本麻酔科学会が制定した「麻酔の日」です。

 麻酔と言えば華岡青洲を思い出す人が多いですが、1804年10月13日に世界で初めて全身麻酔による乳癌手術を青洲が成功させたのです。

 その青洲も、医学関係者には名前が通っていましたが、実は、あることが契機になるまでは一般の人で青洲の名前を知っている人は少なかったと言われています。

 そうです。有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」が1966年に発表されたことから一般の人にも青洲の名前や功績が知られるようになったのです。

 青洲の母と妻の嫁姑問題として有吉が青洲の功績を小説にしています。しかし、これは小説上の話しで、実際には親戚縁者などが献身的な協力をし、人体実験を繰り返す中で生まれた青洲の功績なのです。

 今日では、麻酔は専門医がいて、その人の手を経て麻酔がかけられます。全身麻酔や局部麻酔と用途により麻酔の仕方が異なります。

 私もこれまでの人生で、ただ一度(除盲腸)大手術を受けたことがあります。午後1時に手術室に運ばれて、気がついたら夜の9時でした。妻の顔がぼんやりと見え始めた時には、自分がどこにいるのかすぐには思い出せませんでした。

 生死の境目をさまようような手術ではないと聞かされていたのですが、“想定外”の手術になってしまったことを後から聞かされました。

■ 【今日は何の日】その他

◇ 鎌倉光明寺お十夜

◇ 妙法寺御会式

◇ 和歌山龜山神社祭

◇ 島田帯祭

◇ 日蓮聖人忌

◇ 法灯国師(無本)寂

◇ 嵐雪忌

■ 【きょうの人】 日蓮聖人

 日蓮(にちれん、貞応元年(1222年)2月16日-弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖です。滅後に皇室から日蓮大菩薩(後光厳天皇、1358年)と立正大師(大正天皇、1922年)の諡号を追贈されています。

 十二歳で出家し、各地を遊学しました。法華経の神髄を把握して、日蓮宗を開き、解いて回りました。

 しかし、他宗派を強烈に批判し、排除するなど宗教家として過激な面があります。鎌倉時代執権北条時頼の逆鱗に触れ、文永8年に佐渡に凪がされます。

 堂1年には許されて鎌倉に戻りますが、白布には入れられませんでした。

 身延山に隠棲し、子弟の教育や著述に励み、自身滅罪の生活を送ったと言われます。代表的な著書に「立正安国論」があります。

◇ 立正安国論

 日蓮が文応元年(1260年)7月16日に北条時頼に提出した文書が立正安国論です。

 日蓮は、相次ぐ災害の原因は人々が正法である法華経を信じずに浄土宗などの邪法を信じていることにあると主張しました。

 対立宗派を非難し、このまま浄土宗などを放置すれば国内では内乱が起こり外国からは侵略を受けると唱えました。逆に正法である法華経を中心とすれば(「立正」)国家も国民も安泰となる(「安国」)と主張した書物です。

(ドアノブ)

趣味・旅行のブログ

 

 


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