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経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

■■【当たり前のことが実行できるようになる】1970年代以来の経営コンサルタント経験

2015-05-13 20:32:00 | 【話材】 ビジネス関連

■■【当たり前のことが実行できるようになる】1970年代以来の経営コンサルタント経験

 経営コンサルタント歴35年の経験から、いろいろな企業や経営コンサルタントとお会いしてきました。その人達との交流や経験から「経営トップ15訓」としてまとめてみました。

 「当たり前なこととは何か、当たり前にできるようにするには・・・」

 一般企業の経営者・管理職だけではなく、経営士・コンサルタントや士業の先生方にもきっとお役立ちいただけるものと信じています。

【 重要 】

 お陰さまで大変ご好評をいただいています。ある読者様からのご提案で「経営トップ15訓」のカテゴリーを独立することになりました。バックナンバーが見やすくなったことと確信しています。

 また、「1訓」をテーマ毎に幾つかに分化してお送りしてきましたが、理解しやすさという観点から「1訓」をまとめて、1訓毎に全文をお送りすることになりました。此を契機に、7月9日(月)より最初から1訓単位でお送りします。一部の内容が重複いたしますがご理解くださるようお願いします。

 平日午前9時に、毎日発信しています。予定通り発信できないことも多々ありますが、ご愛読の上、日常の業務にご活用下さると幸いです。

 グローバルな視点の経営者・管理職 
 


線-孫悟空

経営トップ15訓 ”当たり前”が実行できる


 経営コンサルタント歴25年を経過した時点で、(特)日本経営士協会の理事長を拝命することになりました。その際に、自分自身を戒める意味で「理事長十戒」を作り、それを日々座右におきながら仕事をしてきました。

 私の経営に対する考え方の基本は「当たり前のことが当たり前にできる」「暖かい管理ができる」、その様な企業作りのお手伝いをしています。

 理事長歴も長くなり、そろそろ後任の選定やその人への傾斜引き継ぎを考える時期といえましょう。この十戒に加筆をして、企業や組織のトップ・管理職の方々に向けて焼き直したものを「トップ15訓」としてまとめてみました。経営トップの皆さんだけではなく、私自身にも必要なことなので「社員」という言葉と共に「会員」という言葉も使っています。

 まだまだ内容的には不充分ですが、今後もこれをベースに推敲・改訂を重ねて参りますが、その第一版として茲にご披露させていただきます。トップの方々や管理職で日夜ご奮闘されている方に、少しでもご参考になれば幸いです。


 「経営トップ15訓」は、15訓+アルファのテーマで、毎月一回第三水曜日頃お送りする予定です。

 準備でき次第、下記ウェブサイトにも掲載を予定しています。こちらも準備ができたページからアップロードしてまいりますので、お楽しみにしていて下さい。

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■■【歴史に学ぶ経営】 大阪の行政が問われる 

2015-05-13 20:23:21 | 【話材】 ビジネス関連

■■【歴史に学ぶ経営】 大阪の行政が問われる 


 「原点に返る」「歴史は繰り返す」という言葉があります。歴史をひもとくと、我々に大きな示唆を与えてくれます。視点を変えると経営にも活かせることがたくさんあります。

 

 ところが、それに気づかないことが多いのです。皆さんの気づきの一助になればと考えてお届けします。

 

■大阪の行政が問われる

 

 大阪の行政のあり方が問われる昨今です。

 

 初めて大阪の御堂筋を目にした時、広い道幅、それにこの道が一方通行なのに驚かされました。

 

 その昔、「大阪を経済で日本一にし、東京を従えさせる」と言って闘い続けた市長がいます。

 

 関一(せき はじめ)。明治6年、幕臣の家に生まれ、20代の頃、ヨーロッパに留学もしています。その際、開業後3週間のパリの地下鉄に乗ったことが、後の人生に大きく影響します。

 

 42歳で大阪市助役になると、大正7年の米騒動では、市設市場を設置し、安く米を提供。6日で沈静化させました。また、単身労働者や失業者のための簡易宿泊所や託児所、児童相談所を創設していきました。

 

 市長になった大正12年以降は、中央市場の開設、大阪城天守閣の再建、現在の大阪市立大学の開校。そして、御堂筋の拡張と日本初の市営地下鉄である御堂筋線の開通を同時に成し遂げました。

 

 この時に大阪の大動脈である御堂筋は、それまでの道幅が6.3mだったのが43.6mになりました。

 

 昭和9年、室戸台風が西日本を襲い、復旧復興に全力をあげている最中の翌昭和10126日、病気で現役市長のまま、この世を去りました。直前には多くの市民や労働者が見舞の電報を送り、神社に回復祈願をしたそうです。

 

 関市長が助役時代にこんな言葉を残しています。

 

 「上を見て、煙突を数えるだけでなく、労働者・市民の状態を見よ」

 

  資料出典: J-NET21



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