ヴァイオリンとフルートのRio

ヴァイオリンとフルートに取り組んでいます。

終戦記念日

2016年08月15日 10時19分00秒 | その他
 長期間にわたり、内外の敵味方に多数の死傷者を出した大東亜戦争は8月15日の玉音放送を持って終わった事になっています。

 戦争の名称を太平洋戦争とする事が多くなりましたが、公式には大東亜戦争として始まっています。「大東亜」はかつての大東亜共栄圏に通じるものとして排斥する人が居たらしい。

 召集されて戦地に赴くのは各地の部隊単位で行われたため、町や村の軒並み遺骨が帰って来ると言う悲劇もあったと聞きますし、戦死ではなく飢えや病気で亡くなった人も多かったと聞きます。

 銃後と呼ばれる留守家族も戦争末期には空襲に曝されました。有名な昭和20年3月10日の東京大空襲による死者数は10万人とも言われ、この死者数だけでも広島や長崎の原爆投下によるそれぞれの死者数にほぼ匹敵します。全国の各都市でも同様の空襲の被害が有りました。

 父親は外地から帰還して再度召集され、東京の部隊で焼け跡の整理に当たった事が有り、空襲の犠牲者の黒焦げの死体をトラックに投げ上げる作業にも従事しました。その悲惨さはPTSDどころではなかったそうです。また防火上、何ともない家を壊して防火帯を作る作業もしましたが、家族が恨めしそうに見ていたそうです。

 郊外に住んでいた両親も食料は配給制で乏しく、徒歩で野菜を買いに近在の農家を訪ねた事もあったようです。空襲もあり、当時走っていた電車も空襲時には停車し、乗客が下車して避難しました。母親の妹は当時小学校生で、空襲の際には飛行機の機銃で撃たれないよう物蔭を選んで走って通学したそうです。

 と書き連ねては見たものの、私は戦後生まれでこれらはいずれも聞き書きに過ぎません。終戦は昭和20年(1945年)で今から71年前、当時何歳だったら戦争について語れるかは個人差や経験内容にもよりますが、おおよそ次のようになります。

 終戦当時成人であれば現在は91歳、有名な初代林家三平の奥さんの海老名香葉子さん、東京大空襲でご家族が亡くなり孤児になられましたが、1933年生まれで終戦日には12歳で現在は82歳。天皇陛下と同年、同学年になります。


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吉原あれこれ

2016年08月13日 18時59分19秒 | その他
 平塚雷鳥が登楼事件を起こした大文字楼の跡は現在は吉原公園になっています。大文字楼は角海老楼、稲本楼などと並ぶ吉原の大籬(おおまがき)の一つ。大店(おおみせ)とも言います。

 昔は周囲をお歯黒ドブで囲まれ周囲から隔離されていたため、この一帯を遊郭と呼びます。大小様々な店(見世とも書きます。)が数百軒、それ以外に普通の商店、仕出し屋、郵便局などもあったようです。

 店には経営者である楼主(ろうしゅ)および家族、遊女が住んでいました。他の従業員も住んでいたと思います。遊女となる女性は、支度金などの名目で親に金を前渡しして連れて来たため、今なら人身売買と見なされます。しかも働く内容が問題。ただ他の商売でも若い男女を支度金を払って雇い入れ、年季奉公させる事は昔は普通に行なわれていました。

 経営者側の悩みもあったようで、この種の商売の社会的地位はとても低く、さげすまれたように聞きます。関係者の著書によると、家の商売が知れたら大学を退学になると心配した事もあるらしい。恐らく縁談にも差し支えたと想像され、現在ではセレブである役者も昔は地位がとても低かったので、吉原の楼主と役者が縁戚関係と言う事も昔は多かったように聞きます。

 戦後の売春防止法により多数有ったお店は廃業し、現在はソープ街になっています。一部のお店が商売替えしたものと言われ、ほとんどはその後参入したと言われます。ソープと売春防止法との関係はと言うと、同法では売春そのものは禁止となっていても罰せられません。加えてソープ経営者が個室で違法行為が行われていると知らなければ問題が無いらしい。


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大型船で蹴散らす手が有った

2016年08月12日 08時47分53秒 | その他
 尖閣諸島周辺にたむろする中国漁船にギリシャ船籍の10万トンの大型貨物船が衝突し、漁船は沈没した模様で乗組員が日本の海上保安庁の巡視船により救助されました。当の貨物船から日本の海上保安庁に連絡が有ったため、海上保安庁は尖閣警備中の巡視船を割いて救助に向かったとの事。

 近くには中国海警局の船(日本の巡視船に相当)や尖閣諸島の北方には中国の軍艦が常駐していて駆け付けられた筈なのに、連絡が無かったせいか救助に向かったと言う情報はありません。彼らは日本の侵略もしくは嫌がらせの目的で来ているので、自国民の保護はしなくてよいのかも知れません。

 一連の報道に接して、なるほど丈夫な大型船を航行させて漁船を蹴散らす手があったかと思いましたね。中国漁船のサンゴ密漁の際にも、海上保安庁の「しきしま」か「あきつしま」なら軍艦構造で丈夫そうだから、使えたのかも知れません。

 衝突させるには丈夫な船でないといけないので、海上保安庁の巡視船の上記の一部の大型船か海上自衛隊の艦船が適していますが、意図的に行なったらまずいよね。でも大型船なら小さい漁船をいちいち避けて航行するのは難しいので漁船が注意すべきと思います。

 南極観測用に用いられる「しらせ」は氷にぶつけるように出来ているので、かなり丈夫な筈。ただし、海上自衛隊所属なので難癖を付けられる可能性があります。丈夫な大型船を持つ船会社が秘かに政府の命を受けて特攻的精神で行なうしかありません。今回の貨物船のように外国船籍にしておけばよいのかな。

 われながら不謹慎な内容になりました。


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平塚雷鳥

2016年08月11日 10時28分20秒 | その他
 朝ドラの「とと姉ちゃん」に突然登場しました。青踏社の主宰者として知られ、「元始、女性は実に太陽であった。・・・」は良く知られています。

 何でも自分で見て確かめたかったのか、数人で吉原の大見世である大文字楼(だいもんじろう)に登楼し、後に物議をかもしたと聞きます。世に言う「吉原登楼事件」。

 このとき、花魁と平塚雷鳥が同じ女高師(今のお茶の水女子大)の付属高等女学校出身だったそうで、話が弾んだものと想像されます。

 平塚雷鳥は他にも「五色の酒事件」と言うのを起こしていて、どこぞのバーで、今で言うブースカフェでも飲んだのでしょう。今なら女性がバーでカクテルを飲んでも驚くことではありませんが、当時はモラルに外れた行為と思われたようです。

 なお平塚雷鳥の雷鳥は平仮名で書く場合は「らいてう」。こう書かれていても、そのとおり読むのではなく、「らいちょう」と読みます。ペンネームは昔の表記の「らいてう」だったので、そのままになっています。

 仮名書き表記は時代の変遷を経て変化しているそうで、例えば「ちょうちょう」(蝶々)は「てふてふ」と書いたり「ちゃうちゃう」と書いた時代もあったとか。


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真っ赤だな

2016年08月10日 20時02分11秒 | 音楽
 「赤」と言うと特定の思想を指すことがあります。歴史的に革命とか労働運動を象徴する色として赤が使われたためで、革命以降のソ連の赤軍や国旗の地色である赤旗は有名。日本でもナントカ赤軍とかナントカ赤旗と命名されたものがあります。

 ここで色相としての「赤」を弁護しておくと、元祖のロシア語の「赤い」(クラースヌイ)は「きれいな」と言う意味を含んでいるそうで、私などが勝手に連想する血の色のイメージとは違うようです。

 脇道の話が続きましたが、ここで言う「真っ赤だな」は童謡のタイトル。調べましたら作詞が薩摩忠、作曲が小林秀雄、同姓同名の有名な批評家と間違えそうですが、この場合は純然たるクラシック作曲家。

 ここからは何かが何かに似ていると言う、ときどき書く話で、バッハの管弦楽組曲第三番第三曲のガヴォットの冒頭と似ています。因みに、第二曲のアリアはヴァイオリニストのウィルヘルミにより編曲されて「G線上のアリア」としても有名。組曲第三番を聞いていてアリアが終わると、このガヴォットになります。


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