ヴァイオリンとフルートのRio

ヴァイオリンとフルートに取り組んでいます。

ヴァイオリンの無伴奏曲

2019年02月28日 21時45分44秒 | ヴァイオリン
 ヴァイオリンの無伴奏曲と言えば、バッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」やパガニーニの「24のカプリース」が有名。

 シゲティによれば、先輩ヴァイオリニストがバッハの無伴奏を取り上げたのはまれな事だったそうで、先輩達が技巧を聞かせるためにシャコンヌを弾いたのがせいぜいと言う事だったらしい。

 ヴァイオリンの無伴奏曲は比較的珍しいジャンルで、一般的なヴァイオリンの曲の多くはピアノの伴奏かオーケストラの伴奏を伴います。ヴァイオリンは高音を奏でる楽器なので、低音の伴奏を加える事によって深みが増すと思われるからなのでしょう。因みにバッハの楽譜にはsenza Basso(バス無し)と書いてあります。

 しかしヴァイオリンの最低音は下第三間の「ソ」で、大人の男性の低音側の限界とほぼ一致し、かなりの低音が出せます。それにヴァイオリンは複数の弦を一度に弾いて重音、つまり和声を奏でることも出来ます。つまりヴァイオリン単独でもかなりの表現力が有ります。

 ヴァイオリンの無伴奏曲は、Wikipediaの「無伴奏ヴァイオリン曲」と言う項目を見るといろいろ挙がっていますが、私にはほとんど知らない曲ばかり。

 ところでヴァイオリンの無伴奏曲は独奏ヴァイオリンのためにムダを削ぎ落として作られたものと見ることも出来ますが、逆にそこから出発して無伴奏曲とは正反対の壮大な曲に変身させられる事もあります。

 バッハの無伴奏パルティータ第3番のプレリュード、バッハ自身が教会カンタータ「神よあなたに感謝します」(BWV29)に使っていて、賑やかに編曲されています。後世のピアノ版、例えばウィルヘルム・ケンプが編曲・自演したものを聞くと、とても力強い音楽に変身しています。

 このプレリュードの原曲の冒頭は8分休符で無音の筈なのに、バッハの編曲では音が加えられています。「休符の感じ方」、「休符の弾き方」を先生に指摘される事が有りますが、バッハの編曲を見れば、休符から音楽が始まっている事が具体的に分かります。ケンプのピアノ演奏でも無音どころかフォルテで始まっています。

 パガニーニの「24のカプリース」、こちらはオリジナルよりもラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の方が有名ですね。ピアノとオーケストラが奏でる豊かな調べが特徴。無伴奏ヴァイオリンで全曲を聞くのはなかなか大変。第18変奏のメロディーはオリジナルのメロディーの「反行形(はんこうけい)」、つまり音符の上がり下がりが逆なのだそうで、元のヴァイオリンのメロディーとは違って聞こえます。


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詐欺コール

2019年02月22日 21時05分55秒 | その他
 税金の還付と称する電話が10年くらい前にかかって来ました。還付を受ける心当たりは無く、還付と無関係な携帯電話の所有を尋ねられたので、持っていないが、そうすると還付を受けられないのかと逆に質問したら、持っていないと還付を受けられないとの事でした。バカだね。役所はお前が思うよりは公平なのだよ。

 最近は固定電話には原則出ない事にしていますが、一応、番号のチェックは行なっています。0120・・・と言う電話も昔は無料のフリーダイヤルだったのが、いつの間にかしょうも無いセールスの電話ばかり。

 ある日記憶のある0120・・・の電話に出て見たら「特殊詐欺防止コールセンター」から。後刻調べて見たら埼玉県警が民間に委託しているもの。

 0120・・・の電話に出ないようにしている人は多い筈。警察はご存じないのかも知れません。折角の啓発活動も相手に伝わらないのではと思って電話の主には申し上げましたが、民間の方だから言われてもお困りかも。

 電話の内容は還付金詐欺のような電話がかかって来なかったかというようなもので、気を付けて下さいとの事でした。

 公的機関が一般の人との間で金員の授受を行なう際には予め文書で連絡して来ます。電話で金を請求するのは詐欺の場合だけ。その事をよく知らしめるのが先決ではないかと思います。

 電話がこれだけ普及して利便性が増したと言っても、法律的効果を生むような確実性のある手段ではありません。裁判所をかたる場合もあるやに聞きますが、裁判所は文書による送達を行なう事くらいは知っておくべき。他の役所もこれに準じます。


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まいどPiacentino

2019年02月17日 08時15分31秒 | 音楽
 フルート協奏曲ト長調の第2楽章が気に入り、オリジナルのパート譜を見付けてダウンロードし、ピアノの伴奏譜を作成して頂いた事は既に書きました。

 このバロックのフルート協奏曲の緩徐楽章は演歌のメロディーのようにも聞こえます。試しに「圭子の夢は夜ひらく」の歌詞を拝借して歌うととてもマッチします。相変わらずの蛇足になりますが。

 なお、同じ作曲家の協奏曲ト長調はもう一つありますので、お間違いの無いよう。ここで取り上げているのはYouTubeにもある、ランパル、ゴールウェイ、フェラリーニが演奏している曲。

 この協奏曲は3楽章の構成で、最初聞いた際には第1楽章と第3楽章があまりピンと来なかったために、メロディーのきれいな第2楽章のみに注目しました。よくよく聞いて見ると前後の楽章もなかなかのもの。私の聞く能力がかなり怪しいと言う事に改めて気付かされます。

 第1楽章は賑やかに開始されて聞き手を引きこみます。決して誰も寝ては居られません。YouTubeの演奏ではオリジナルには無いバスーンが加わっていて、これはよく行なわれるバロックの演奏上の改変らしい。フルートソロはなかなか難度が高く、32分音符が頻繁に登場します。もちろん私にはお手上げ。

 第1楽章のソロパートはまるでヴァイオリン協奏曲のソロパートのようで、個人的にはこの曲をヴァイオリン協奏曲として演奏しても差し支えないと思います。フルートの世界に存在するベートーヴェンやメンデルスゾーンのフルート協奏曲の逆になりますね。フルートの曲をヴァイオリンで弾く際には音域の問題が生じません。

 第2楽章は静かで物悲しい曲想を持ちます。主題をよく見ると第1楽章の主題を短調にしたようなものだし、第3楽章も第1楽章との関連性があるように見えますから、全楽章を通じた一貫した流れが感じられます。

 
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児童虐待死の波紋(3)

2019年02月12日 20時59分29秒 | その他
 児童虐待死のニュースを聞くと、親が子供を育てるのではなく、社会で育てるようにすべきとの考えが生まれる恐れがあります。

 身寄りのない児童を含め、児童の保護を行なう公的な組織は現に存在します。実情を垣間見た事は有りませんが、健康的で文化的な最低限度の暮らしは憲法が保障するところ。

 原始共産制のように社会で子供を育てるのであれば、特定の親による虐待や育児放棄がもたらす弊害は希釈されるかも知れません。しかし現行憲法下では家の概念は無くなっても家族の概念は残っていて、家族で子供を育てるのが基本。

 シェアハウスにおける共同生活や、労働中の保護者に代わって世話をする保育施設は育児の一端を担っているように一応見えます。

 シェアハウスの場合なら、親が不在の間でも、手のすいた他人が代役で育児を務めるであろうと思います。それはよいとして・・・。

 保育施設では育児が行なわれているのかどうかを考えて見ると、保育士が特定の子供に目を向けるのは、対象が4、5歳児の場合で、時間的には30分の1に過ぎないのが実態と思います。なぜなら4、5歳児の子供30人には保育士を一人配置すべきとの配置基準があるから。(配置基準は年齢によって違います。話題の虐待死は小学生だったので、それに近い4、5歳児を例にしています。)

 つまりほとんどの時間、子供は施設内で放置されています。「数%育児」とでも言う方が正確ではないでしょうか。育児放棄イコール「0%育児」としても、「数%育児」だって数字上の差は僅かではないかな。

 勿論親が働きに出る必然的な理由はありますから、働いている間保育施設に預ける事を悪い事などと決めつけるのは意味が有りません。しかし、目の行き届かない「数%育児」を行なう保育施設が理想形ではない事も明らかで、保育施設に預ければ一件落着と考えるのは責任を全うした事にはならないのでは?。

 出来れば、一定年齢までの子供を持つ親の場合には労働の日数や時間を制限して育児に割く時間を確保させることが理想。一方で最低限の収入が保障されるような体制を社会全体として考えてもよいのではないかな。勿論男女を問いません。


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児童虐待死の波紋(2)

2019年02月10日 10時02分56秒 | その他
 学校の成績の付け方に5段階評価と言うものがあります。「正規分布」に基いて各評価に該当する生徒の数を決めるもので、「1」・・・7%、「2」・・・24%、「3」・・・38%、「4」・・・24%、「5」・・・7%}と決められています。

 「千三つ」は日本で古くから言われ、正しいことが3つくらいで残りはすべていかがわしい事を指しますが、正規分布で3σの範囲に収まる割合が99.7%と言う事と偶然に一致します。つまり0.3%は極めて稀と言う事になります。江戸時代の和算に正規分布に似た概念が有ったのか、あるいは博打打ちが体験的に唱えた事なのかも知れません。

 さて日本の小学生の人数は平成29年度で644万人余りとの公式数字があります。644万人の0.3%は19,320人。と言う事はこれくらいの人数の小学生が何かしら稀有な属性を有していたり、事件に巻き込まれる可能性は統計上は不思議では有りません。

 しかし平成29年度の児童虐待相談対応件数は13万件余りとの事であり、すべてが犯罪的なものと言い切る訳には行きませんけれど、「不思議」を通り越した人為的、意図的なもので有る事が想像出来ます。

 と言う事は児童虐待を行なう親もこれら数字に示されるくらいの人数は存在する事になります。児童虐待を行なわないまでも、育児放棄、家出など、児童にとって必ずしも好ましいとは言えない親も潜在する事と思います。


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