ヴァイオリンとフルートのRio

ヴァイオリンとフルートに取り組んでいます。

水害を招く一極集中

2019年08月29日 17時11分40秒 | その他
 北九州で集中豪雨による浸水被害が続いています。降雨量が予想を超えて多かった事に加えて有明海の最大6mとも言われる干満の差が影響したものと聞きます。

 私は日豊本線の竜ヶ水駅で列車が海に流された翌日、宮崎県側からバスとフェリーを乗り継いで鹿児島に行った事が有りました。

 フェリーから眺めた錦江湾は濁っていて多数の倒木が浮かんでいましたし、天文館界隈の飲食店の地下の水没、公衆電話ボックスに逃げ込んだ市民の水死などの痛ましいニュースを耳にしました。

 この電話ボックスの件の死亡記事を南日本新聞で見ましたが、他の死亡記事に有る「家族の見守る中・・・」の文言が無く、ご家族も残念であったろうと思います。

 この鹿児島市内の水害は都市化によって水ハケが悪くなった結果と聞きました。歩いて見ても勾配が乏しい訳ではなく、雨が降っても普通に流れるような気がしましたが、周辺地域の開発の影響がかなりあったらしい。

 都市化で、住宅が増え地面がコンクリートで覆われるようになると、降った雨は地面に吸い込まれず地表を流れます。加えて、建物が新築されれば住居は勿論、オフィスビルや商業ビルでも水道を使用します。実はこれも影響が有るのでは?

 住宅1軒あたりで1日1トン程度の水道水を使用するとして、ほぼ全量が排水されます。多層階の場合、面積当たりの排水量は重畳されます。降雨とは別のものだし、台風や豪雨の際にも水道水が使用され、排水は続きます。高層ビルにもなると集中豪雨並みの降雨量に匹敵する量の排水が生まれるのではないかなと思います。

 高層ビルの高さを競うのは、こういう影響を考慮しての上なのかなんて考えてしまいます。一極集中などと言われる地域ではもっと深刻ではないかと思います。

 いっそ多層階の場合には排水税でも課したらと思います。ついでにゴミ出し税も。生じる問題の解決の一助になると期待出来ます。


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日本をけなすに至った経緯

2019年08月25日 21時06分20秒 | その他
 どうも首をひねる事ばかり。そこで少々調べて見ました。

 1910年から終戦の1945年の約35年、日本が朝鮮半島を統治していました。それまでの朝鮮半島には李氏朝鮮と言う封建国家が有りました。初代の王様が李成桂(イソンゲ)、韓流時代劇に代々の王様が登場します。

 李氏朝鮮は清国に従っていて(=属国)で、重要事項については清国の承認を仰いで居ました。日清戦争の結果、清国の属国ではなくなり、それを見た日本が登場して、日韓併合条約締結により、当時の大韓帝国を支配する事になりました。

 日韓併合は現在なら帝国主義な行為とみなされますが、戦争により切り取ったものではなく侵略とは言えません。仮に日本が併合しなければ、ロシア、アメリカ、欧州列強が代わりに手を出した筈で、日韓併合は当時、国際的に黙認されています。

 前置きはともかく、日本が統治した間に日本人が朝鮮人をどう扱ったかと言う点が問題で、創氏改名のような悪名高いものも知られていますが、概ね日本の進んだ文明が持ち込まれ、生活が向上した筈と思います。

 勿論、他国による支配が面白い筈はありません。しかし李氏朝鮮で両班(やんばん)が特権階級としてのさばっていたのが解消され、日本の行政の仕組みがもたらされて近代化されたプラス面も有った筈。しかし韓国は日本がもたらしたプラス面など認めません。

 例えばソウル大学。日本統治の時代に京城帝国大学が置かれたのが前身と日本人は思いますけれど、韓国では無関係な別個の大学とみなされています。因みに台湾の国立台湾大学は台北帝国大学が前身であると認められています。

 日本が統治した間、官吏や民間会社でかなり朝鮮人を登用したと聞きますが、日本側がそう言っても韓国側は認めたくないので、朝鮮人が虐げられたとの主張ばかり韓国側から出て来ます。

 徴用工が過酷な労働環境で働かされたのは多分事実。当時は戦時中で日本人も同様な重労働に従事させられましたから、差別的であったと言うのは言い過ぎのように思います。

 私が歴史を教わった際にも日韓併合が取り上げられた事はありませんが、韓国ではしっかりと日本を意識し、日本が朝鮮半島を帝国主義的に侵略して支配し、一般市民を虐げたと教え込んでいます。これではいわゆる「歴史認識」が異なるのは当然、むしろ大多数の日本人は「歴史認識」の意味が分かりません。

 「加害者である日本・・・」と言う文在寅(ムンジェイン)大統領が使う表現は、朝鮮半島を帝国主義的に侵略・支配し、朝鮮人をいじめ抜いた国と言う意味を込めた積りと想像され、一般の日本人には到底理解できません。

 韓国政府は日本政府を敵視しつつも、日本国民を別物として扱って居る積もりでいて、しかし実際には日本国民を敵視していると日本では思われていて結果として反感を煽る事になっています。


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韓国は友好国未満、敵国以上

2019年08月23日 12時11分09秒 | その他
 日韓の軍事情報包括保護協定GSOMIAを韓国が破棄するとの決定をしたと報道されています。

 南北に分かれていても同じ朝鮮民族どうし、親戚やスパイのネットワークが相互に複雑に入り組んでいて、通信の傍受や衛星による監視だけでは得られない貴重な情報もある事は容易に想像出来ます。

 一方で韓国は北朝鮮や中国との地勢的、歴史的な結びつきが強いため、軍事的に100%信用するのは危険があるものと思います。つまり北朝鮮と同調したり、中国に付き従う可能性がゼロとは言えません。これは過去も未来も同じと思います。

 この度の決定が正式に伝われば、日本にとって韓国は今までのような友好国とはみなせなくなります。即ち友好国未満。「未満」と言うのは友好国である事を含みません。

 妥当な表現は敵国以上。「以上」と言うのは敵国である事を含みます。なにしろ日本の領土である竹島を不当に占拠しています。ただし今までは敵国とはみなしていなかったので、敵国以上と言っておくのが妥当なのではと思います。


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海軍陸戦隊が動いたかも

2019年08月17日 15時43分07秒 | その他
 二・二六事件のあれこれについて。

 二・二六事件とは昭和11年2月26日、陸軍の青年将校が起こした反乱で、首相や閣僚などが襲われ、首相官邸では風貌が似ていた義弟が身代わりになって首相は無事、高橋是清大蔵大臣他が殺されました。

 日付の二・二六は「にいてんにいろく」とは読まず、正しくは「にいにいろく」と読みます。

 当時の陸軍上層部は反乱将校達に同情的で鎮圧を躊躇したと言われ、大臣達が殺された事に激怒した昭和天皇が自ら近衛部隊を率いて鎮圧するとの意向を示されてようやく鎮圧に動きました。

 この間、陸軍の動きが遅いとして海軍が独自に陸戦隊を動かして鎮圧しようとする動きが有ったとの文書が見つかった旨、先日NHKの報道が有りましたが、生前父親がこの話をしていましたから、一般には知られていた事のように思います。

 陸戦隊は海軍所属の歩兵部隊の事で、軍艦に乗り組んでいる兵員で臨時に編成され、一部には常設部隊も有ったように聞きます。

 当時の陸軍と海軍は、それぞれ異なる国を参考にして成立するなど文化も違い、仲違いしていましたから、仮に海軍陸戦隊が反乱鎮圧に動けば、反乱部隊以外の陸軍との衝突による内戦状態も懸念されました。

 遠い昔の出来事のように思いますが、埼玉県知事だった畑和(はたやわら)氏が二・二六事件の際に反乱兵の一員として警視庁占拠に出向いたと聞きました。

 上官の命令に従っただけの兵隊は罪を問われなかったと言うのは建前で、実はその後、激戦地を転戦させられたと聞きます。戦死すれば話の拡散が防止できるからと言うのが理由。無事政治家になった畑和氏は幸運だったと言えます。

 身近なところで大正生まれの母親は当日、交通が遮断されたため通学できなかったと話していました。


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終戦記念日

2019年08月15日 20時46分00秒 | その他
 昭和20年8月15日正午、昭和天皇の肉声録音を放送した「玉音放送」により国民に終戦が周知されました。西暦1945年の出来事で、この時生まれた人が74歳。

 かく言う私は71歳なので戦争体験が有ろう筈は無く、戦後の両親の苦労も実体験としては記憶に有りません。あくまで後日聞いた話のみ。

 戦時中の苦労を体験談として話せる人はと言うと、当時乳幼児だった人は無理なので、小学校に入学していた80歳以上、あるいは生活を多少なりとも切り回していた90歳以上の人しか話せません。

 最近、戦争の記憶を後世に残そうと言う動きが見られます。良い事ではありますが、いかにも遅すぎましたね。

 戦後から今までの間、戦争を語る事は悪とされ、戦争に多少なりとも携わった事がまるで犯罪者扱いされたのを放置しておいて、体験談を語れる人がごく少なくなった状態で語れと言うのは無理と言う物。何人斬ったなどと言う話は問題外ですが。で、聞き書きの一部を。

 中道やや右寄りの私と違って、戦前の大学教育を受けた父親は中道よりも明らかに左寄りだし、その兄に至っては特高に挙げられ、祖母がかけ合って釈放して貰ったと伝わっています。

 しかし驚く事に父親は大東亜戦争の開始については否定的ではありません。開戦前の日本はABCDラインによって包囲され経済封鎖されていましたから、戦争はそれを打開する最大の策と一般に思われていたからと思います。

 ついでに言えば、真珠湾攻撃の2か月後のシンガポール陥落を一区切りとし、戦争を終結すべきであったとも言っていました。これも当時の有識者の多数意見と言われます。


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