中年親父的「奥の細道」

日本大好き!旅行大好き!な中年親父の旅行記。
おすすめグルメや温泉スポットを紹介します。今は週末農業で大忙しです。

南指原ゴルフコンペ

2015-02-22 06:05:03 | Weblog

平成27年2月19-21日 20日にクラインガルテンのある南指原地区とのゴルフコンペに参加すべく、前日の19日にガルテンへ。

昼過ぎに自宅を出発。天候も良くて少しは畑施業ができそう。ところがガルテン直前の山の道祖神峠にさし掛かると景色は一変する。道の両側は雪で、道もテカテカと照っており危なそう。慎重に走行。あとで聞いたら先日降った雪がまだ残っていたらしい。冬は危険なので山ルートは止め、帰りは平らなルートにすることに。

畑は思っていたよりも野菜は元気。でも余り持ち帰れそうなものは無い。そんな中で寒さが好きな野菜キャベツやネギ類は元気。まだ芽キャベツは残っている。ホウレンソウと水菜と小松菜にはビニールのトンネルをしていたので、雪にも遭わず、ある程度の防寒もできていたので元気で、一緒に雑草まで綺麗な花を咲かせていた。

菜花はここ笠間の寒さが厳しすぎるのか、成長の途中で育たず、小さいままで花を咲かしている。この花はやはり千葉に似合っている。来年は自宅で育てよう。タマネギのマルチが風で剥がされ、飛ばされている。慌てて修復作業。イチゴは葉っぱを赤くして寒さに耐えている。

翌日のゴルフは笠間カントリー。朝起きて畑は霜で真っ白。車にも。10分程かけてガラスの霜を融かして出発。青空だがゴルフ場も凍っている。グルーンはアイススケート場の氷の上でプレーしている様で、私も皆さんもパターに大苦戦。参加者は少なく4組だったが楽しくプレーした。ガルテンに戻り、そば処で反省会。当日も泊まり、翌朝起きると畑は前日と同じく霜で真っ白。野菜が可哀そう。

先日NHKで霞ヶ浦のレンコン農家の話をしてたのを思い出し、帰り道は高速を稲敷東で降りて浮島地区へ。ここはレンコンの産地。道の横でレンコンを100円で無人販売していると聞いたが上手く見つからず。近くの産直の販売店に入ると同じような価格で売っている。やはり産地。場所により道の駅でも販売している商品が異なる。大栄ICから自宅に戻る。

 

 

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南イタリアの旅 5日目 アグリジェントへ (最終日)

2015-02-19 06:58:27 | Weblog

平成27年2月5日 アグリジェントの街は紀元前6世紀頃にロードス島から入植してきたギリシア人によって建設され、紀元前5世紀に最盛期で30万人を擁する大都市になったという。我々が巡る「神殿の谷」には20余りのギリシア神殿があり、神殿通りといわれる所のハイライトを見学する。

先ずは「ユーノの神殿」カルタゴの侵攻と地震によって壁面は残されていないが、25本の円柱と壁の一部が残っている。この頃には僅か残っていた雨が止んできた。どこからか白い犬が現れ我々に同行する。我々に寄ってくるでもなく、離れるでもなく流れに従って来る。何度も通っているガイドさんによると「案内犬」だという。

ここからは全景がよく望める。緑の木々の中に僅かにピンクのアーモンドの花が咲きだしている。桜と似た花を咲かせるが、時期的には桜よりは若干早く咲くようだ。アーモンドの花を見るとロンドンに住んでいた時を思い出す。ロンドンの家の前にアーモンドがあり、最初は桜か?と勘違いした。懐かしく日本の桜を思った事を思い出す。アーモンドはまだ満開とはいかず、3分咲き程度。綺麗に咲いているのを撮影した。

コンコルディアの神殿、ヘラクレスの神殿からゼウスの神殿へ。このゼウスの神殿はカルタゴ軍の破壊により完成に至らず現在は廃墟になっている。完成すれば縦113米、横56米で最大の物であったろうと。アテネのパルテノン神殿と同じような作りで、違いと言えば地元の石を使っているので若干黒っぽいという程度だろうか。この地域が当時ギリシア文化圏内にあったことを実感する。

今回の旅を通じての印象は南イタリアは北とかなり違う。もうイタリアというよりは地中海地域という印象が強い。隣のサルディニアやマルタなどもきっと面白いだろうと推測する。ローマなどから地中海を2週間程度で巡るツアーが沢山出ている。いずれはこれで旅したいと思う。翌日ホテルを出発して、パレルモ空港からローマ経由で帰国。

 

 

 

 

 

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南イタリアの旅 5日目 パレルモからアグリジェントへ

2015-02-18 04:18:14 | Weblog

平成27年2月5日 パレルモの観光を終えてバスでアグリジェントへ向かう。

途中の風景は今までのオリーブとオレンジ畑が少し減り、牧草地が増えた感じ。なだらかな丘の上には風力発電の風車があったりするが、自然が多くなる。単線の汽車の線路に並行した道を走る。少し雨模様で気になるが、この辺りの気温は15-6度といった感じでローマ辺りよりも更に暖かい。北イタリアでは今暴風雪が荒れ狂い、ベネチアでは浸水しているというのに、我々はこの程度のポツリポツリの雨で済んでおり、少し南に来ただけで天候に恵まれている。これも晴れ男と晴れ女のお蔭か?アグリジェントに近づくに連れてアーモンドの花が少し咲いているのが見える。

ドライブの途中のサービス・エリアで休憩すると、いつも”カフェ”(エスプレッソ)。立ち飲みで1ユーロしないので120円程度か。覚えたてのイタリア語で”プレンド ウン カッフェ ペルファボーレ”。 イタリアのドルチェは名の通りでとにかく”甘い”。見た目に連られる食べている人もいるが、そろそろイタリア1週間で体重が気になる。昼食まであと少し我慢する。

アグリジェントに到着。観光の前に先ず昼食。近くのレストランで、アラブ料理の魚のクスクス。この地域が人種・文化の混ざり合っている事を感じる。 

 

 

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南イタリアの旅 5日目 パレルモ

2015-02-17 11:57:57 | Weblog

平成27年2月5日 午前中はパレルモ観光。

ここは人口90万人で南イタリアではナポリに次ぐ大都市。シチリアの州都である。ここは過去においてフェニキア人、アラブ、ノルマン、スペインといった色々な民族により支配されていた為、いろんな文化が混ざり合って独特の雰囲気を作り出している。街の中にはアラブ語、ユダヤの印なども見かける。豊富な海の幸と共に、インターナショナルな料理も楽しめるようだ。

ノルマン宮殿はもともとイスラムの城であったものを、ノルマン王朝の時代に増築したもので、現在は州の議会議事堂になっている。その2階のパラティーナ礼拝堂を見学。礼拝堂の内側は天井、壁、柱が金色を基調としたモザイクで覆いつくされている。また建物の外側にもふんだんにモザイクが使われており、ラベンナの物にも並ぶものと言われている。

地理に不案内な我々が、パレルモ市内を勝手にふらふらと歩くのは旅行会社としては不安なのか、我々は市内をバスの中から観光する。街の所々で暇な悪親爺が日向ぼっこして、観光客の我々の若い(?)女性にラブコールしている。市内にはゴミが多い。何でもマフィアがゴミを集めてここに持ってくるらしい。バスで市内観光のあと次の目的地のアグリジェントへ。

 

 

 

 

 

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南イタリアの旅 5日目 パレルモ

2015-02-17 11:57:57 | Weblog

平成27年2月5日 午前中はパレルモ観光。

ここは人口90万人で南イタリアではナポリに次ぐ大都市。シチリアの州都である。ここは過去においてフェニキア人、アラブ、ノルマン、スペインといった色々な民族により支配されていた為、いろんな文化が混ざり合って独特の雰囲気を作り出している。街の中にはアラブ語、ユダヤの印なども見かける。豊富な海の幸と共に、インターナショナルな料理も楽しめるようだ。

ノルマン宮殿はもともとイスラムの城であったものを、ノルマン王朝の時代に増築したもので、現在は州の議会議事堂になっている。その2階のパラティーナ礼拝堂を見学。礼拝堂の内側は天井、壁、柱が金色を基調としたモザイクで覆いつくされている。また建物の外側にもふんだんにモザイクが使われており、ラベンナの物にも並ぶものと言われている。

地理に不案内な我々が、パレルモ市内を勝手にふらふらと歩くのは旅行会社としては不安なのか、我々は市内をバスの中から観光する。街の所々で暇な悪親爺が日向ぼっこして、観光客の我々の若い(?)女性にラブコールしている。市内にはゴミが多い。何でもマフィアがゴミを集めてここに持ってくるらしい。バスで市内観光のあと次の目的地のアグリジェントへ。

 

 

 

 

 

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南イタリアの旅 4日目 チェファルー

2015-02-16 21:30:28 | Weblog

平成27年2月4日 タオルミーナの観光を終えて、今夜の宿泊地のパレルモへ向かう途中で寒村に立ち寄る。綺麗な海岸線以外にこれといった特徴がない、しかし凄くイタリア的な情緒のある海辺の町。実はここは映画「ニューシネマ・パラダイス」の撮影された現場。添乗員さんは綺麗なピアノ音楽と説明していたが、私にはギターで奏でた方が情緒が有って良いと思っている。

街の端っこにバスを停めて海沿いに歩き、町の中心部に向かう。ここだけは現地のガイドが見つからなかった様で、添乗員さんと一緒になって散策。映画の撮影現場を探すも、これといった確信がないまま時間切れ。でも庶民の生活する雑踏を踏みしめただけでも、何となくこの町を感じられた気がする。

海沿いに大きな岩山が有り、それがこの海岸線を引き立てている。それを背景にして街の真ん中に広場があり、大きな教会がある。中で作業している人がおり、許可を得て撮影した。あまり見かけたことのない変わったデザインのステンドグラス。雰囲気に十分浸り、パルレモへの道を急ぐ。本日の夕食はパスタ・アッラ・ノルマだが特に特徴が無いので写真は無し。

 

 

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南イタリアの旅 4日目 タオルミーナ

2015-02-14 06:51:17 | Weblog

平成27年2月4日 昨夜はシチリアの入り口の町メッシーナから少し南の町タオルミーナに来て宿泊。

タオルミーナは少し高台にあり眼下には紺碧の海が眺められる。映画「グランブルー」の場所というが、この映画は観ていないのが残念。地中海随一のリゾート地で、素晴らしい高級リゾートホテルも沢山ある。

街の入り口のメッシーナ門から先ずはギリシア劇場へ。直径が109米もあるシチリアで2番目に大きいものだ。ここは紀元前3世紀に建築された。シチリアは当時ギリシアに支配されていたので、この様な建築物が沢山ある。ここからは正面にシチリア一高いエトナ山が眺められる。また反対側の急峻な山の上にはタオルミーナ城とそのすぐ横に教会が見える。

その後4月9日広場に戻る。ここからメインストリートのウンベルト1世通りには沢山のお店が並び、しばらくの間自由時間で絶好のショッピング・タイムに。スーパーマーケットを探して買物する人も。3本脚の奇妙な女性はシチリアのシンボルの様であちこちで見かける。シチリアのワインも有名。昼食は当地名物のアランチーニ(ライスコロッケ)。この後はパレルモに向かって進む。

 

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南イタリアの旅 3日目 アルベロベッロからシチリアへ

2015-02-13 06:50:39 | Weblog

平成27年2月3日 アルベルベッロでの観光を午前中に終えてバスでシチリアに向けて移動。途中の景色は広々とした平原はオリーブとオレンジ畑と牧草地の連続。オリーブの白っぽい葉の色を見ると昔鉄道で移動したマドリッドからアルへシラスまでの車窓からの眺めを思い出させる。ただここの方がスペインよりもずっと緑が多い気がするが。

途中で農家風レストランで昼食。最近アグリツーリズモに興味を持っている。これは農家が民宿を経営し客に農家体験させるもの。もっとも最近は余りにブームになってしまい観光化されていて、金儲けを目当てにした偽物(本来の農家体験などに力をいれていない)もあるとのこと。ただこれらはどうしても離れた場所に有るので、足の便が課題になるので我々には少し無理があるなと感じていた。丁度ランチにそんな場所を選んでくれていた。食事は素朴な物ではあるが兎に角量が多い。アンティパスト・ミスト(前菜の盛り合わせ)はオリーブオイルが少しギラギラしているが炒めた野菜は絶品。今日は魚料理が続く。飲み物が別料金なので毎回徴収されるが、ここのワインは特に安い。確かに農家の食事は安くて満腹となった。

食事を終え西に向かい海岸線をひた走りシチリアへのフェリーのターミナルのビラサンジョバンニに着いた頃には陽が暮れていた。明るいうちに写真を撮りたかったが・・。余り綺麗に撮れていないが我々が乗るフェリーも見える。バスが横に2台並ぶ程度の3階の小さなフェリーで対岸まで30分も掛からない。これより大きな船だろうが、鉄道もフェリーに乗ってシチリアに渡るようだ。

シチリアに到着後しばらく走り本日の宿泊地のタオルミーナに到着。夕食はウニのパスタ。

 

 

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南イタリアの旅 3日目 アルベロベッロ

2015-02-12 21:33:27 | Weblog

平成27年2月3日 前夜にアルベロベッロに到着。早朝よりガイドさんに宿の近くのアルベロベッロを案内して貰う。

白い壁に尖がり帽子の様な屋根の独特の家屋、これをTrulli(ツルッリ)と呼ぶ。これは何もこの地域だけの物ではなく、他の地域にも有るが、この村にはこのようなツルッリが特別に沢山、1000以上保存されている。世界遺産。昔ここの領主が新しい家屋を新築する事を禁じた為、領主が調査に来た時にすぐに解体出来るようにと、この様なな建築方式としたとの事。屋根瓦は鉄平石の様な薄い平らな石を積み上げただけで、繋ぎの材料で固めてはいない。ツルッリの住宅街を抜けてポポロ広場に出る。その先に土産物屋が沢山。オリーブ油やお菓子やワインなど財布が緩んでいた。

 

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南イタリアの旅 2日目 マテーラ洞窟住居群

2015-02-11 08:47:38 | Weblog

平成27年2月2日 ポンペイの見学の後、南イタリアでは珍しいという雪のアペニン山脈を越えてマテーラへ。

ここには石灰岩をくり抜いて作った"サッシ(Sassi)"という洞窟住宅群がある。世界遺産。その歴史は旧石器時代にまで遡るという。渓谷の両岸に広がった双方の壁面に住居は作られたが、我々が見学する岸は日当たりも良く、現在も人々が住み、その先には高級住宅街が広がっている。岩をくり抜いた教会もある。一方対岸は日当たりも悪く人が住んでいない。

人が住んでいたとはいえ、下水施設などがなく汚物を通路に廃棄する方式の為、1950年頃には一旦は居住禁止で人々は強制移住させられた。近年ここの価値が見直され、1993年に世界遺産にも認定されたので整備され、現在は人々が生活出来る様になった。我々を案内してくれたガイドさんもここの住人である。一部の住居が一般に公開されているので内部を見学する。暖かさは確保できるものの湿度の高そうな住居であった。

見学終了と共に日没、夜のマテーラも雰囲気が有って良さそうだが、ゆっくりもして居れず我々は今夜の目的地のアルベロベッロの宿に急ぐ。今夜の夕食はプーリア州名物のオレキエッテ(耳たぶの形をしたパスタ)

 

 

 

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