聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2021/6/20 創世記28章「ヤコブの夢」こども聖書⑲

2021-06-19 12:56:41 | こども聖書
2021/6/20 創世記28章「ヤコブの夢」こども聖書⑲

 今日のヤコブの夢のお話しは、ヤコブが旅に出ている途中での事でした。そこで、石を枕にして、とありますから、ホテルに泊まる優雅な旅ではなく、一人で寂しく大急ぎで出かけ、夜は野宿をしての危険な旅でした。というのも、前回見たように、ヤコブが旅に出たのは、お兄さんのエサウとお父さんのイサクを欺して、怒らせてしまったからでした。祝福を横取りされたエサウは、ヤコブを殺してやると息巻いて、ヤコブは花嫁捜しを口実に、母の故郷ハランへと旅をしたのです。
 家族から離れて、誰も守ってくれる人はいない。狩りよりも家の中にいるのが好きだったヤコブ。お母さんに溺愛されて、お兄さんのエサウを羨んで、お父さんはエサウばかり見て自分を見てくれない。そんな思いで生きてきたヤコブが、いきなり一人旅に出たのです。

 今のように、旅行会社や安全な移動手段があるわけではありません。旅は、危険で、無事に帰ってこられる保証などありませんでした。もう一度、家を見ることは出来ないのかもしれないのです。心は不安と、後悔で一杯だったと思います。そうして、日が沈み、ヤコブはその場所で一夜を明かすことにしたのです。石を枕に横になりました。
12すると彼は夢を見た。見よ、一つのはしごが地に立てられていた。その上の端は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしていた。
 不思議な夢です。天のはしごか階段かが、地から天に伸びていました。その上を、神の使いたちが上ったり降りたりしているのです。「神の使い」を、頭に輪っかがあって背中に白い翼があると考えるのは、聖書のどこにも書いていないので、そういう「天使」とは思わなくても良いのです。ともかく、神様からの使いです。天と地がはしごで繋がっていて、そこに神の使いが上り下りして、神様の御用を果たしている、というのです。
13そして、見よ、主がその上に立って、こう言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしは、あなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫に与える。
 「その上」とは、ハシゴの上なのか、ヤコブの「そば」のことなのか、どちらとも訳せます。いずれにしても、こんな夢を見られて、神様からの語りかけを聴けて、いいなぁ、羨ましいなぁとも思いますね。けれども、ヤコブはこの時まで、こんな夢を見たことも無く、神様から語りかけられたこともありませんでした。神は、ヤコブに初めての自己紹介として
「わたしは、あなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である」
と名乗っています。まだ聖書もない時代です。神様の事を良く知らず、信じてもいなかったヤコブは、この旅に出た時も、神の守りなど知らず、神の導きなど考えたこともなく、本当にひとりぼっちで、見知らぬ土地にポツンといました。そこに、神は夢を通して、御使いがここにも遣わされていることを示し、ご自身がヤコブに出会ってくださったのです。ヤコブには、大誤算の旅の、野宿の場所は、神に出会う場所となりました。そして、今、枕をしているこの地を、神はヤコブに下さる、と仰います。この地、この場所だけでなく、ヤコブの子孫たちが増え広がるだけの広い土地が約束されます。
14あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西へ、東へ、北へ、南へと広がり、地のすべての部族はあなたによって、またあなたの子孫によって祝福される。
15見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。
 今はここに家を建てて留まるのではありません。旅に出ていかなければなりません。でも、やがて必ずこの地にあなたを連れ帰ると主は仰って、約束されています。その途中、どこにいってもあなたを守ると仰います。そして、ヤコブの子孫を通して、地のすべての部族が祝福される、というのです。ヤコブはエサウを妬んで、祝福を横取りしましたが、主はヤコブを祝福することは、地のすべての部族を祝福するためだ、と仰るのです。主は、失意の中のヤコブに、こうして語ってくださいました。主を信じることもしていたかいないか分からないようなヤコブに出会ってくださいました。
16ヤコブは眠りから覚めて、言った。「まことに主はこの場所におられる。それなのに、私はそれを知らなかった。」17彼は恐れて言った。「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家に他ならない。ここは天の門だ。」
 わびしく、見知らぬ土地は、主と出会った場所になりました。この場所を主が与えると約束してくださった、将来の所有地となりました。いいえ、それ以上に、自分の土地というより、「神の家、天の門」だとなりました。あれほど、自分のための祝福を欲しがったヤコブが、家族からも逃げ出した自分と「わたしはあなたとともにいる」と仰る神と出会った時、祝福とは自分のものではなく、神からの贈り物だと告白するのです。

 こうしてヤコブは石の枕を立てて、柱に油を注いで、主に祈ります。初めて祈ります。こうして、ヤコブはまた旅を続けて、ハランへと行きます。この場所に帰ってくるのは、20年後になりますが、ヤコブは奥さんと大勢の子どもたちを連れて帰って来るのです。

 ヤコブだけではなく、ヤコブの子どもたち、イスラエルの子孫、そして、そのヤコブの子らを通して祝福に与る私たちも、この出来事を自分たちの物語として読むことが出来ます。私たちがどこに行こうとも、どんな苦々しい思いで行った所、神と会うことを予想するより、神のことを思い出しもしない時でも、そこでこそ主は私たちに会ってくださいます。いつも主は私たちとともにおられるのです。
 イエス・キリストは言います。
ヨハネ1:51「まことに、まことに、あなたがたに言います。天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」
 今日のヤコブの出来事を引いて、私たちは、神が私と共におられること、この出来事が私たちのことだと見る、と言われるのです。それはどんな形かは分かりません。ヤコブのように、予想外の、全く場違いな時でしょう。神は、私たちとともにおられます。そして、私たちの旅を導いてくださるのです。それが、私たちの神です。

「主よ、ヤコブを導いたように私たちをも導いてください。地上の生涯は、旅のようで、先が見えず、心も揺れます。あなたの守りは、私たちの願うものとは違っています。それでもあなたは私たちを決して見捨てず、どこでもともにいて、あなたの祝福の器としてくださいます。その御心に信頼して、私たちの旅路を、誠実に踏み行かせてください」

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