聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

ハイデルベルク信仰問答35-36「人となられた神」

2015-12-20 20:19:04 | クリスマス

2015/12/20 ハイデルベルク信仰問答35-36「人となられた神」

 

 今日はクリスマス礼拝と祝会をしました。夕拝でも、クリスマスのお話しをしましょう。いつものウェストミンスター小教理問答ではなく、もう一つの「ハイデルベルク信仰問答」を用いて、お話しします。この信仰問答は、礼拝でいつも読んでいる「使徒信条」を辿って解説をします。そこで、こう問います。

問35 「主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生まれ」とはどういう意味ですか。

答 永遠の神の御子、すなわちまことの永遠の神であり、またあり続けるお方が、聖霊のお働きによって、処女マリヤの肉と血からまことの人間性を身にまとわれた、ということです。それは、ご自身もまたダビデのまことの子孫となり、罪を別にしては、あらゆる点で兄弟たちと等しくなるためでした。

 ここには、三つのことを見て取れます。一つは主イエスが、

「永遠の神の御子、すなわち、まことの永遠の神であり、あり続けるお方」

である、ということです。神ですから、世界を作られた世界よりも偉大なお方であり、大いなるお方です。そのお方は、神であるのを止めることはありません。人間として生まれたら、神を止めてしまうとか、神として三流や身分が下がってしまう、ということもありません。でも、その神なるイエスが、処女マリヤの胎に宿ったのです。

 二つ目は主イエスが、マリヤの肉に宿り、血を受け継いで、

「まことの人間性」

を身にまとわれた-完全な人間となられた、ということです。ダビデの子孫という血筋を受け継いだ、正真正銘、ひとりの人間となられました。罪を別にして、あらゆる点で、兄弟たちと等しくなられました。イエスは神の子だから、生まれて直ぐにお喋りできたとか、歩いたり走ったり出来たとか、そんな尋常でないことはありませんでした。オムツもいらない、自分で下の世話ぐらい出来ます、なんてこともありませんでした。母マリヤはイエスを布でくるんで飼葉桶に寝かせた、とありますが、イエスはそうされるままになっていましたし、そうしてお世話をしてもらう、普通の赤ちゃんとしてお生まれになったのです。完全な神でありながら、完全な人間であられました。これは、私たちの理解を遥かに越えていますが、聖書はそう言っています。

 三つ目はそれが

「聖霊のお働きによった」

ということです。聖霊は、三位一体の神のおひとりですが、その聖霊によって、神であるお方が、処女マリヤの胎に宿りました。私たちの理解を超えていますが、聖霊なる神が、神の偉大な力によって、キリストをマリヤの胎に宿したのです。

 マリヤが処女である事にひっかかって、「まだ結婚も男女の関係もなかった処女が身籠もるだなんて信じられない」という方もいます。でも、面白いことに、ここではそこは強調しません。それよりも、神であるお方が、処女マリヤの胎に宿った、と言う方が遥かに大事ですし、信じがたい奇蹟だからです。処女が妊娠することは、医学が発展すれば再現できるかもしれませんが、神が人となることは絶対に説明も再現も出来ません。この出来事を受け入れるのであれば、処女マリヤがイエスを宿したことなど疑うに足りません。そして、この聖霊のお働きによったことが、イエスがただ人間となられただけでなくて、それが聖なる御霊の聖なる御業であり、キリストが罪なく聖なるお方としておうまれくださったことに繋がるのです。

 「罪を別にして」とあるのを読むと、「人間は罪を犯す者なのだから、罪を犯さないんじゃ、本当の人間ではないんじゃないか」と言う反論もあるでしょう。けれども、本来の人間は、神に造られた時に、罪は犯さないでよかったんです。人間性とは、罪なく、聖い心で神とともに歩み、神の栄光を現すことでした。でも、人間が神に背いた時に罪が入って、本来の人間らしさを損なってしまったのですね。イエスが人間となられた時、その本来の人間のあり方を完全に身にまとわれましたので、罪はなかったのです。イエスに罪がないのは、人間らしさを欠いていることではありません。むしろ、イエスこそ本当の人間らしくあられて、私たちの方が、罪によって、人間らしくない、間違った性質を持ってしまっているのですね。

 マリヤがイエスを宿した時、婚約者であったヨセフは、恐れて、マリヤと別れようとしました。自分など、そんな聖霊のお働きに相応しくないと思ったのでしょう。神に選ばれたマリヤがしようとしていることに、自分なんかは身を引くべきだと思って、秘かに離縁しようとしたのです。しかし、夢に現れた主の御使いは、

マタイ一20…「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。

21マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」

 ヨセフはこの夢でマリヤと別れることを止めて、妻を迎え入れ、イエスの父としての務めを果たしました。それは本当に不思議な体験だったでしょう。自分が父親として、世話をし、教え、育てる男の子が、同時に、自分も含めた神の民をその罪から救ってくださるお方だ、とも信じると言うのですから。しかし、まさにそれこそは、ヨセフに現されたイエスのお姿です。

 神の子、救い主キリストが、私たちを救うためにこそ、本当に私たちと同じ人間となられて、この世界に来られました。人間の理解の遠く及ばない事ですが、完全な、人間として、胎に宿り、生まれ、お世話をされながら、歩まれ、最後は死なれました。だからこそ、私たちも、母の胎にあるときから死に至るまで、全ての罪をキリストが覆ってくださり、救ってくださると約束されています。

問36 キリストの聖なる受肉と誕生によって、あなたはどのような益を受けますか。

答 この方が私たちの仲保者であられ、ご自身の無罪性と完全なきよさとによって、母の胎にいる時からのわたしの罪を、神の御顔の前で覆ってくださる、ということです。

 100%神で、100%人となられたキリストは、私たちを神と結びつけてくださる仲保者です。私たちが母の胎から死に至るまで、すべての時に、聖なる方、私たちの罪を覆う方として、ともにいてくださいます。私たちに、聖なる救いが届けられるために、イエスは本当に私たちの所まで来て下さったのです。キリストがお生まれになったクリスマスは、この出来事なのです。キリストをお迎えした人生を歩ませていただきましょう。

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