聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2020/8/30 エペソ書6章17~18節「光も思いも与える神」ニューシティカテキズム37

2020-08-28 15:52:23 | ニュー・シティ・カテキズム
2020/8/30 エペソ書6章17~18節「光も思いも与える神」ニューシティカテキズム37

 夕拝では、しばらく「聖霊なる神」のお話をしています。天の父なる神様は、ひとり子イエス・キリストを私たちの救い主として、この世界の送ってくださいました。そのイエスは、私たちに聖霊を使わしてくださって、救いを受け取ることが出来るようにしてくださいます。この父と子と聖霊様の、連係プレーがあって、私たちは確かに救いに与るのです。今日はその続きを、「ニューシティカテキズム」の三七問から見ましょう。
第三十七問 聖霊は私たちをどのように助けてくださるのですか? 答 聖霊は私たちに罪を認めさせ、私たちを慰め、導き、霊的な賜物を与え、神に従う思いを与えてくださいます。そして私たちが祈ることができるよう、また神のみことばを理解できるようにしてくださます。

 聖霊は、私たちをどう助けてくださるのですか? ここには、七つのことが書かれています。
①罪を認めさせ、
②私たちを慰め、
③導き、
④霊的な賜物を与え、
⑤神に従う思いを与えてくれ、
⑥祈れるようになり、
⑦神の御言葉を理解させてくれる。

 聖霊が私たちを助けてくれるのは、このように豊かな内容です。主イエスは仰いました。
わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。 ヨハネ15:5

 ブドウの枝が、木につながっていれば、豊かな実を結びます。それは枝が、木から養分たっぷりの水をもらうからです。私たちもそうです。御霊が私たちに、キリストの豊かな恵みを届けてくださるから、豊かな命を得ます。罪を認めること、慰め、導き、霊的な賜物、神に従う思いをいただけます。もし聖霊様が私たちに働かれなければ、どうなるでしょう。折れた枝のようになります。枝は木から折られたら、枯れてしまいます。養分をもらわなければ、枝はゆっくりと朽ちます。枯れ枝になってしまいます。細々と生きていく、少ししか実を結べない、というどころではありません。枯れるのです。
 聖霊様が働かなければ、私たちも枯れるのです。私たちはイエス様から離れては、何もすることはできないのです。何も、です。何か出来るとしたら、それは、聖霊様が私たちに命を注いでくださっているからに他なりません。聖霊が私たちを助けてくださるとは、私たちが願う特別なことをしてくださる、というよりも、私たちが罪を認めたり、慰めや導きをいただき、なにかをすることが出来る、そのすべてが聖霊の助けなのだ、ということです。聖霊なしで、私たちができる限りの事をして、後の足りないところを、埋め合わせてくれる、というよりも大きな助けなのです。

 今日の説教題を「光も思いも与える神」としました。聖霊が私たちを助けてくださることを、光と思いで表せると思ったのです。聖霊様が私たちの心を照らすと、私たちの心に光が差し込んで、私たちは自分の罪が分かります。神である聖霊に、私たちは何も隠すことができません。だから、自分のあるがままの姿や、隠していたことにも気づきます。私は臆病で、怖くなってしまうと、自分の失敗を神様が何とかして隠して、ごまかせるように助けてくださいと願ってしまっていたものです。それは、聖霊が下さる光とは反対です。光は、隠すのではなく、隠さずに、正直にどんな問題も認めさせるのです。でも、それだけではありません。聖霊は、私たちに思いも下さるのです。隠そう、ごまかそうとした思いを、もう隠さない、正直に告白しよう。自分の願いのように神様がしてくれたらなぁ、という思いを変えて、神様が下さる慰めや導きよりも素晴らしいものはない!という思いに変えてくださるのです。

 今日、この聖霊の助けについて学びました。「ニューシティカテキズム」では、次の38問から「祈りについて」お話をして、第42問から「御言葉」についての内容になります。ですから、今日の37問で、聖霊の助けの最後に「私たちが祈ることができるよう、また神のみことばを理解できるようにしてくださいます」とあったのは、その導入でもあるわけです。聖霊の助けの中でも、特に大事なのは、私たちが、父なる神に祈ることができるようにしてくださること、そして、御言葉を理解できるようにしてくださる。祈りとみことば。私たちが神に話し、また、神の言葉を聴く。この神との交わりこそ、聖霊の助けの中でも最大の恵みです。最初に読んだ御言葉でもこうありました。
エペソ6:17救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。18あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。

 兜、剣、と勇ましい言葉が続きます。ここでは「神の武具」という話が出て来ています。そこでも、最後に出てくるのは「神の言葉」と「祈り」だと気づいてください。私たちが聖書の言葉を理解して、神様に祈るようになる。これが、何よりも私たちを守るのです。それが聖霊が下さる助けです。祈りなんて要らない、聖書も読むのは面倒くさい、と思いますか? そんなことをしなくてもいいよう、聖霊が助けてくれたらな、と思う気持ちもないでしょうか。それが、聖霊の助けは、私たちがますます神様に祈るようになり、聖書を読まずにおれなくなる。神様をますます頼って、神の言葉によって強められる。そういう助けなのだ、とここから語っていくのです。

 先週お話ししたように、聖霊は「メガネ」のようです。

 メガネをかけるとメガネが見えるのでなく、周りが見えるようになります。聖霊が働くと、聖霊が見えるようになるのではなく、イエスが分かり、イエスの御言葉が分かるのです。イエスは愛のお方です。強いよりも、弱さを知り、涙を知り、悲しみを恐れないお方でした。聖霊の力も、私たちをスーパーマンや仙人のように変える力ではありません。イエスのように、人を愛し、傷つきやすくなり、弱さを思いやり、涙を流せるようになるのです。聖霊が下さる思いは、鉄の心ではなく、イエスの心なのです。そして、主イエスがいつも父なる神に祈っていたように、私たちも祈り、聖書に聴いていきましょう。聖霊が助けてくださいます。

「聖霊なる神よ、私たちを導いてください。私たちの心に潜んでいる罪に光を当ててください。私たちには重すぎる使命を成し遂げられるよう整えてください。あなたの喜ばれることを進んで行わせてください。真理のみことばを正しく理解できるようにとりなし、私たちの目を開いてください。アーメン」
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