物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

私のフランス語修業14

2012-01-13 12:01:46 | 外国語

昨夜のドイツ語のクラスでR氏から、le vernissageというフランス語を教えてもらった。

これはいま仏和辞典を引いてみるとヴェルニサッジュと書いてある、説明的に((絵画展の初日(一般公開の前日)のレセプション))と書いてある。

(上と以下でのフランス語の前のleとかlaはその語が男性名詞か女性名詞かを示すだけで、後ろの語にそのまま続けられるという意味ではない。念のため)

実はこのle vernissageはR氏から何回か教えてもらった言葉だが、すぐに忘れてまったく思い出せなかった。普通使わない言葉などはそういうものである。

もっともこのle vernissageには「ニス(釉薬)を塗ること」という別の意味もある。

そういえば、先日ラジオのフランス語講座で(le) cache-cacheという語が出てきた。これも前に一、二度出会ったはずなのにまったく覚えていなかった。jouer a cache-cacheとは「かくれんぼをする」という意味である。カシュ-カシュという発音がおもしろい。

これはフランス語ではないが、der Agar-agar(アガア-アガア)という語があり、これは英語とドイツ語で「寒天」のことである。この語は私たちのドイツ語のクラスの最年長のクラスメイトである、I 医師が教えてくれた語である。この寒天を液状で食べるとガンの予防になるとも教えてくれた。

このような発音がおもしろい語は一度で覚えそうなものだが、なかなか覚えられない。

(la) Feuilles mortesはイブ・モンタンのシャンソンで有名な「枯葉」であるが、枯葉とは「死んだ葉」であるという発想には日本語を知っているだけではなかなかなれない。

ある人が英語で「花が枯れた」ということを言おうとして言いよどんでいたら、dead ?と言われてそうかと眼からうろこがとれたと以前にどこかで読んだ。

発音がおもしろいというか、印象的な言葉にvagabondという語がある(私の辞書にはこのvagabondの文法上の性が出ていない)。この語にカナでつたなく発音を表記するとバガボンとなる。語尾のdは発音しない。これは名詞と形容詞の両方に使われるが、名詞では浮浪者とか流れ者と仏和辞典に訳がついている。

このvagabondはシャンソンの文句に時々出てきたりするが、なんだかロマンチックな響きをもった語である。

テニス仲間の弁護士Kさんがつい先ごろまでもっていたヨットの名がこのVagabondであった。このKさんは最近農業に関心をもって日曜農業をはじめたので、このヨットを手放した。

有名なマンガの「天才バガボン」のバガボンもこのフランス語に由来するのかもしれないが、そんなこととは無関係に漫画「天才バガボン」は世界的に有名である。

先ほどのヨットVagabondに返るが、このヨットに乗せてもらったある人の述懐によるとヨットの上では、人は錘の代わりにすぎないことがわかったという。お後がよろしいようで。


テニスクラブの新年会2012

2012-01-12 13:16:35 | 日記・エッセイ・コラム

明晩はテニスクラブの新年会が道後で行われる。一年に一回だけのテニスを離れた集まりである。この新年会の世話人は長らく、弁護士のKさんがやってくれていたが、昨年から他の人が担当している。

担当する人が変ると、新年会をする場所もいろいろと変ってくる。私はテニスクラブのボールの管理と会費の保管をしているが、T市の市営コートを借りに行く仕事はSさんがここ数年してくれている。

しかし、聞くところによるとSさんの健康上の理由からコートをとりに行く人を誰かに代わってもらいたいらしい。Sさんはコートを借りに行ってくれるだけではなく、毎回の参加者を声をかけるとかの努力をされている。これは8人以上の人数が集まらないと2つのコートをフルに使うことにならないからである。

定期会員になっている人は月会費が2000円であるが、この定期会員でない人は毎回500円を徴収している。これでは定期会員も非定期会員もあまり変らないようだが、まれに一月5回火曜日のあることがあって、定期会員はそのときに非定期会員よりも優遇されることになる。

昨年は非定期会員がかなり来てくれたお陰で、年末に硬貨を紙幣に換えたときにかなりの額がたまっていたことがわかった。

いつもは定期会員の紙幣での会費の支払いでコート代を払っており、硬貨での支払いは普通はしない。それで、その硬貨の額がかなりに貯まっていたのだ。

私自身はこういう会は一般に苦手なのだが、人が楽しむのまでは妨げるつもりはない。

この新年会には現在の会員だけではなく、昔の会員だった方も大勢来られる、同窓会のようでもある。18人の方が参加されるとか聞いている。


前進座松山公演

2012-01-11 12:00:33 | 芸能ネタ

3月1日(木)午後6時30分から、ひめぎんホール(県民文化会館)で前進座創立80周年記念の松山公演がある。

演目は新劇の「水沢の一夜」と歌舞伎「毛抜」である。歌舞伎の「毛抜」は有名な歌舞伎の一つだそうである。いま、愛媛県医療生協を中心としてその公演チケットの販売促進が行われている。

主催は前進座創立80周年記念愛媛公演を観る会で、

連絡先は 電話は089-948-6727または携帯は090-9779-1751

である。

チケットは約1000枚でその内の6~7割が指定席7000円であり、あと残りは自由席4500円である。それぞれが当日券だと8000円と5500円となるから、観賞を希望する方々はぜひ前もってチケットをお求めになると少しでも安上がりとなるだろう。

先日、京都南座に同じ前進座の歌舞伎とか新劇を見に行ったが、普通にチケットを買うと12000円くらいするそうだから、松山公演は比較すれば、安価に観劇ができることになるのだが、それでも7000円のチケット代は安くはない。

「水沢の一夜」はシーボルト門下生の俊才の蘭学医、高野長英が幕府の牢獄につながれていたが、火事に乗じて脱出をし、全国を逃げ回るが、そのうちに故郷の水沢の実家で母と娘と一夜を過ごすという話であるが、娘の恋人の啓四郎が長英の警護をかってでていたのを追っ手の鉄砲隊に撃たれて重傷を負ったのを長英が手術をするという筋らしい。

愛媛県宇和町に長英がかくまわれていたという家があり、愛媛県人にも長英は親しみ深い人である。

歌舞伎の「毛抜」は歌舞伎の事情に詳しい人によれば、有名な歌舞伎演目の一つだそうである。ある姫君の縁組が進んでいたが、姫君にその髪の毛が逆立つという奇病が出るという話であり、その奇病のタネはどうも今からみると磁場とか磁石に関係をしているらしい。そういう意味ではこの歌舞伎はいまでいうとミステリーの謎を解くという今流行の推理ものである。

別に私は前進座からお金をもらってPRをしている訳ではないが、ボランティア的にPRをしたいと思って、このブログの話題の一つとして取り上げた。関心のある方は上記の電話か携帯にコンタクトしてみてほしい。


エントロピーとドップラー効果

2012-01-10 12:53:00 | 物理学

年末に雑談会のメンバーの懇親会をやったときに参加されたKさんから「エントロピーを素人にわかるように話をしてくれませんか」といわれた。それも1時間以内くらいで。そのときにそれは難しいだろうと言って断ったのだが、それが機縁となって熱力学の本を年末から正月にかけて読み始めた。

講談社の「なっとくする演習・熱力学」という本で、5章の「エントロピー徹底解剖」というところから読み始めた。ここを読み終えて6章の「熱力学関数」を読み終えて、今度は前に帰って4章の熱力学第2法則の途中である。この4章が一番長くて40ページくらいあるが、そのうちの20ページくらいを読んだ。

7章と8章も読まなければならないのだが、直ぐには読めそうにないのでその前に4章を読もうとしているのである。

定年で辞める直前の3~4年間を基礎教育課程(昔の教養課程)の熱力学の講義を担当したので、熱力学を大学で学んで以来勉強したことがなかったのだが、少し復習する機会があった。

だが、まだエントロピーについて素人に直観的に納得できる程度に話をする自信がない。ランダムネスの程度を表すとかこのブログでも書いたことがあるが、それくらいの説明ではKさんには納得してもらえそうにないからである。

一方、無料塾で中学生に理科を教えているので、ドップラー効果について調べたいと思うようになった。それで説明をインターネットとか物理の本とかで読んでいるのだが、どうももう一つピンと来ない。

直感的な音の振動数についての現象がわかっているのだが、その説明にじゅうぶんには納得できないのである。そうはいっても説明を読んで理解が進んだことは事実である。だが、自分で文章に書いて他人に説明をできるところまでは行っていない。もう少し時間がかかる。

ドップラー効果の説明の仕方には3つの方法があるとどこかで読んだことがあるが、その全部を知りたいとも思っている。


Skispringen

2012-01-09 15:16:21 | 外国語

Skispringenと書いてとシィー・シュプリンゲンと発音する。これはいつだったかR氏から聞いたドイツ人は正月の元旦に何をしているかということと関係がある。

クリスマスは絶対的に家族的な催しで、家族でひっそりと親密に祝うのがドイツでの習慣である。しかし、大晦日は居酒屋やレストラン等の町に繰り出して、友だちや知人と大騒ぎをする。そして年の変るときには戸外で爆竹を鳴らしたりするという。

夜遅くまでどんちゃん騒ぎをするから、元旦は疲れて昼近くまで寝ている。そしてテレビはもっぱら、そのころスキーのジャンプの中継放送をしているという。日本なら、さしづめ箱根駅伝の中継があるということにでもあたっているのだろうか。

私の子どもが駒澤大学に関係しているので、箱根駅伝は身びいきで駒沢大学のチームを応援していたが、今年は東洋大学のぶっちぎりの強さで歯がどこも立たなかった。8分ぐらい遅れての2位が駒沢の成績であった。しかし、今年の東洋大の強さは昨年の21秒差の早稲田大学への惜敗に端を発しているという。

駅伝を走る人々の一念の強さを感じさせられた1月3日であった。


南禅寺山門

2012-01-09 13:35:51 | 日記・エッセイ・コラム

京都の南禅寺の山門は有名である。

何回か南禅寺に行ったことがあるが、山門の上に上がったことがなかった。1月7日に生まれて初めてこの山門に登った。

この山門は京都の市中に向いている。登ってみると近くの平安神宮の鳥居の朱の鳥居の上の部分しか見えなかったが、京都の町が見えた。

南禅寺は、京都で学んでいた次兄がこの構内にある、お寺の金地院に下宿をしていたことがあるので、もう50年以上前から知っているが、それでもなかなか山門の回廊に上がって見るなどということはなかった。

そこから、京都の町を一望したあとで、金地院の前を通って、インクラインの方へと足を延ばした。琵琶湖疏水という大土木工事の史跡である。

さらに蹴上の横の坂をだらだらと下りていくと最近できた琵琶湖疏水博物館がある。

そこをさっと見た後でここのトイレで用を足したが、温水で、ヒーター付きのトイレであり、清潔である。また、この博物館は京都市水道局のつくったもので、参観は無料であった。

もっとも妻はこの博物館の外にあった自動販売機で京都の水道局製造の水を一缶求めており、帰って来てこれで昨日コーヒーを入れてくれた。

1月7日の昼食はこの南禅寺の構内の料理店で湯豆腐を食べたが、なかなか薬味が利いた湯豆腐でおいしかった。

この料理店は「五右衛門茶屋」といい、ここの湯豆腐定食は2500円であまり高価でもなく、庶民的であった。皆様にも一度ここで湯豆腐を食べてみることをお勧めしたい。


627のアクセス

2012-01-09 13:07:15 | 日記・エッセイ・コラム

1月5日に一日で627のアクセスがあったことがわかった。今までに数百のアクセスがあったことはあったが、多分500のアクセスを超えたことはないはずである。

6日、7日とバスで京都の南座に前進座の公演を見に出かけたために、留守にしたのでその様子がどうだったのかを知ることができないが、居なくてよかった。もし私が当日いたら、喜ぶよりはむしろ不安を感じたかもしれない。

タレントのブログなどは一日に数万を越えるアクセスがあるそうだが、私は人気タレントではないので、数十のアクセスで十分すぎるほどである。

それに世の中には理工系の人の割合は少ないし、理工系の人は私の書くようなブログを見る暇人は少なかろう。

しかし、友人、知人が「あなたのブログを何かと見ていますよ」とときどきメール等で知らせてくれたりする。もっとも、いつもいうように自分の楽しみで書いているブログであるから、誰からもほめられなくても反応がなくても書くことが止まるとは思えない。

あまり人から見てもらえないような日の書き込みを時間が経ってから、読んでもらえたときはうれしい。ああ、世の中は広くていろいろな関心を持つ人がいるのだなと改めて思う。

一般にいうと、数学ネタとか、外国語ネタが意外とアクセスがあるが、もっとマイナーなネタを読んで下さるとブロガーとしてはうれしい。


採集経済

2012-01-05 13:35:51 | 日記・エッセイ・コラム

採集経済などというと木の実を採集したり、海辺や河などで魚や貝をとったりして自給自足の生活をする原始世界であろう。

我が家の正月の食物はどうも採集経済みたいだというのが私の感想であった。ちょっと立ち入って説明をしないと分かってもらえないのだが、説明をしてみよう。

妻は知り合いとか友人が多くて、11月から12月にかけて友人のミカン畑にミカンを捥ぎの手伝いに行った。

自分が行くだけではなく毎回数人の知り合いを誘って行った。そのときにミカン畑の持ち主はミカンをキャリー一箱分だけ報酬として現物支給してくれたので、食べるミカンには困らなかった。

もっともうまいミカンばかりではなく、すっぱいミカンもあったので、酸味に弱い私などはもうミカンはいらないなどとと不平をもらした。

さらに、妻の友人に畑をもっている方があり、もう市場には出荷しないレタスを大量に収穫に行った。これももちろん妻は一人で行く訳ではなく、知り合いを誘って収穫に行った。

もっとも私はレタスが苦手であるので、私たちの家ではほとんど食べない。それで知り合いにもっぱらそれをあげた。そうして、もらった方々から別のものをお返しにもらったりした。

正月につきものの餅も何人かの方々からもらった。ある方からもらった餅はかなり量があったので、そのままそっくり知人にあげたが、それでも別の友人から2回に分けて餅をもらったので、我が家の雑煮はその餅を食べている。

また、これは3月1日に前進座の松山公演の切符の販売促進のために一緒に準備をしている委員の方からは味付け海苔を一瓶もらって毎食時に私がおいしく頂いている。

私の家の食卓に並ぶ佃煮とか漬物などもこういう風にして知り合いからもらったものを食べるという風である。これが私が言うところの我が家の採集経済である。

もちろんこれらは妻が多量につくって知人や友人にあげたミカンやきんかんのジャムのお返しであったりするので、単に私の家ではなんでも人に頼ってばかりの生活をしている訳ではない。それにしてもなんと幸せなことであろうか。


古本市場にみる差

2012-01-04 12:37:15 | 本と雑誌

前にも書いたことがあるが、私が特に関心をもってその著書を集めている方々に遠山啓と武谷三男がいる。

この二人は日本の社会に与えた影響はそれぞれ大きいはずだが、「日本の古本屋」というインターネットの古本市では最近になって違いが出ている。

遠山は数学者としては途中で数学教育の方へ専念するようになったので、学者としては自分の生きたいようには生きられなかったと思われる。

もちろん、遠山は社会的には大きな影響を数学教育を通じて与えた。その広がりはかなり大きい。

日本の古本屋にも彼の著書はかなりまだ出されている。もちろん、これは彼自身の著書以外に彼が推薦の言葉を書いた書まであるから、かなりの数にのぼっている。また、最近でも彼の書いた数学の本は文庫とかでも新しく出されている。

一方の武谷は数年前までは遠山と比べてそれほどの差はなかったが、ここ一年くらいで武谷の著書の古本がだんだんと少なくなりつつある。

もちろん、彼の代表著作である、「弁証法の緒問題」の新装版が勁草書房から2010年に出されたり、彼の編著である、「原子力発電」(岩波新書)が東日本震災後に原発事故のせいで、再版されたりはしているが、やはり衰退の感じがする。

私個人は武谷の研究者の一人であるのだが、そういう違いがあると感じている。これはどうしてなのだろうか。こういう問題意識を密かにもっている。


年の初め

2012-01-04 12:03:16 | 日記・エッセイ・コラム

年が空けて2012年となった。もうこの年になると新年になってめでたいのかめでたくないのか半々である。昔と違って新年に年を一つとるという風ではないので、そのせいもあるかもしれない。

何人かの人から私も一人前に年賀状を頂いた。その中に二つの老後の生活の典型的なパータンがあることに気がついた。

それは外国旅行をしきりにしている人と他の人は野菜等をつくる家庭菜園をやっていたりする人である。私はそのどちらでもないが、私みたいな人はあまり見かけない。

それからまた別の一群の方々として研究を大学定年後の続けている方もおられる。このような方々は別に今の地位とかと関係なく学問をすることを楽しんでおられるのであろう。

このタイプの方も私の友人や知人の中ではかなりおられる。代表的なのは世間的にも有名なEさん、Nさんがおられるが、そのほかにもSさんやKさん等がおられる。私の一番敬意を払う人たちはのこの方々である。Sさんは私と同世代であり、Kさんもほとんど私と年が違わない。

今年もよろしくおつきあいをお願いしたい。