標記のことについてあまりごちゃごちゃしたことを言わないで簡単にわかるように説明したものを知らないと先日書いたが、ファインマンについての随筆を書いたサイトがあって、そこに多幡達夫さんという方の説明があり、今度読んだらわかった。
簡単に説明をできることかどうかはわからないが、自分で読んで理解することができたので、物理学者である多幡さんの説明を私も支持をしたい。
「ファインマン」で検索をしてみれば、そのサイトは出てくる。ただ、普通の人が読んでわかるかどうかはわからないので、それをわかりやすく解説をすることは必要だろう。
この話については雪の研究で有名な中谷宇吉郎博士の随筆や数学者の矢野健太郎氏の随筆とか、はたまた物理学者の朝永振一郎氏の随筆とかがあって材料には事欠かない。また、岩波書店から「鏡の中のミステリー」だったかという題で1冊本を書いて出した人までいる。
多幡氏の説明は朝永さんの説明とよく似ているかまたは同じなのではなかろうか。皆さんも一つお考えになってはいかがでしょうか。
私のように左右の区別がわからない人間にはどうでもいい話のようだが、好奇心をそそられる話ではある。この謎を始めて聞いたのはもう50年近い昔で電磁気学を教えてくださったT先生が一年上の学年の人の試験問題に出したのかまたは授業で話題にされたのを一年上の学生から聞いたのだった。
その頃はまだ朝永さんのエッセイは出ていなかったと思う。中谷さんのエッセイは出ていたかもしれないが、私は読んではいなかった。矢野健太郎博士のエッセイも出てはいなかったのではなかろうか。ちょっと書庫の古い本を引っ張り出してくればわかることではあるが、面倒くさい。
鏡の謎を聞いたよりはあとだが、40年前ごろに「私は左右の区別ができないのです」といったら、ある方に小さいときに左利きから右利きに矯正されたからではないかといわれた。多分それはあたっているだろうが、私には意識するような記憶はない。
しかし、普通食事のときのナイフは右で、フォークは左で持つ人が多いだろうが、私には反対にもつことにあまり違和感がなかった。いまではそうではないけれども。
コメントを頂いた方々に御礼を申し上げます。時間がとれるようになったら、もう少しつこっこんだ意見を申し述べたいと思います。
問題意識としては長年もち続けているものですが、
突っ込んだ議論に加わったこともありませんし、第一問題のありかさえわからなかったのです。
多幡先生の整理によって少し理解が前進したのは自分としてはうれしいことでした。
多幡先生の固有座標系か共有座標系かとの整理は見る立場を明確するものだと思います。
結晶学(または固体物理学)で双対基底が定義されますが、それを定義する演算はどの空間で行われているのか明確ではありません。
同じような観点からは物理の世界での普通に使われていて、問題を感じたことのないベクトル積ですらも数学的には演算が閉じていないとかで問題があるのだとどこかで読みました。
もっともそういうことに拘泥しないで議論を進めていくことも必要かもしれません。
なるほど「固有座標系」と「共有座標系」ですか。どの座標系で考えているかをはっきりと意識しないと議論が混乱するのですね。容易にその混乱が起こりそうですね。議論することによって自分の考えの足りなかったところを埋めて行きたいです。
それから吉村さんの本の評をチラッと斜め読みしたことからは物理学的な問題だけではなくて心理学的な問題もあるらしいということを知りました。
でもいまは私には忙しくて時間がありませんので、いつかじっくりと読ませていただきます。
それはそうとファインマンも左右の区別がつかなかった一人と自分で言っていたように思いましたが、違いましたでしょうか。
「鏡の向こう側に行った自分」を考える場合、3通りの考えがあり、鏡像は→以降のように反転します。
(1)正面に鏡がある場合
1.そのまま真っ直ぐ前に行く。→前後が反転。
2.鏡面上に属する軸の周りに回転して向こう側に行く。
2-1.垂直軸の周りに回転する。→左右が反転。
2-2.左右水平軸の周りに回転する。→上下が反転。
(2)床に水平に鏡がある場合
1.そのまま真っ直ぐ下に下がる。→上下が反転。
2.鏡面上に属する軸の周りに回転して向こう側に行く。
2-1.前後水平軸の周りに回転する。→左右が反転。
2-2.左右水平軸の周りに回転する。→前後が反転。
(3)右側に垂直に鏡がある場合
1.そのまま真っ直ぐ右に行く→左右が反転。
2.鏡面上に属する軸の周りに回転して向こう側に行く。
2-1.垂直軸の周りに回転する。→前後が反転。
2-2.前後水平軸の周りに回転する。→上下が反転。
これらの中で、前後反転や上下反転は差が大きいため違和感があり、左右反転が一番考えやすいと思います。それが多幡先生の言われる「逆になった向きは左右に押付けられる」ということと思います。理解致しました。
別刷りの件承知しました。
昨日書き忘れましたが、私もごく幼い頃、一時的に左利きでした。そして、左とか右とかいわれてすぐに反応できないのも、あおやま先生と同じのようです。
>breezingさん
ご説明は、ファインマンなどもしているものと同じで、一応もっともらしいです。しかし、床に水平に置いた鏡の前に立ったときでも、自分の鏡像の姿は左右逆といえます。これを説明するには、垂直軸の周りの回転は役立ちません。(この場合、鏡像は上下逆ともいえますが、それは姿・形に言及したものではありません。鏡像の「固有座標系」でなく、観察者でもある自分の固有座標系を鏡像にも適用した、「共有座標系」での見方です。鏡像の左右について述べるときには、どちらの座標系でいっているのかをはっきりさせることも重要です。)
私なりの素人的言い方で私の考えを説明させていただきます。
鏡像において、向かって上は自分の上、向かって右は自分の右ですから、鏡に映る時は上下左右に差はありません。
鏡像が鏡の向こうに行った自分と考えたとき、垂直軸の周りに回るか、左右水平軸の周りに回るということになります。垂直軸周りに回るのは日常的には普通にあります。左右水平軸周りに回るのは、鉄棒で逆上がりをするときに回るくらいで、日常的にはありません。したがって、垂直軸周りに回ることが想定しやすく、垂直軸周りに180度回った姿勢に対して鏡像は左右が反転していることになります。
鉄棒の逆上がりの途中で180度反転した姿勢を想定すれば、その姿勢に対して鏡像は上下が反転し左右は反転していません。それは、垂直軸周りに回った姿勢に対して鏡像は左右が反転し上下は反転していないのと同じことです。
このように、鏡の向こうにいる自分を日常的にありえる垂直軸周りに回ったと想定しているために左右が反転して見えるのだと思います。
すみません。昨夜遅く会があって帰ってきてからチラッと以前から「お気に入り」に入れてあったファインマンのサイトを見せていただいて、以前には面倒だと思った議論が昨日やっとわかったという次第です。
名前の入力は十分注意したつもりだったのですが、アルコールのせいもあって間違ったのでしょう。訂正をします。
討論の別刷ができましたら、一部頂けませんでしょうか。
簡単にいえば、??鏡はその面に垂直な方向に逆の像を作る。一方向に逆になった(非対称な)物体の像は、もとの物体に対して、右手と左手の関係のような、対掌体という関係にある。対掌体で逆になっている向きは、上下、前後、左右のどれと考えてもよいのだが、物体あるいは鏡像に固有の左右という方向は、上下と前後が外観から決まって初めてそれらに関係づけて決まるので、逆になった向きは左右に押しつけられる。??ということです。
『鏡の中のミステリー』の著者の高野陽太郎先生と私を含む、異なる説を唱える3人での誌上討論が『認知科学』誌に印刷中です。