物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

Liebe geht durch den Magen

2021-07-23 11:16:33 | 本と雑誌
Liebe geht durch den Magen(リーベ ゲート ドュルヒ デン マーゲン)とはドイツのことわざである。

直訳すると「愛は胃を通じて行く」ということだが、これで意味がわかるだろうか。大阪人は「料理の上手な女性と結婚する」とかいう。要するに関西人の男性には結婚する女性が料理が上手かどうかが重要なのであろう。

それと同じ発想だろうが、シンチンガーの独和辞典には「男心をそそるのはおいしい手料理」とか日本語訳がついていた。

他の独和辞典もいくつか引いてみたが、さすがにこのことわざを引用している独和辞典はなかった。だいたい独和辞典は前からある独和辞典を発展的に受け継ぐと思っていたが、そうでもなさそうだ。

(注)私はまちがえてMagenを女性名詞と思っていたが、durch  den Magenからもわかるようにder Magenと男性名詞であった。それはden Magenのdenに現れている。denは男性定冠詞derの4格(目的格)である。

この語尾enが男性定冠詞のシンボルである。ドイツ語では形容詞まで格変化をして、つぎに示すように、gutは形容詞の後ろにつづく名詞が男性名詞であるときこの名詞が4格(目的格)なら、形容詞の語尾がenとなる(こういう文法規則は面倒なので、規則として覚えるように最近のドイツ語の先生は強制したりはしなくなっている)。

Guten Tag(4格)でTagは男性名詞だし、Guten MorgenでMorgenも男性名詞である。しかし、Gute NachtでNachtは女性名詞である。こういうことはドイツ語を母語としない私たちには重要なことだが、ドイツ語を母語とする人たちは当然のことでなんてこともないらしい(注)。

もっとも成人したドイツ語を母語とする人にはなんてこともないことでも、まだ幼児のころにはこの名詞の性の間違いをする。ドイツ語を母語にしない者には難しいが、それだって母語にしている人も通ってきた道なのだと知れば、いくらか気が軽くなる。

(2021.7.27付記)
ドイツ語では主格と目的格を示す定冠詞とか不定冠詞の語尾が女性名詞、中性名詞では同じであるが、男性名詞は主格と目的格を示す定冠詞とか不定冠詞の語尾が異なる。そこが男性名詞が面倒と言われる所以である。

(2023.8.11付記)
あいさつの「おはよう」でも「今日は」でも
       Ich wüsche Ihnen Guten Morgen (Guten Tag).
の省略したいい方であり、 Guten Morgen (Guten Tag)は動詞wûnschenの目的語であり、4格(Akkusativ)である。だから男性名詞の場合には形容詞の語尾にはenがつくのである。

(2024.9.11付記) 文法用語として主格、目的格とか書いたが、(直接)目的格は対格ともいわれる。また間接目的格は与格ともいわれる。所有格は属格ともいわれる。こういう用語として決まったものが現在あるのかどうかは私にはわからない。

私のちょっと知っている外国語ではドイツ語は1格から4格までだが、ロシア語は普通には1格から7格まである。主格、生格、与格、対格、造格、前置詞格だったか、もう一つ格があるはずだが、今思い出せない。

1 コメント

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日本人の誇り (鉄の道サムライリスペクト)
2024-10-10 23:00:54
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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