物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

武谷三男の寄稿文

2012-11-21 12:02:31 | 学問

昌谷忠海という人の追悼書『哀惜無限』という書をインターネットで手に入れた。農協とか生活協同組合の活動をやっていた人の追悼書である。

内申書裁判を担った人だという。この裁判の原告本人は保坂展人であり、この人は中学校での内申書を当時在学していた学校の先生が内申書をいいように書いてくれないので、受けた高校ですべて入学を断られた人らしい。

いまはどこに所属しているか知らないが、政治家として活躍しているような記憶がある。この保坂展人氏の抗議を当時の大人としては真剣に聞いて、10数年に及ぶ内申書裁判を支えた人が昌谷忠海である(注)。

その追悼書に武谷三男が寄稿しているというので、上記の書を購入したのである。武谷が昌谷と知り合ったのは1941年である。そして、この年の11月から1942年の8月くらいまでこの昌谷さんの家の離れに住んでいた。

昌谷さんと知り合ったのは軽井沢で、武谷は羽仁五郎に言われて軽井沢にその1941年の夏に静養のために滞在していた。

これは武谷が湯川秀樹の中間子論の一連の論文の研究に協力した後で、大阪大学で菊池さんのグループで原子核実験を始めようとした矢先に、世界文化の事件で捕まり、半年留置所に入れられた後に釈放された。岩波書店から奨学金を支給してくれるということで東京に出て行き、理研の所属になったころのことである。

武谷の体調が思わしくなく、下宿もあわず困っていたときに昌谷さんの家の離れを貸してもいいとの申し出を受けたという。武谷の人生の中でもつらい時期であり、そのために武谷は昌谷さんに感謝をしている。この時代のことを武谷はあまり語っていないので、貴重な情報であろう。

もっとも武谷の寄稿文は短いものであり、この書からは武谷のことよりも昌谷さんの人柄を知ることができたのが、むしろ収穫であった。この本を読んで、昨夜は2時半くらいまで夜更かしをしてしまった。

私は大抵の武谷の寄稿のある書をもっているつもりだったが、なかなか完全ということは難しいことがわかる。武谷三男の著作目録を更新する必要がある。

(注)(2021.7.7付記)保坂展人氏はいまも世田谷区の区長さんを務めておられるだろうか。このブログを書いたときには何をされているのか思出せなかった。