神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

王子分水3

2015-10-22 07:13:00 | 千川用水6

 大砲製造プロジェクトによって開削された新堀(王子分水)ですが、明治の殖産興業政策のもと、工業用水として利用されることになります。その先鞭をつけたのは、鹿島万平が設立、明治5年(1872年)に大砲製造所跡地で操業を開始した、民間で最初の紡績工場(鹿島紡績所)です。鹿島紡績所には撚糸器を回すため、輪径2丈5寸(≒6.15m)のイギリス製鉄造水車が導入され、王子分水の水(水積66坪8合)がその動力源となります。この水は水車を回すだけなので、66坪8合はそのまま石神井川に落とされ、王子村以下の下用水組合が補助用水としていました。

 

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    ・  昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 前回最後の左折の続で、50mほどで今度は右カーブします。なお、庚申塔には「これより左弁天道」とあり、→ 松橋弁天への道標となっています。

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    2. 左折以降の王子分水が並行する通りは、→ 巣鴨庚申塚で中山道から分かれ、王子へと向かう旧道で、王子道と通称されるものです。

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    3. 滝野川1交差点を過ぎて間もなく、桜丘中、高校前で下り坂に差し掛かります。

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    4. 坂下です。その先の路地の左手を水路は並行していました。

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    5. 明治通りに突き当たります。その先、大砲製造所跡地までの水路跡は失われています。