神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

区境の二水路

2016-02-06 08:57:36 | 妙正寺川2

 杉並、中野の区境まできました。かっての下井草、上鷺宮の村境です。その杉並側に左右から合流する二本の水路がありました。一つは前回、前々回の左岸流とクロスしていたもので、八成小学校付近から発して区境を南下しており、「杉並の橋と川」は「仮称八成水路(悪水路)」としています。一方、右岸のものは天沼中学や稲荷神社周辺の湧水が水源で、いったん東に向かったあと左カーブで区境を北上します。合流地点のみのごく短いものながら、→ 「東京近傍図」にも描かれています。「杉並の橋と川」が「仮称天沼本村川(悪水路)」としているもので、本村は「新編武蔵風土記稿」に「北の方井草村の境を云」と書かれた天沼村の小名です。

 

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    ・ 「段彩陰影図 / 妙正寺川2」(1/18000)  側流及び左右から合流する二本の水路は、実地に確認できるものをベースに、昭和初期から30年代までの地図や空中写真を参考にしました。オレンジ線は区境で左杉並区、右中野区です。

 「井草のかたりぐさ -大正のころの八成-」(昭和61年 井口龍蔵)に、「八成の水害」に関する記述があります。「現在の八成小学校東、新青梅街道北側の一部の地域」で、「何年又は何十年かに一回、梅雨時又は秋の長雨等毎日雨が降り続いている時に発生」したもので、「大正になって、この水害をなくすために排水溝を掘り下井草田圃へ流す工事を村費で行いました。」 八成の水路が雨水の排水路(吐け水路)を区画整理時、人工的に整備したものだと分かります。これに対し、天沼本村川はその名の通りの自然河川でした。「杉並とその周辺の昔話」(昭和57年 森田金蔵、森田金吉)には、水源として「本天沼三丁目二一番地付近よりの自然の湧水による俗称長島といわれていた深い掘割」や「天沼本村の弁天社と三峯神社の処に大正の頃まであった池」を指摘しています。こうした二つの水路の出自の差は、「段彩陰影図」からも読み取れます。

 

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    ・  八成水路合流点  井草上橋と井草橋の間にある右岸流の合流地点の対岸です。なお、八成水路の機能を代行している下水道井草幹線は、起点は同じ八成小学校の東ですが、終点は上流にある松下下橋となっています。

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    ・  本天沼本村川合流点  区境手前に架かる井草下橋からのショットで、右手の茶色の建物の奥で合流しています。一方、手前からは上鷺宮の右岸用水が分岐し、両者はすぐにクロスしていました。