神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

成宗左岸6

2017-05-08 07:37:24 | 善福寺川3

 成宗田圃を灌漑する用水路を追っています。阿佐ヶ谷団地を過ぎると、右手は東田中学校のキャンパスです。昭和7年(1932年)に杉並区が成立した際、旧田端村の飛び地は本村の東にあることから、東田端となるはずでしたが、よりモダンにということで東田町を名乗りました。昭和22年創立の東田中学校の名前の由来でもあります。(善福寺川を挟んで1200mほど西には、西田端、ないし西田町が由来の西田小学校があります。)

 

Narimunes6

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

0203b0203a

    1. 杉並税務署前に出ます。このあたりから田端村の飛び地でした。

0203c

    2. 「杉並の通称地名」(平成4年 杉並区教育委員会)によると、ここから3.にかけて堰堀と通称され、野菜の洗い場がありました。

0203e0203d

    3. 右写真は本流に架かる相生橋方向で、左手に東田中の校舎が見えます。 

0203g0203f

    4. 正面右手に分岐する路地があります。水路単独と思われる狭さです。

 <小名関口>  左岸台上に→ 月光山天桂寺があります。田端、成宗村の領主だった岡部氏の創建と伝えられ、「新編武蔵風土記稿」は田端村のところで、「除地、九畝十三歩、小名関口にあり」と書いています。関口は→ 「成宗村絵図」の右上にあるように田端村の飛び地で、周囲を成宗村に囲まれていました。「杉並風土記(上)」(昭和52年 森泰樹)には、青梅街道に関所が設けられ、その入口に当たるところだったから、との地名由来にまつわる伝承が収録されています。田端村の飛び地となった理由は定かではありませんが、同書は江戸初期に田端村によって開発された新田だろうと推測しています。現在の住居表示では周囲の旧成宗村と合わせて成田東(1~5丁目)となり、飛び地だった経緯は反映されていません。