神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

太宗寺の支流

2018-11-30 06:55:43 | 蟹川

 → 「江戸名所図会」にも描かれた、西向天神下を流れる蟹川を追って、谷頭のある内藤新宿、太宗寺方面までのウォーク&ウォッチです。天神下から新宿中学前にかけては、道路となって残っていますが、途中、天神小学校の校庭で水路跡は途切れます。同校の創立は大正11年(1922年)で、前田圃と呼ばれる水田の一角を造成したため、前々回UPの→ 「大正5年第一回修正」で、その南縁から東縁を廻っていた水路も敷地に含まれてしまいました。なお、前田圃は天神前の田圃の意で、明治に入り大字東大久保の字となりました。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 西向天神下から始めます。右写真は天神から見下ろしています。 

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    2. 天神下を離れます。左手に上る階段の脇に見えるのが東大久保富士です。 

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    3. 左手新宿中と右手天神小の間を南に向かいます。 

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    4. 上りに差し掛かる手前で右折、天神小のキャンパスを横切ります。 

 <東大久保富士>  東大久保富士は天保13年(1842年)、西向天神の境内に築造されました。明治34年(1901年)に一時撤去ののち、大正14年(1925年)、現在の姿に再築されたものです。前回UPの「江戸名所図会」には、この東大久保富士が扱われていません。「図会」の刊行は遅くとも天保7年(1836年)なので、刊行当時は築造されていなかったことになります。また、「豊多摩郡誌」(大正5年)に、「昔は境内に浅間社あり、大久保の富士と称して隆盛なりしも、明治三十四年中撤去して今は無し」とあるのも、ちょうど撤去後再建前だったからです。