新井村の用水は昭和20年代まで、地図で確認できるにもかかわらず、今日その痕跡をたどることはできません。これは昭和30年代までに完了した区画整理事業により、農地から宅地の転換に伴い、不要となった田用水は廃止されたためです。北野神社に隣接する一角にある復興区画整理碑によると、昭和20年5月の空襲で焼け野原となり、同23年に新井復興土地区画整理組合を設立、途中、沼袋、江古田地域に及ぶ妙正寺川の改修を合わせ、十数年の年月をかけ昭和30年代半ばに事業は完成しました。
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(大正10年第二回修正) / 新井」 水路こそ描かれていませんが、田圃の南縁沿いに弧を描く点線とおおむね重なります。
- ・ 北野神社下 上掲地図右下の孤の頂点のあたりです。→ 「新井村絵図」にも描かれた南側にはみ出した田圃は、この右手のあたりということになります。
- ・ ひょうたん池 新井薬師公園内の池で、はみ出した田圃の先端に位置しています。上掲地図にはありませんが、次の「昭和4年第三回修正」から登場します。
- ・ 復興区画整理碑 ひょうたん池と北野神社の間の、中野通りに面しています。紀念碑の建てられたのは昭和37年11月です。