明治に入り田町五、六丁目境となった地点に戻り、大下水(赤坂川)のウォーク&ウォッチを再開します。田町六丁目は江戸時代、溜池端芝御霊屋御掃除町、同永井町、同青龍寺門前町の代地でした。いずれも芝増上寺近くにありましたが、文化八年(1811年)に類焼後、増上寺などの火除地として召上げられ、当地に移転してきたものです。「当町(御霊屋掃除町代地)里俗桐畑と唱申候右者文化八未年五月中代地ニ不被下以前迄桐之木御畑ニ御座候ニ付一円ニ右之通唱申候」(「御府内備考」) 広重の「名所江戸百景」に「赤坂桐畑」のあることは、桐畑橋のところで一度触れました。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治16年測量及び同17年測量)」 「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」に収録されている南西部及び南部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載、上掲地図のグレー枠の部分です。
- 1. このあたりの右手は永井町代地でした。元は増上寺裏門通りにあり、名主の名前からそう呼ばれました。
- 2. 横切っている直線的な通りは、上掲「実測図」にはなく、明治中ごろの市区改正事業によって開通しました。
- 3. 六本木通りを越えます。右写真は溜池交差点からのショットで、正面のコマツビルの裏が大下水跡の道路です。
- 4. 再開発中なため数年前の写真です。この先で溜池に合流するもの、桜川となるものの二派に分かれますが、ビルの敷地の下に埋もれてしまいました。