神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

千川屋敷

2019-07-20 06:39:19 | 谷端川・小石川4

 「下水堀 巾三尺、右北の方小石川村酒井雅楽頭様御下屋敷より流出、指谷町通りより武家屋敷境通り小石川馬場の方え相流申候、尤下水上橋の儀は指谷町にて申上候」 「御府内備考」の白山前町千川屋敷の記述です。千川屋敷は都道301号線(旧白山通り)、白山下交差点の南側にあった拝領町屋敷です。千川上水開設を請け負った多磨郡仙川村出身の徳兵衛、太兵衛の両名は、その功により上水の管理を任され、水使用料徴収の権利を得るとともに、千川の苗字と帯刀が許されました。そのうち、太兵衛は当地に200坪余の土地を与えられ、屋敷を構えたことから、以後千川屋敷と呼ばれるようになったものです。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 右手から合流があります。この先の胸突坂からのものです。 

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    2. 急坂なので胸突坂、あるいは、台上の新道に至るので新道坂です。水路は坂の右手にありました。 

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    3. 坂下に戻ります。奥の路地に連続しますが、「郵便地図」は左手からも合流を描いています。 

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    4. 「御府内備考」が「武家屋敷境通り」と呼んでいるところで、通りの左右には短冊状の武家屋敷が並んでいました。

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    5. 路地はフェイドアウトします。ここから現白山下交差点までが千川屋敷でした。