神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

鮫河橋2

2014-09-02 06:57:23 | 城西の堀川2

 「鮫河(さめが)橋 紀州公中館の後、西南の方、坂の下を流るゝ小溝に架すを云。今此辺の惣名となれり。俚諺に、昔此地海につゞきたりしかば、鮫のあがりしゆゑに名とすといへ共、証とするにたらず。或人云く、天和二年公家の御記録に、上一木村鮫が橋とありと云々。然(しかる)時は此辺も一木の内なりとおぼし。又佐目河に作る。千駄ヶ谷寂光寺鐘の銘に鮫が村ともあり。」(「江戸名所図会」) 「御府内備考」の数字で、「長二間幅二間」の板橋でした。「東京府志料」では「町一間半幅二間」となっています。なお、橋名の由来としては、「図会」にある鮫の出没する「鮫が橋」説のほか、「江戸砂子」は、さめ馬(目の縁の白い、ないし毛の白い馬の意)が落ちた「さめ馬が橋」説、周辺の雨水の流れ込む「雨が橋」説を紹介しています。

 

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    ・ 「江戸名所図会 / 鮫が橋」  「鳥の跡 淋しさや友なし千鳥声せずは何に心をなぐさめがはし 茂睡翁」

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    ・ 鮫河橋坂  左手にある紀伊藩中屋敷(現赤坂御用地)の西縁に沿い、鮫河の谷筋へと下る坂で、「御府内備考」では大坂となっています。その先はすぐ安鎮坂(権田坂)の上りです。

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    ・ 鮫が橋門前  江戸時代の坂は傾斜を緩やかにするため、左手に大きくカーブしていました。そのため、坂下にある橋も現在の坂下とはズレ、正面の赤坂御用地鮫が橋門の奥にありました。

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    ・ 安鎮坂(権田坂)  付近にあった安鎮と呼ばれる小社が名前の由来です。また、別名は権田家の屋敷があったことから、一帯が権田原と呼ばれたことに因んでいます。