「北豊島郡誌」の数字によると、字大谷口の溜池は1396坪(≒4607㎡)あり、向原溜池(390坪)の3.5倍強の規模を有していました。戦後埋立てられ、自然発生的な住宅密集地となりましたが、住宅地区改良事業が平成21年までに完了しています。なお、大谷口は「新編武蔵風土記稿」に収録された上板橋村の小名ですが、「小田原衆所領役帳」に板橋大炊助の所領、三貫三百文として初出しています。地名由来に関しては、「いたばしの地名」のいうように、「広く大きな谷の口」の意でしょう。→ 「段彩陰影図」で見ると、扇形に広がる石神井川右岸の低地に面しているのが分かります。
- ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(昭和4年第三回修正測図) / 練馬」
- ・ 合流地点付近 右手が谷筋に入る道路、左手に30mほどで前回の水路です。正面は日大板橋病院で、下屋敷と通称されていたところです。
- ・ 溜池跡地 溜池のあった東側の谷頭付近です。住宅地区改良事業により、谷筋の底にある道路の拡幅が行われました。
- ・ 溜池跡地 上掲写真の正面奥の崖上にある大谷上町公園からのショットです。手前が溜池跡の谷頭、奥は谷筋の出口にある日大病院関係の建物です。