神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

片山村用水2

2016-05-16 06:38:17 | 妙正寺川4

 前回UPの→ 「大正10年第二回修正」中、舌状台地東麓にあるのが北野神社、その前に描かれた水車に関し、「江古田今昔」(昭和59年 江古田地域センター)の中に、「江古田・片山の水車」という一文があります。「文化初年頃より北野神社の東側に妙正寺川の流れを引いて、柏堰という堰を築いたため、水量が多くなり、岩崎善左衛門氏が経営する水車ができた。」 「明治40年頃に出火して全焼した。・・・・大正初期には機械搗の精米所が方々に出来て、仕事が減少したので大正中期に取り壊された。」 柏堰は前回の用水を分岐した堰で、地図には描かれていませんが、北野神社の北側にもう一つ、車堰という堰がありました。その名の通り、こちらが水車の動力となりました。

 

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    ・ 妙正寺川  右岸段丘斜面にある北野神社が由来の天神橋から、下流の下田橋方向です。車堰が右手に用水を分岐し、天神前の水車の動力となっていました。

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    ・ 北野神社  「天満宮 北の方にあり、村の鎮守なり、本社は一間四方南向き、拝殿二間四方、前に鳥居をたつ」(「新編武蔵風土記稿」) この神社にも太田道灌の戦勝祈願の伝承が残されています。

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    ・ 下田橋  中野通りに架かる橋で、左手は哲学堂公園です。「大正10年第二回修正」当時の下田橋は、数十メートル上流にあり、そこで右岸流が本流に戻っていました。

 <江古田天然氷>  「江古田今昔」には、「江古田の天然氷について」の記事もあります。明治30年頃から大正の初めにかけて、片山の北側斜面と妙正寺川の水を利用、冬季に製造した天然氷を夏まで貯蔵、販売していました。添付の略地図によると、今より北側を流れる妙正寺川と舌状台地沿いの側流の間で製造していたようです。以下は同書の引用する「江古田のつれづれ」(昭和49年 堀野良之助)の抜粋です。「明治30年頃に、片山の北方に豊多摩製氷会社という天然氷の製造所が出来た。・・・・現在の江古田公園のある当りに、四方煉瓦積みの場所を作り、妙正寺川の清流を引入れて冬期に水を凍らせて天然氷を製造し、それを夏期に売出した。倉庫は片山天神裏に大谷石で約二十坪位の氷室を作り、中に氷を一尺五寸角位に切って積み重ね、おが屑を周囲に詰めて氷を保存してあった。」