神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

字バッケ下

2018-05-02 06:38:58 | 神田川5

 神田川の本流沿いの、旧源兵衛村の範囲に戻ります。同村は元々戸塚村の字から発した小村だったため、「新編武蔵風土記稿」には小名は収録されていません。明治に入り大字源兵衛となっていくつかの小字に細分されますが、うち神田川に沿っていたのは、秣川の合流地点の秣川と、その東側にあって面影橋の手前にあたるバッケ下でした。バッケ、ハケはこれまでも度々登場しており、(湧水がつきものの)崖線を意味する言葉ですが、ここも東隣りの甘泉園へと続くミニ崖線を形成していました。→ 「段彩陰影図」で、明治通りの東側に谷筋がありますが、その合流地点がバッケ下で、その東隣りの池のあるのが甘泉園です。

 

Bakke1

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 都電荒川線の面影橋駅の南西に、新目白通りに面して路地が顔をのぞかせています。

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    2. 突き当りを左折します。右手は源兵衛村鎮守だった→ 天祖神社です。 

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    3. 次の突き当りを右折し、天祖神社境内を回り込みます。 

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    4. 左折して天祖神社を離れます。左手の崖上は幕府祈祷所だった亮朝院です。

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    5. 亮朝院のある左手台上は、→ 「戸塚村絵図」にあるように、戸塚村の枝郷、大久保新田に属していました。