神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

上高井戸村

2017-10-17 06:44:58 | 神田川2

 「上高井戸宿は、郡の東寄りにあり、下高井戸宿の西に隣れり、・・・・村の広さ東西へは十八町余、南北十四町半に過す、民家二百軒、北の方に散在す、当村平地にして北の方へ広く、陸田多くて水田少し、土性は野土なり、江戸日本橋まで行程四里、・・・・『北条分限帳』に大橋廿貫文無連高井堂とあり、無連は今云無礼村にして高井堂は当村のことなるべし、・・・・上下高井戸宿は甲州道中の宿駅にして、毎月上の十五日は下高井戸宿に継立るなり、其行程内藤新宿へ二里、・・・・下の十五日は上高井戸宿に継立るなり、其行程は内藤新宿へ二里十三町、・・・・」(「新編武蔵風土記稿」)

 

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    ・ 「東京近傍図 / 布田驛」(参謀本部測量局 明治13年測量)及び「同 / 内藤新宿」を合成、その一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境、同細線は高井戸村当時の村、大字境です。 

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    ・ 第六天神社  上高井戸村の鎮守で、(中央自動車道下の)玉川上水に面しています。「第六天社 除地、一段ニ畝廿二歩、村の北の方にあり、・・・・」(「新編武蔵風土記稿」) 

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    ・ 鎌倉橋  上下高井戸村の境に架かる橋で、「近傍図」の右下隅に描かれています。下に引用する「武蔵名勝図会」にもあるように、江戸時代からそう呼ばれていました。 

 <高井戸の地名由来>  文政6年(1823年)完成の「武蔵名勝図会」は、文字通りの「高い所の井戸」と解する伝承を載せています。「村内小名堂の下というところにあり。古この辺に辻堂あり。鎌倉街道ゆえ、鎌倉橋という辺へ出る。ここは僅かなる丘地にして、辻堂の傍に清泉ありければ、盛暑のころ旅人必ずこの水を汲みて呑みしより、小高き地の冷泉なるを以て、衆人呼びて高井戸と称せし起こりなりと云。・・・・『廻国雑記』の『堀兼の井、見にまかりて』という詞書のすえに『今は高井戸といふ』と書き給いしは何ゆえにや。考うるところなり」 最後の「廻国雑記」(道興准后 文明19年 1487年頃)については、「新編武蔵風土記稿」も引用していますが、「此高井戸を云へることともおもはれねど、同じ名にしあれば因にこゝに出せり」と、否定的な但し書き付きです。(他の説については、下高井戸村のところで扱います。)