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三味線橋

2016-11-28 07:47:07 | 桃園川3

 区画整理以前は桃園橋の次の橋は三味線橋でした。青梅街道から新井薬師へと至る古道に架けられた橋で、→ 「中野村絵図」→ 「東京近傍図」でも桃園橋の次に描かれています。中野区の→ 解説プレートには「いつも近くで弾く三味線の音が聞こえてきたから」と、名前の由来が書かれていますが、江戸時代からの名前というわけではありません。大正5年(1916年)発行の「豊多摩郡誌」の橋梁リストに、三味線橋の名前はなく、おそらく、「石神井橋 水流及び所在地 善福寺分流、谷戸道(谷戸、千光前、上町)構造木造 延長3間 幅員1.5間」とあるのがそれです。

 

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    ・ 三味線橋  昭和8年(1933年)の「中野町誌」では、「橋長5m 幅員9.5m 橋種混凝土」となっていて、特に幅員が1.5間(≒2.7m)からだいぶ広くなっています。道の拡幅があったのでしょう。 

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    ・ 青梅街道方面  右岸段丘を上ると、500mほどで青梅街道に出ます。豊多摩郡中野町の時代、この坂の周辺の小字が上町でした。青梅街道沿いに発達した下宿、中宿、上宿のうち、上宿の名前を引き継いでいます。 

 <箱堰>  三味線橋の手前150mほどのところに、右カーブ、左カーブのクランクで、南にシフトするところがありますが、クランクの途中に架かる橋が箱堰橋です。橋自体は区画整理時に架けられた、これといって特筆すべきものではありませんが、注目は箱堰という橋名で、堰が設けられ農業用水が分岐していたことが容易に想像でき、現に「東京近傍図」には、三味線橋手前で左岸流の分岐が描かれています。なお、「豊多摩郡誌」の橋梁リストには、「千光橋 水流及び所在地 用水路、谷戸道(谷戸、千光前)構造石造 延長1間 幅員1.5間」があり、当時の小字に当てはめてると、三味線橋と同じ谷戸道にあって、箱堰から分岐した左岸流に架かる橋と思われます。

 

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    ・ 桃園川緑道  右カーブに差し掛かったところで、奥に箱堰橋が架かっています。かってはこのあたりに堰が設けられ、左岸流を分岐していたのでしょう。