神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

新旧早稲田通り2

2016-01-25 07:50:43 | 妙正寺川2

 「井草の折り返し」と称される所沢道の迂回路が、→ 「東京近傍図」に重ねたようにショートカットされたのは、区画整理事業に先立つ大正10年代で、内務省復興局「大正14年測図」には、全体としては区画整理以前の様子が描かれる中、迂回路とショートカットが併存するという途中経過が反映されています。その後、区画整理事業が佳境に入った昭和初めには、所沢道の迂回路と井草道もショートカットされ、永久橋が架橋されます。「杉並の川と橋」によると幅が11mとあり、ショートカット後の旧早稲田通りに架かる松下橋、7.6mと比べても堂々たるもので、この時点で永久橋の通りのほうがメインとなりました。ただ、前回も触れたように、こちらが早稲田通りとなり、所沢道の後半部分が旧早稲田通りと呼ばれるようになったのは、昭和59年(1984年)以降のことです。

 

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    ・ 旧早稲田通り  天沼2交差点で早稲田通りと分かれるところです。バスの止まっている付近を右岸流が横切り、そこから妙正寺川に架かる松下橋までは100mほどです。

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    ・ 旧早稲田通り  左岸段丘の中腹にある旧下井草村鎮守、銀杏稲荷前からのショットです。奥に見える横断歩道のあたりを左岸の用水が流れ、そこから松下橋までやはり100mです。

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    ・ 妙正寺川  松下上橋と松下橋の間の妙正寺川で、奥に見えるのは松下橋です。その次には松下下橋もあり、松下は井荻村(のち井荻町)大字下井草当時の字でした。

 <松下橋>  「東京府志料」の橋梁リストにその名はありませんが、所沢道に架かっていたのは「石橋 向井草橋二所各長二間幅不同」と思われます。向井草も井荻村大字下井草の字で、妙正寺川を挟んで左岸が向井草、右岸が松下でした。二ヶ所とあるのは本流及び(おそらく)左岸流に架かっていた橋のことでしょう。なお、通りと橋の改修直前の大正5年(1916年)発行の「豊多摩郡誌」には、「井草橋 下井草字向井草にあり所澤道千川用水路(井草川)に架す 構造石造延長四間幅員三間」とあります。改修後松下橋となったのは、場所がズレて字松下に属するようになったからかもしれません。