神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

牟礼村境

2017-09-14 06:41:34 | 神田川1

 → 「東京近傍図」にオレンジ線で書き込んだ、左上から時計回りに武蔵野市、杉並区、三鷹市の境は、江戸時代の吉祥寺、久我山、牟礼、三村の村境でした。そのうち、神田川の左岸流域の際までが牟礼村の範囲にあたり、現行の行政区分で三鷹市の北限を画しています。なお、左岸流域の際ということは田圃の際でもあり、そこには田用水も流れていました。今回から二回にわたり、旧牟礼村境に重なる左岸の用水を追います。

 

Sakai1

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。) 

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    1. 武蔵野市管理地とあるフェンスに囲まれた細長い空間です。立ち入りできないので2.から振り返っての撮影です。

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    2. 左岸段丘の際にある路地です。フェンスを背にしての撮影なので、元は1.と連続していたのでしょう。 

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    3. ワンブロックで通り抜けできなくなり、回り込まなければなりません。

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    4. 回り込んだ先は旧三村境で、右写真の左手武蔵野市、右手杉並区です。

 <切り取られた本流跡>  あしはら橋から左岸に向う→ 道路の途中から、→ 遊歩道が分かれて本流に戻っています。地図からは全体として三角形、ないし孤を描いているように見えますが、これは本流を直線的に改修した際、取り残された区間を遊歩道化したものです。ここから久我山駅前にかけての千数百メートルの間に、同じ性格を持つ孤状の遊歩道、ないし半月型の公園が数ヶ所残されており、この区間の直線的な改修は昭和50年代で、高度成長期の効率一辺倒から、環境だとか緑だとかが意識され始める時期と重なります。おそらくそのことが背景となって、こうした遊歩道や公園が意識的に残されたのでしょう。